第17話
あの一件以来、柴石さんからの過剰なボディタッチは減った。
というか、代わりに永石さんから執拗な視線を感じる事が増えた。僕、何もしてないのに。
ただ、柴石さんの計画はまだ頓挫していないらしい。「バイト代も払うから」とさえ言われたけど、丁寧にお断りした。
そんなある日の放課後。
柴石さんは現れなかった。
しかし、その日ばかりは道場が異質な空気に包まれていた。
「お、やってるやってるー」
聞き覚えのない女性の声。
数人の足音を引き連れて現れたのは、スリッパの色で三年生とわかる女子生徒たちだった。
唖然とする僕ら一年生と、手を止める堀田先輩。
出迎えたのは、同じく三年の松原先輩だった。
「どうしたの、四人とも」
引きつった笑顔で松原先輩が尋ねる。
先頭に立っていた女子生徒が答えた。
「ああ、ほら。もうすぐ市の大会があるでしょ? さすがに少しは身体を動かしとかないとって、みんなで話してさ」
確かに、先日松原先輩から聞いていた。
五月の半ばに開催される市の剣道大会。インターハイ予選前の貴重な実戦機会として、僕たちも参加することになっていた。
「お、一年生三人も入ったんだ!」
三年生は明るい声で僕たちに近づいてきた。
「皆かわいい顔だね。あ、わたし部長の芝居ミキね。よろしくー」
芝居部長は僕たちの手を適当に握ると、ニヤリと笑って背中を向けた。
「あっはっは、堀田さんは相変わらず無口だね」
「……はい」
「あ、かおり、わたしたちこっちで適当にやってるから」
「あ、うん」
体操着に着替えた四人は、嬌声を上げながら練習を始めた。
……練習とも言えない何か、だろうか。適当に素振りをしながら笑い合うだけ。
「……ほら、こっちはこっちでやろっか!」
松原先輩は努めて明るく言ったけれど。
その日の練習には、僕も別府さんも、そして多田さんさえも、全く集中できなかった。
***
翌日の昼休み。
トイレから戻る途中、窓越しに渡り廊下を歩く多田さんを見かけた。
それ自体は珍しくない。柔道場へ向かうのだろう。
ただ……連れ立って歩いていたのが、昨日の三年生たちだったから驚いた。
嫌な予感がした。
喉がひりつくような、焦げ付くような予感。
僕は多田さんの後を追って渡り廊下に出た。
柔道場の中は無人だ。どこへ行った?
そう思った矢先、裏手から怒声が響いた。
「ふざけてんのか!」
慌てて、しかし足音を殺して回り込む。
そこには、壁を背にした多田さんと、彼女を取り囲む三年生たちの姿があった。
「……ふざけてなんか、いません」
多田さんは凛とした声で言った。
「だったら、何かの冗談?」
話が見えない。
とにかく割って入らなければ。
そう思ったのに、僕の足は地面に縫い付けられたように動かなかった。
「……大会には、わたしも出ます」
「……いいか一年生。基本的にうちは年功序列なんだ。団体戦は三年中心、個人戦は三年のみ。それが決まりだ。大体、お前がレギュラーに入ったら、二年の堀田が抜ける事になるだろ」
「堀田先輩は強いですから、レギュラーで出てもらいます」
その意味を理解した瞬間、芝居部長が多田さんの胸倉を掴み上げた。
「うちらの誰かが抜けろって言いたいのか!」
「……」
無言は肯定だ。
「……わたしや堀田先輩が、先輩方よりも強いだけ。わたしたちが出た方が勝てる」
「ざけんなっ!」
部長が怒鳴る。
「高校の部活で、しかもうちみたいな弱小校で調子に乗んなよ! 三年生はうちら四人で団体戦に出て、良い思い出作りたいんだよ!」
勝手な言い分だ。
普段練習にも顔を出さないのに、大会だけ出ようだなんて虫が良すぎる。
飛び出さなきゃ。
あの時、僕を助けてくれたレイくんみたいに。
でも――。
やっぱり、足は動かなかった。
怖い。震えが止まらない。
相手は女子とはいえ、四対一じゃ勝てない。出ていってどうする。
「……勝たなきゃ。今年こそ、ううん。今年は。だから、わたしはこの学校に入った」
「わたしたちが出たら勝てないって? お前一人で何が変わるんだよ」
「――変わる。少なくとも、個人戦では」
「はっ……個人戦まで出張ろうって? 一年が調子乗ってんじゃねぇぞ」
圧倒的な自信と、強い眼差し。
僕には、そんな強さがなかった。
そこで僕が取った行動は、至って単純で、最低だった。
逃げ出したのだ。
僕はこの件に関係ないと言わんばかりに、音を殺して走り去った。
だって、僕に出来ることなんて何もない。
僕は所詮、木村葵。ただの弱い男子高校生だ。
レイくんのようには、決してなれない。
***
その日の部活は、何かがおかしかった。
僕と別府さんの指導役が、松原先輩ではなく三年生の一人になっていたのだ。
「ほら、真央ちゃん。もっと頑張って!」
「は、はい!」
「……」
僕への指導は適当なのに、先輩は執拗に別府さんの素振りにいちゃもんを付けていた。
具体的どこが悪いとは言わず、「何か違う」「もっと頑張れ」という曖昧な言葉で追い詰めていく。
「それじゃ、五分休憩ね」
「は、はい!」
別府さんは返事と同時に壁にもたれかかり、へたり込んだ。
「大丈夫?」
「平気ですっ。先輩も私を思って指導してくれてると思うから、頑張らないと」
快活に笑う別府さん。
その純粋さが、今は痛々しい。
「休憩終わり。急いで」
先輩が手を叩く。
僕と別府さんは慌てて立ち上がり、すり足の練習を始めた。
その時だった。
「違うわ! もっと滑らかに!」
バシンッ!
乾いた音が響いた。
見ると、別府さんが太ももを押さえてうずくまっていた。
先輩の手には竹刀が握られている。
――叩いたのか?
「っ、」
身体が強張る。
飛び出さなきゃいけないのに、動かない。
何事も無いふりをして、練習を続けてしまう自分が情けない。
柔道場の隅で行われている「指導」に、他の部員は気づいていない。
でも、一人だけ見ていた人物がいた。
多田さんだ。
トイレから戻ってきた彼女が、入り口で僕らを見ていた。
僕は必死で視線を送った。
多田さんなら、どうにかしてくれる。助けてくれるはずだ。
だけど……。
「っ」
多田さんはプイと顔を背け、足早に柔道場の奥へ行ってしまった。
どうして。
見捨てるのか?
泣きたかった。誰よりも、僕自身が情けなくて。
体育館裏の時とは違う。別府さんは無力で、指導という名の暴力を受けている。
僕は男だ。守らなきゃいけないはずだ。
なのに、先輩たちが怖くて、場の空気を壊すのが怖くて震えている。
「ほら、早く立って」
先輩が竹刀で地面を叩く。
別府さんは痛む足を引きずりながら、必死に立ち上がった。
なんだこれ。
おかしいだろ。
そう思ったけれど……。
ついぞ、僕の身体は動かないままだった。
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