第9話
校門を出て、とぼとぼと歩く。
不意に、肩に手が置かれた。
「よう」
「……佐助」
振り返ると、部活帰りの佐助が立っていた。
自然と並んで歩き出す。
「えらい遅くまで見学してたんだな」
「まあね」
「で、どこに入るかは決めたのか?」
その質問に、僕は盛大なため息で返事をした。
経緯を説明すると、佐助は呆れ顔になる。
「あれだけ時間があって、一箇所しか見学してないのかよ。しかも、女子剣道部のマネージャーって……正気か?」
「別にいいだろ」
「悪くはないけどさ。……しかし、剣道部か」
そこで佐助は言葉を濁した。
信号待ちの交差点。彼は何か言いたげに視線を彷徨わせる。
「正直、おすすめはしないぞ。お前、朝弱いじゃん。朝練とかどうすんだよ」
「うう、それはそうなんだけど……」
「先生に言って、少し期限伸ばしてもらえよ」
佐助の言う通りだ。
マネージャーの仕事は大変そうだったし、何より多田さんにも反対された。
部活動に熱意を持たない僕が、あんな真剣な場所に飛び込んでいいはずがない。
「多田さんにも、反対されたしなぁ」
「多田? 同じクラスの?」
「うん」
「……そうだろうな」
佐助が妙に納得したように呟く。
「何?」
「ああいや、なんでもない。……それより、後悔しないように決めろよ」
分かれ道で佐助と別れ、僕は帰宅した。
◇ ◇ ◇
自室に戻り、学ランを脱ぎ捨てる。
Tシャツに制服のズボンというラフな格好でベッドに転がると、ポケットのスマホが震えた。
レイくんからだ。
『高校は慣れた?』
「……ぜんぜん」
僕は今日あったことを打ち込んだ。
部活動が強制参加であること。運動部にするか文化部にするか迷っていること。
「ちなみに、レイくんはやっぱり剣道部? っと」
返信はすぐに来た。
『うん、そうだよ』
続いて、吹き出しが増える。
『でも、まもるさんは文化系の方があってる気がするなぁ。茶道部とか華道部とか、すっごく似合うと思う』
『だらしなさ満点のまもるさん的には、ありえないかもだけど(笑)』
「あ、はは……」
乾いた笑いが漏れる。
ふと、部屋の姿見に目が止まった。
あの頃とは少し変わった。
背も伸びて百六十センチ強。男子にしては小柄だけど、極端に低いわけじゃない。
筋肉は相変わらずないし、撫で肩だけど、体つきはしっかりと「男子」になっている。顔つきだって、それなりに精悍になった……はずだ。
「ただ、なぁ……」
声帯を震わせる度、絶望する。
これだけは、昔と変わらない。いや、声変わりを終えて、むしろ悪化した気さえする。
電話に出れば必ず「娘さんですか」と聞かれる声。
意識して低く作らなければ、誰が聞いたって女の子の声なのだ。
見てくれが中性的だからまだマシだけど、これで佐助みたいな男らしい風貌だったら、悲劇でしかなかっただろう。
「って、返事しなきゃ」
『自分でもそう思うよ。運動とか、本当にからっきしだし』
苦笑いしながら打ち込む。
だって、僕は身体を動かそうなんて思っていない。
マネージャーなら、運動音痴でも務まると思ったから。
でも、本当の理由はそれだけじゃない。
僕が剣道部に見学へ行った理由。
そこには間違いなく、彼――レイくんの存在があった。
僕にとって、レイくんは憧れの対象だ。
あの日、情けなく震えていた僕を、颯爽と救い出してくれたヒーロー。
少しでも近づきたかった。彼の見ている景色を、僕も見てみたかった。
ピコン。
また、通知音が鳴る。
『でも、興味があるなら飛び込んでみるのもいいんじゃないかな?』
『思う所があるなら、試してみてもいいと思う。やり直しはきくんだから』
「…………」
スマホを握りしめる手に力が入る。
――もし、レイくんが同じ学校の剣道部に居たとしたら。
僕は迷いなく、マネージャーとして入部していただろう。
彼の手助けになれるなら、どんなキツい練習だって耐えられるのに。
「あおい、ご飯よー」
「あ、はーい」
母さんの声で現実に引き戻される。
僕は打ちかけの文章を消し、短く返信した。
『ごめん、ご飯できたみたい。またね』
スマホをベッドに放り出し、部屋を出る。
リビングへ向かう廊下の途中。
背後の自室から、再び「ピコン」と通知音が響いた。
僕は足を止めることなく、階下へと降りていく。
そのメッセージが、僕の運命を決定づける「最後の一押し」になるとも知らずに。
◇ ◇ ◇
翌日。
僕はいつもより早く起きて学校へ向かった。
部活の朝練に出る佐助と時間がかぶるかと思ったけれど、あいつの姿は見えない。
昨晩色々と考えた結果、入部先は決まらなかった。
だから、ホームルーム前に担任を訪ねて期限を延ばしてもらおうと考えたのだ。
校門前に到着し、一息。
そこで、思わぬ人物と出くわした。
「……おはよう」
「あ、うん」
声をかけてきたのは、多田さんだった。
学校指定のジャージに身を包み、首からタオルをかけている。汗だくの姿からして、ランニングの帰りだろう。
「朝練?」
「そ」
多田さんは短く答える。
「木村くんこそ、どうしたの。こんな早朝に」
「部活の申請期間を延ばしてもらおうと思って」
「なるほど」
「剣道部は気に食わなかった?」
「え。あ。いや」
「ふふ、冗談」
いたずらっ子のように笑う多田さんは、教室で見せるクールな委員長とは別人のようだった。
この顔は、なんだか……可愛いかもしれない。
「これって、部活の朝練?」
「そ。ほら」
彼女が指差した先には、ウォータージャグを抱えた松原先輩の姿があった。
その後ろを、大きなあくびをしながら竹瓦先生がだらだらと歩いている。
「それじゃ、私もう一周してくるから」
「あ、うん」
多田さんは再び走り出した。
「入部もしていないのに! 木村くん、やる気じゃないか!」
松原先輩が目を輝かせて駆け寄ってくる。
「あ、今日は別件で」
「……なんだ。でも、せっかくだから手伝っていきなよ!」
「え、ええー……」
なし崩し的に、マネージャーの手伝いをさせられることになった。
といっても、走ってくる部員に紙コップを渡すだけの簡単なお仕事だ。部員は三人しかいないし。
「水分補給は大事だからね。……あれ? そういえば澪ちゃんがいないな。いつも一番なのに」
「ああ。多田さんなら、もう一周してくるって」
はっとした。
もしかして、僕がいたから気まずくて逃げたのか? だとしたら悪いことをした。
そうこうしているうちに、赤いジャージを着た二年生――堀田先輩が戻ってきた。 松原先輩に背中を押され、僕は渋々紙コップを持って近づく。
「ど、どうぞ」
「…………」
堀田先輩は無言で僕を見つめ、少し考えてから小さく「ありがとう」と呟いた。
見慣れない男子に警戒しているのかもしれない。
そんな時。
曲がり角から多田さんが戻ってきた。
校外一周にしては早くないか?
よく見ると、彼女の前には今にも倒れそうな一年生の女の子が走っていた。
のろのろとした走り。
多田さんはすぐに追い抜けるはずなのに、速度を落として彼女の横を並走している。
まるで、背中を押すように。無言の応援を送るように。
「はっ、はぁぁぁ……つ、ついたぁ……」
校門に辿り着いた瞬間、その女の子は地面にへたり込んだ。
松原先輩がすぐに駆け寄る。
僕は汗を拭う多田さんに近づき、紙コップを差し出した。
「あ、多田さん」
「……まだ居たの」
「あ、はは」
「まったく、松原先輩ね? 木村くんって、頼み事されたら断れないタイプだよね」
多田さんは呆れつつも水を受け取り、一息に飲み干した。
ごくごく、と喉が鳴る音が心地いい。
「ぐうの音も出ません」
僕はスマホで時間を確認した。
そろそろ職員室へ行かないと。
「そ、それじゃ僕行きますね」
「ああ、はいはい。先輩には言っとくね」
多田さんはそっけなく手を振った。
校門から校舎へ向かう途中、僕はふと振り返った。
余裕そうに水を飲む多田さんと、地面で伸びている一年生。
きっとあの子は初心者で、運動も苦手なのだろう。
だけど多田さんは驕ることなく、彼女に合わせて走っていた。
人によっては嫌味に感じるかもしれないけれど、彼女に限ってそれはない気がする。
なんとなく、だけど。
「面倒見いいんだよな、多田は」
「え?」
突然の声に驚いて振り向くと、竹瓦先生が立っていた。
口には火のついていないタバコを咥えている。
「……ここ、校内ですよ」
「火は点けてないだろー。少し歩けば校外だし」
「そういう問題ですか」
「そういう問題だ。朝練の顧問は煙草でも吸わなきゃやってられん」
先生はタバコを指で弄びながら、遠くの多田さんを見つめた。
「なあ、木村。お前から見て、多田はどうだ?」
「え?」
「まんまの意味さ。かわいいだの、好みだの、なんでもいいぞ」
「生徒になんて質問するんですか」
呆れながらも、僕は素直に答えた。
「……責任感があって、面倒見がいいタイプだと思います。ちょっと男子には厳しいですけど。それに、剣道も上手いんですよね?」
「まあな」
「少しだけ……可愛いところもあるかな、なんて」
最後の一言は、小声で付け足した。
先生は僕に背を向け、校門の方へと歩き出す。
そして、すれ違いざまにポツリと言った。
「俺は、少し怖いって思うがな」
「――え?」
怖い? 何が?
先生の言葉の意味が分からなくて、僕は立ち尽くした。
朝の爽やかな光の中で、その言葉だけが妙に冷たく響いていた。
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