第12話
夕方。
授業が終わると共に、部活動の時間は始まる。
放課後はジャージ姿でうろついても構わないので、僕は人目につかないトイレで着替えを済ませ、柔道場へ向かった。
中には既に部員たちが集まっている。
背中を叩かれた。松原先輩だ。
さあ、マネージャー業の開始だ。
仕事は基本的に雑用メイン。
スポドリの準備、備品の整備、練習時間の計測。
本来なら筋トレのペア相手も務めるのだろうけど、僕(男)が女子と組むのは色々まずいので、もっぱら一人で雑務に勤しむ。
「……ポカリ、薄い」
「あ、すいません!」
多田さんからの容赦ないダメ出しに平謝りする。
まだ慣れていないとはいえ、ミスをするたびに怒られるかもとヒヤヒヤする。
ただ、松原先輩が「気楽にやりなよ」とフォローしてくれるのが救いだ。
マネージャーのもう一つの仕事は、練習メニューの把握だ。
うちの部には二種類のメニューがある。
一つは経験者・上級生用。もう一つは初心者用だ。
経験者組(多田さんと堀田先輩)は基礎トレの後、早々に防具をつけて打ち合いを始める。
一方、初心者の一年生・別府さんはひたすら基礎トレだ。筋トレ、素振り、すり足。地味だがキツいメニューが続く。
僕は剣道のルールすらあやふやだ。
面を決めたら勝ち、くらいの認識しかない。
「だから、道着は着なくていいけど、木村くんもやったやった」
「え、えぇ……」
まさかマネージャーとして入部して、竹刀を振らされるとは思わなかった。
別府さんの指導をする松原先輩に巻き込まれ、僕も一緒に素振りをすることになった。
素振り一つとっても奥が深い。
僕たちが教わったのは「上下素振り」という基本中の基本らしいが、これが難しい。
大きく振り上げ、膝の高さまで振り下ろす。
ただそれだけなのに、竹刀が思ったより重くてふらつく。
剣先が下がったり、軌道がブレたり。十回も振れば、へなちょこな僕の腕は悲鳴を上げて震え出す。
素振りの後は「すり足」だ。
アイススケートのように滑らかに、前後へ移動する。
これがまたキツい。太ももがパンパンになる。
「ほら木村くん。足先じゃなくて、太ももを意識して」
「は、はい!」
別府さんは一週間でかなり様になってきているらしいが、僕は生まれたての子鹿のようだ。
情けない。
そんなこんなであっという間に時間は過ぎ、練習終了。
僕は教室に戻って着替えを済ませ、再び柔道場へ。
女子たちが着替えている間、少し時間を置くのが暗黙のルールだ。
「それじゃあね、木村くん」
「お疲れ様です」
部員たちが帰っていくのを見送り、松原先輩と二人で戸締まりをする。
窓を閉め、電気を消し、鍵をかける。
「鍵は私が返してくるから、木村くんはもう帰っていいよ。疲れたでしょ」
「あ、はい。ありがとうございました」
先輩に礼を言い、僕は校門へと向かった。
足の裏が痛い。手のひらにマメができそうだ。
中々ハードな一日だった。
「うう……」
とぼとぼと歩いていると、校門の前に人影が見えた。
「……多田さん?」
「……」
多田さんは僕を見つけると、壁から背を離して近づいてきた。
また何か怒られるのかと身構える。
「ん」
「え?」
差し出されたのは、可愛いキャラクターの絆創膏と、数枚のガーゼだった。
「使いかけだけど、これだけあれば足りるでしょ」
「え? え?」
「……手と足、結構痛いんじゃない?」
図星を突かれて、ぎくりとする。
「うちの道場でも、初心者の子はみんな痛がるから。それに木村くん、歩き方が変」
「バレてましたか……」
「ばればれ」
見つめ合い、どちらからともなく吹き出した。
その流れで、一緒に駅まで歩くことになった。
会話は少ない。
元々そんなに仲が良いわけでもないし、今朝の一件もある。
多田さんはチラチラと僕の様子を伺っていた。何か言いたそうだ。
僕の不注意が招いた事態だ。
せめてもの償いとして、こちらから切り出すべきだろう。
「……どうかした?」
「……うん」
多田さんは立ち止まった。
僕も足を止め、振り返る。
「……見た、んだよね」
それは、今朝のことだろう。
ほぼ下着姿を目撃してしまったわけで、言い訳のしようがない。
僕は深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、ばっちり見ました」
網膜に焼き付いている。
だけど、多田さんの反応は予想と違った。
怒るわけでもなく、伏し目がちに「そっか」と呟く。なんだか哀しそうだ。
「……どう、だった?」
「えっ」
何を言っているんだ、この人は。
感想を求めているのか?
思い出してみる。ふくよかな胸、形の良いヒップ、白い肌。文句なしに満点だ。
「その……」
「うん」
「すごく、良かったです」
多田さんがぽかんと口を開けた。
「……は?」
「え?」
「え? 木村くんって、そういう特殊な趣味の人?」
「え、じ、自分ではノーマルだと思うけど……」
美人の下着姿を良いと思うのが、そんなにおかしいことか?
「気を使ってくれるのは嬉しいけど、本音を聞きたいの」
「いや、本音も何も、本音だけど」
どうにも噛み合わない。
僕らは顔を見合わせた。
「あのー、多田さん」
「……うん、私も何か、話が合わないって思ってた」
「見た、んだよね?」
「見ました。下着」
「うん、下着……じゃないよっ」
「え、違うの? 僕、てっきりその事かと」
多田さんの頬がカッと赤く染まる。
「わ、私がっ、キミに自分の下着姿の感想を求めてたって言うのっ!?」
「えっ、あ、違うの!?」
「そうじゃなくて! これを、見たんじゃないのかって聞いたの!」
多田さんは制服のスカートを少しだけたくし上げた。
僕は慌てて顔を手で覆う。指の隙間からちゃっかり見るけど。
白い太もも。
そこに、一つの傷跡があった。
「……傷?」
「……っ」
言われてみれば、確かに大きな傷跡だ。
多田さんはバッとスカートを降ろし、俯いた。
「……もしかして、気づいてなかった?」
「あ、うん」
だって、それどころじゃなかったもの。主に下着を見るのに忙しくて。
「……はあ、やっぱり、馬鹿みたいだよね」
多田さんは空を仰いだ。
「こんな傷、目を凝らしてなきゃ殆ど見えやしないのに……」
「……」
「ううん、なんでもない。ごめん、さっきの事は忘れて」
「さっきの事って、白い――」
「何か?」
「なんでもないです」
二人して吹き出した。
気まずい空気が、ふわりと解ける。
それから再び歩き出した。
同じクラスなだけあって、話題には事欠かない。
先生のこと、クラスメイトのこと、部活のこと。
話してみれば、多田さんは普通の女子高生だった。澄ました委員長という印象が、少しずつ塗り替えられていく。
赤信号で立ち止まる。
少し前を歩いていた多田さんが、振り返って微笑んだ。
「……どう? 剣道部」
その質問の答えは、簡単だ。
「悪くないって、そう思う」
「よかった」
ピヨピヨ、と信号機の誘導音が鳴った。
多田さんが反射的に一歩踏み出す。
その瞬間、右から車が突っ込んできた。
「危ない!」
僕はとっさに彼女の手を引き、自分の方へ引き寄せた。
勢いで、多田さんの体を抱きとめる形になる。
「青になったからって、ちゃんと見てから渡らないと」
「う、うん……」
車の風圧が通り過ぎていく。
僕の腕の中に、多田さんがいる。
僕より背が高いから、全然様にならないけれど。
「あ、その」
慌ててパッと離れる。
お互い、頬を赤く染めてそっぽを向いた。
「あ、っと。ゆ、木村って、いい匂いするんだな……なんて」
「え?」
「、いや! なんでもない、忘れて!」
「……そ、それじゃあ僕、こっちだから」
「うん。また明日ね」
手を振って別れる。
なんてことのない、クラスメイトとの別れ。
でも、何となく。
特別なことのように思えた。
◇ ◇ ◇
それから、怒涛の毎日はあっという間に過ぎ去っていった。
母さんが言うには、早起きになって、ご飯もたくさん食べるようになって、随分と健康的になったらしい。 確かに、その自覚はある。
毎朝のアラーム係は、相変わらず妹ののぞみだ。 「どうせ私も朝練で早いしね」 そう言って起こしてくれるのはありがたいけれど、容赦なく体を揺さぶられるので二度寝の余地はない。
朝練に顔を出し、夕方からは僕自身も竹刀を振る。 始めこそキツかった練習も、回を追うごとに楽しくなってきた。
それに、多田さんとの距離も近くなった気がする。 クラスメイトとして教室でもよく話すし、時々一緒に下校もする。 まあ、駅までの十分ちょっとの間なんだけど。
「お前らさ、付き合ってる?」
昼休み。
談笑する僕と多田さんに向かって、佐助が真顔で聞いてきた。
「いや」
「全然」
二人して即答で否定する。
すると佐助は、なぜか安堵したようなため息を吐いた。
「どうかした?」
「いや……先越されたって、思っただけ」
安心しろ。僕はキミよりもずっとモテないから。
佐助は爽やかスポーツマンだから女子人気も高いけれど、僕はただの影が薄い文化系男子だ。住む世界が違う。
「ただ、周りは結構疑ってるみたいだぜ」
佐助に言われて教室を見渡すと、サッと視線を逸らすクラスメイトたち。
どうやら、僕と多田さんの組み合わせは注目の的らしい。
美人の委員長と、パッとしないマネージャー。確かに噂にはなりそうだ。
「いや、全然。これっぽっちも。大体、木村は私の好みと正反対だし」
当の本人は、心外だと言わんばかりに完全否定した。
付き合っていないのは事実だけど、そこまで強く否定しなくてもいいじゃないか。地味に傷つくぞ。
「……ま、そりゃそっか」
「え?」
「いや、こっちの話。ほら、もう昼休み終わるぞ」
佐助が意味深に呟いて、会話を打ち切った。
なんだか、もやもやする。
そんな、ある日のことだった。
朝、下駄箱を開けると、上履きの上に置かれた白い封筒に気がついた。
「ん?」
手に取り、宛名を確認する。
間違いなく、僕の名前が書かれている。
学園ドラマではおなじみでも、僕の人生においては初めて遭遇するイベントアイテム。
――人気の少ない時間に、二人で会いたい。
端的にそう記された、正真正銘の「呼び出し状」だった。
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