第19話
その夜、迷った末にレイくんへメッセージを飛ばした。
入った部活で、陰湿ないじめが行われつつあったこと。同級生がその対象となっていたこと。見て見ぬふりをして、逃げてしまったこと。
どうするのが正解だったのか。レイくんだったら、どうしたのだろうかと。
返事はしばらくして返ってきた。
『どうだろう。何が正解かはわからないけど……私だったら、たぶん飛び込んでいったかもしれない。バカだからさ、直情的になって』
分かる気がする。容易に想像ができた。
だって、僕とレイくんの出会いの時も、彼は迷わず飛び込んできたから。
まるで、正義のヒーローみたいに。
『どうすれば、レイくんみたいに強くなれるかな』
反射的に送った内容に戸惑う。やってしまった。
だけど送ってしまったものは仕方ない。
身体をよじりつつ悶えていると、返信はすぐに来た。
『わからないけど、自分を貫き通すというか、思った事を思ったままに実行できるとか、じゃないかな』
「……」
敵わないな、と思った。同時に、憧れがより強くなった。
同年代で、強さなんて曖昧な言葉を自分なりにきちんと解釈できている。
――僕は、彼女にも同じものを感じていた。
だから、彼女ならばと思って頼ってしまっていた。
僕はきっと、レイくんと多田さんを重ねて見ていたんだ。
「……そういえば、多田さんの名前も、『レイ』って読めるのな」
意外な共通点を見つけて笑う。
そんな中、SNSが新着を告げた。
『こっちからも、一つだけ。相談、いいかな?』
僕は反射的にイエスと返した。
僕たちはこれまでもずっと、お互いに悩みを相談しあってきた。今日だって聞いてもらったばかりだ。
レイくんからの相談は、連投する形で送られてきた。
『大事なものが、たくさんある』
『最近、わからないんだ。どれにも優劣をつけたくないのに』
『選ばなきゃいけない。何かを、切り捨てる必要がある』
悲痛な相談だった。
簡単に答えなんて浮かばなくて、僕は言葉に詰まる。
なんて返せばいいのか。
そこで再び受信音が鳴った。
『木村くんは、たぶん、私が思っている以上に強い人だった。私みたいな、上辺だけの人間とは全然、違う』
「そんな事――」
あるわけがない。
そう思った瞬間、僕の中に稲妻が走った。
心臓が大きな音を立てて跳ねる。
文章の意味を脳が理解しても、感情がそれを拒んだ。
――どうした。
――どういうことだ。
渦巻く疑問。
なぜ、レイくんは「僕の名字を知っている」?
いや、論点はそこじゃない。
仮に僕が何かの弾みで本名を明かしたとしても、彼は一度でも僕を「まもるさん」以外の呼称で呼んだことなんてなかった。
それに――。
文脈から察するに、「まもるさん」と「木村くん」は、彼の中では別人として扱われている。
色々な情報が、目まぐるしく僕の中を駆け巡った。
彼の言葉。
そして、彼女の言葉。
否定したいはずなのに、パズルのピースは恐ろしいほど綺麗にはまっていく。
実家が道場。
甘いものが好き。
この春から私立のエスカレーターを離れた。
部活に入ったという初心者。
僕のハンドルネームは、本名を別の読み方にしたもの。もし、彼もそうだったとしたら。
多田、澪。ただ、れい?
僕はSNSアプリを閉じ、震える指で妹に通話をかけた。
『どしたの?』
「――調べて欲しい事があるんだ」
普段なら出さない真剣な声に、のぞみは何も聞かずに了承してくれた。
***
「はいこれ」
帰宅したのぞみは、一枚のCDを持ってきた。
ラベルには『第十五回合同文化祭』と書かれている。
僕とレイくんが参加した、あの日の記録映像だ。
「……」
のぞみは何も言わず部屋を出て行ってくれた。
僕はPCにCDを入れ、メディアプレーヤーを立ち上げる。
シークバーを操作して、目的の場所まで飛ばす。
忘れもしない、僕が逃げ出した「男装女装コンテスト」。
司会の声が告げる。
『それでは続きまして、男装女装コンテスト、第二弾です!』
「っ」
これは知っていた。コンテストはお互いの中学で別々に行われる。
僕らの中学はコスプレだが、相手側は制服を交換するだけ。それを地味だと笑った日もあった。
画面の中で、生徒たちが壇上に上がっていく。
そして、その中に僕は目的の人物を見つけた。
『え、エントリーナンバー二番、多田澪です。す、素振りをします』
マイクを手渡された彼……いや、彼女は頬を赤らめながらそう言った。
そして、竹刀を振るう。
間違いなかった。
探しても見つからなかったはずだ。
だって、僕は男子の中しか探さなかったから。
簡単な答え。
レイくんの本名は、多田澪。
彼は……女性だった。
***
「それじゃ、そろそろ引き立て稽古を始めてもいいかもね」
その日、松原先輩は僕と別府さんにそう告げた。
三年生たちは今日も来ていない。
「先輩、引き立て稽古って?」
「要は、元手と呼ばれる受け手が指示した通りに技を決めていく稽古だよ。……じゃあ、澪ちゃんと堀田ちゃんで手本を見せて」
多田さんは立ち上がり、面を着けた。
堀田先輩が竹刀を構える。
「右小手を」
「はい。――てえぇ!」
多田さんは指示通り、すり足で距離を詰め、堀田先輩の小手を鮮やかに打った。 綺麗な残像。
「こんな感じ。元手は、剣さばきの悪い点なんかを指摘して、形にしていくの」
「なんだか、楽しそうです」
ワクワク顔の別府さん。
松原先輩が「じゃあ相手だけど――」と言いかけたところで、僕は手を挙げた。
「……ぼ、僕の相手なんですけど……多田さんに、お願いできませんか」
僕の声に、返事をしたのは当の本人だった。
「いいよ」
面と防具を身に着け、竹刀を構える。
思った以上に重く、視界も狭い。
「それじゃあ、まずは小手から。私が手本を見せますから、木村くんは構えたままでいてください」
「あ、うん」
そこで、僕は空気の変化に気づいた。
これから打ち込むと宣言した多田さんの纏う雰囲気は、それまで僕が見てきた彼女とはまるで違う。
相対して初めてわかる。
これが、剣士としての彼女の姿。
「っ、小手ぇ!」
「っ」
気づけば、多田さんは僕の背後に居た。
右小手に軽い衝撃が残っている。
「え、え?」
振り返ると、綺麗に切っ先を僕に向けている多田さん。
「それじゃあ、今みたいに、私の右小手に技を決めてください」
「え、え? い、今みたいにって」
「竹刀を小さく振り上げて、踏み込むと同時に振り下ろします」
多田さんは呆れもせず、丁寧に教えてくれた。
「は、はい!」
僕は息を吐き、指示通りに動く。
送り足で距離を詰め、振りかぶって振り下ろす。
「っふ!」
バシィン、と軽快な音が鳴った。
すれ違いざまに打つのが難しく、僕はその場で足を止めた。
「こ、こう?」
「……」
多田さんは、打たれた小手をまじまじと見て、一言。
「全然違います」
「あう」
「あはは、まあ初心者はそんなもんだよ」
松原先輩がフォローに入る。
「有効打突部位と大分ずれてたね。小手が外れた時が、一番痛いんだよねー」
慌てて多田さんを見ると、僕が叩いたと思しき場所を見つめていた。
「ご、ごめん!」
「ううん。ただ、こんなに思い切り打ち込む必要はないかな。もっと軽く、しなやかに。それと、手先だけで動いてるから姿勢が崩れるの」
色々な指摘を受けながら、その日はひたすら小手を打ち込んだ。
何度も繰り返し、反復する。
練習が終わる頃には、腕が上がらなくなっていた。
別府さんはヘトヘトになって座り込んでいる。
僕も同じように倒れ込みたかった。
だけど、踏ん張った。
「――待ってください」
僕は練習の終わりを引き止めた。
無謀だと分かっていたけれど、止められなかった。
多田さんを真っ直ぐに見つめる。
「勝負、してもらえませんか」
場が静まり返る。
今日初めて稽古をしたばかりのド素人が、部内最強の多田さんに勝負を挑むなんて。
「しょ、初心者じゃ澪ちゃんの相手には――」
「いいんです。構いません。今、僕は……多田さんと戦いたいんです」
多田さんは静かに頷いた。
そして、僕と彼女の戦いが始まる。
◇ ◇ ◇
目をつむり、呼吸を整える。 身体は鉛のように重く、腕も上がらない。 それでも――。
「始め!」
堀田先輩の声を合図に、カッと目を見開き、竹刀を握りしめた。
刹那。
視界を何かが掠めた。
「え――」
パァンッ!
乾いた音と共に、脳天に衝撃が走る。
「面あり!」
堀田先輩の声。
振り返ると、正面にいたはずの多田さんが、美しい残心を示していた。
目で追うことすらできない。何が起きたのかも分からない。
これが、彼女の実力。
多田澪という剣士。
「……」
再開。直後、胴に衝撃。
二本先取。勝負あり。
「ま、待ってください!」
僕は食い下がった。
「もう一本、お願いします!」
無言の多田さんと、呆れる松原先輩。
「無理だって。ねえ、澪ちゃん」
「私は、構いません」
何度も打たれた。
反撃どころか、一歩踏み出すことさえ許されない。
瞬殺、再開、瞬殺。
圧倒的な実力差。分かっていたことだ。
けれど、打たれるたびに、何かが掴める気がした。
強い。多田さんは恐ろしく強い。
だけど――。
脳裏に浮かぶのは、あの日。
僕と別府さんに向けられた、あの悲しげな瞳。
「はぁ、はぁあ、……」
「はいストップ! これ以上はもうダメ!」
割って入ったのは松原先輩だった。
多田さんは涼しい顔で面を外す。汗一つかいていない。
僕は乱れる息を必死に整え、彼女を見据えた。
「――違う」
「え?」
「キミは強いよ。初心者の僕でも、次元が違うってはっきり分かる。……でも、僕は知ってる。キミはもっと、強いんだって。もっともっと、格好いいんだって」
この場にいる誰も、僕の言葉の真意なんて分からないだろう。
それでいい。 これは僕が、僕自身へ向けて放つ宣戦布告なのだから。
「……何を、言っているの?」
怪訝そうな多田さんに、僕は告げた。
自身への誓いを込めて。
「……僕が、取り戻してみせる。強かったはずの、本当のキミの姿を」
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