幕間 多田澪、四
まもるさんからの返事はないままだ。
あまりにも重く、抽象的な相談を投げかけてしまった。
彼女は真面目だから、きっと必死に答えを考えてくれているのだろう。
申し訳ないと思いながらも、ベッドの上で悩み込んでいる彼女を想像すると、なぜだか微笑ましくなった。
「……」
ベッドに寝転んで、天井を見上げる。
そこで、視界が滲んでいることに気がついた。
「あれ?」
目元に触れると、確かな湿り気がある。
なんてことはない。私は、泣いていた。
涙の原因なんて分かりきっている。
まもるさんに相談した内容。今日の、木村くんの一件だ。
私のせいで、三年生の先輩たちが別府さんに鬱憤晴らしをしていることは知っていた。
本来あってはならないことだ。もし誰かが受けるべきだとしても、それは別府さんではなく、私のはずだ。
だけど、私は怖かった。
体罰や暴力そのものよりも、今以上に三年生たちとの関係がこじれることを忌避した。
どのみち、私はこの夏の大会にレギュラーとして出場する。
それは決定事項だ。何より、今年でなければ意味がない。
いずれ先輩たちと衝突することは目に見えていた。
だから、今のうちに少しでも摩擦を避けておきたかった。
計算外だったのは、彼女たちの怒りの矛先が、一番弱い別府さんに向いてしまったこと。
「……かっこつけ」
思い出すのは、木村くんの姿だ。
見るからに腰が引けていて、竹刀は震えていて、声も涙声で。
それなのに、彼は別府さんを助けようと動いた。
彼自身が身代わりになるなんて、そこだけ見れば情けない助け方だ。
それなのに、どうしてこんなにも私の心を揺さぶるのか。
ただの格好つけにしては、あまりにも格好がつかないヒーローだ。
もし、あれが私だったら?
先輩たちを追い出す勢いで、柴石さんのように試合を挑んで、完膚なきまでに叩きのめして、二度と手を出すなと警告したかもしれない。
……なんて、本当のところは分からない。
事実、私はずっと見て見ぬふりを続けてきた。
だけど――。
SNSアプリを開き、送信した質問を読み返す。
私には、大事なものが多すぎる。
だけど、どれかを選ばなければ、どれも失う。
だから、選ぶ必要があった。
ちらりと、机の写真立てに目をやる。
幼い私と、かおりが写っている。
かおりとの付き合いはもう六年。今年出会ったばかりの別府さんよりもずっと長くて、大事な繋がりだ。
彼女のために、私はどうしても全国へ行く必要がある。
まもるさんからの返事は、まだない。
着信音を聞き逃さないように意識しながら、私はいつの間にか浅い眠りへと落ちていった。
***
それが夢だと気づくまで、少し時間がかかった。
幼い頃の記憶だ。
小学校に入学したばかりの頃。
ママの意向で入った私立の学園は、私にとって苦痛な場所だった。
引っ込み思案な私は友達ができず、すでに出来上がっていた内部進学組の輪にも入れなかった。
ある日曜日。
私は散歩がてら近所の神社に来ていた。
そこで、クラスメイトの男子数人と鉢合わせた。
彼らはいつも騒がしくて、クラスメイトをよく泣かせているようないじめっ子たちだった。
彼らは私を見つけると、すぐに絡んできた。
無視をすれば怒り、言い返せばまた怒る。
ただ自己顕示欲を満たしたかっただけなのだろう。数人で私を取り囲み、友達がいないことを馬鹿にし、挙句には胸ぐらを掴んで殴りかかろうとしてきた。
その瞬間。
「何してんだコラ!」
飛び込んできたのは、知らない声だった。
見れば、同年代らしい子どもが二人。一人はおどおどした男の子。もう一人は中性的で、性別がよく分からない子。
声を上げた中性的な子は、勢いよく走り込んでリーダー格の男子に体当たりをかました。
あまりに突然のことに男子は驚いたが、すぐに応戦する。
体格差は歴然。喧嘩では勝ち目がない。
見る間にその子は殴られ、綺麗な顔に傷がついていく。
それでも、めげずに食って掛かっていた。
私はとっさに近くにあった熊手を掴んだ。
お爺ちゃんから習っていた剣道の構えで、男子たちに立ち向かう。
結果はあっという間だった。
自己流の喧嘩しか知らない彼らと、幼い頃から剣道をしていた私では、力量に差がありすぎた。
男子たちを追い払った後、私は腰が抜けてその場にへたり込んだ。
「……ん」
中性的なあの子が、そっぽを向きながら手を差し伸べてきた。
私は呆然とその顔を見上げる。
「お前、強いじゃん。なんでやり返さなかったんだよ」
「……」
私は視線を逸らして口をつぐんだ。
お爺ちゃんの言葉を思い出す。
――剣道は戦うための術ではない。己を鍛えるためのものだ。
――決して、その力で人を傷つけてはならない。
「……お爺ちゃんから、人を叩いちゃダメだって」
その子は私の手を掴み、無理やり引っ張り上げた。
そして両肩を掴んで、私の瞳を強く見つめた。
「だったら、誰かの為に戦えばいいじゃん」
「……誰かの、為?」
「いつだって、正義のヒーローは、自分以外の誰かの為に戦うものなんだぜ」
まるで男の子みたいな台詞を吐いて、その子はニカッと笑った。
その笑顔を見た瞬間、胸が熱くなって、まともに顔を見られなかった。
「でも……今日みたいな時は? じ、自分の為以外に戦えない時は?」
「う、それは……」
その子は答えに詰まり、頭をひねって、何か閃いたような顔をした。
「自分の時は、逃げればいいよ。きっと、助けてくれた人が、今度はキミを救ってくれる!」
根拠のない話だった。
でも……心が温かくなった。
あの時、私は強くなろうと思ったんだ。
誰かのためになれる、そんな人になろうって。
***
それから月日は流れ、私は剣道にのめり込んだ。
同じ道を志す、かおりという友達もできた。
かおりは努力家だった。
私たちは切磋琢磨し、技を磨いた。
どうしても私の方が強かったけれど、彼女は着実に実力をつけ、高校生になる頃には一本取られることもしばしばあった。
そして、あの日。
――横断歩道の前。
――帰り道、かおりに笑いかけた、あの一瞬。
必死の形相で、彼女が私の手を強く引いた。
そこで記憶は途切れている。
気がつくと、私は病院にいた。
飲酒運転の車が突っ込んできたらしい。
私は軽傷で済んだ。
だけど……。
かおりは、右膝に再起不能に近いダメージを負った。
私のせいで。私が、彼女の剣の道を閉ざしてしまった。
***
朝。
まもるさんからの返事は、まだなかった。
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