第8話
女子剣道部の活動場所は柔道場だ。
専用の道場はないものの、そもそも我が校には柔道部が存在しないらしく、実質的に彼女たちが占領しているらしい。
扉を開けると、フローリングの上に置かれた畳から、裂帛の気合いが響いた。
「めぇええ!」
竹刀と竹刀がぶつかり合う、乾いた音。
剣道着に身を包んだ二人の生徒が、激しく打ち合っている。
どうやら、ちょうど一本が決まった瞬間だったらしい。
二人は礼をして、同時に面を取った。
技を決めた方の生徒を見て、僕は息を呑んだ。
手ぬぐいで前髪を上げ、玉のような汗を流すその凛々しい姿。
クラス委員長の、多田澪さんだった。
「見学? ごめんなさいね、うち、男子部はないのよ」
呆けていた僕に、声がかかる。
振り向くと、青い体操着を着た上級生が立っていた。
「え? あ、いえ。その、マネージャーの募集を見て」
僕が答えると、先輩は「まあ!」と目を輝かせた。
「今年もダメかもって諦めてたの! 私、マネージャーで三年生の松原かおり! 体操服持ってる? あ、でも更衣室が一つしかないから……とりあえず時間を決めて――」
「ちょ、ちょっと待ったっ! け、見学に来ただけですからっ!」
ぐいぐい来る松原先輩に圧倒され、僕は慌てて後ずさる。
「あ、ごめんね! 私ったら、嬉しくて取り乱しちゃった」
「い、いえ……僕も、誤解を招く言い方でした」
そんなやり取りをしていると、道着姿の多田さんが近づいてきた。
「……木村くん?」
「あ、多田さん」
タオルで汗を拭いながら、多田さんは怪訝そうな顔をする。
「あれ? 澪ちゃん、知り合い?」
「……同じクラスです」
「そうなんだー。もしかして、これな関係?」
松原先輩が小指を立ててニヤリと笑う。
多田さんは即座に「違います」と否定した。
「またまたぁ。マネージャー志望の男子なんて怪しいと思ったんだよね。しかも澪ちゃん狙い?」
「違いますって。というか木村くん、マネージャー志望って……本気?」
多田さんの鋭い視線が突き刺さる。
「えっ」
「誰が目当てか知らないけど、辞めた方がいいよ。女子の部活に男子が入るなんて、居心地悪いだけだから」
冷たい言葉に、少しムッとした。
まるで僕が不純な動機で来たみたいじゃないか。
「そんな言い方しなくてもいいだろ。別に下心なんてないよ」
「男子なんて、みんなそんなものじゃない?」
「偏見だよ」
「どうだか」
睨み合う僕らを見て、松原先輩が茶化すように言う。
「おやぁ? 木村くんはうちの部の娘たちじゃ不満だと?」
「へ? あ、いや……そういうわけじゃ……」
「ほら、やっぱり!」
「あーもうっ、社交辞令だってば!」
肯定も否定も地雷になる状況に、僕は頭を抱えた。
見渡せば、柔道場には僕らを含めて五人しかいない。
これで全部員だとすると、随分と小規模だ。
「……先輩。お茶、なくなっちゃった」
奥から声がかかり、松原先輩が「ごめん、すぐ行く!」と走っていく。
残された僕と多田さんの間に、気まずい沈黙が流れた。
多田さんはエナメルバッグから水筒を取り出し、一口飲む。
「……ま、どうせ入るつもりなんてないだろうから、見学が終わったらすぐ帰ってね」
「いちいち棘があるなぁ。僕が隠れた剣道の達人だったらどうするんだ」
「ありえない」
僕の冗談は、羽虫を払うように一蹴された。
「男のくせにそんな線の細い身体で。どうせスポーツ経験もないんでしょ?」
「ぐぬぬ……」
図星すぎて言い返せない。
悔しいので、苦し紛れの反撃に出る。
「でも、多田さんだってすごく細いじゃんか」
「……そんなことない。筋肉ばっかりで、女の子らしい肉付きは皆無だし」
「……そう?」
僕の視線は自然と、彼女の豊かな胸元へ――って、いかんいかん!
慌てて首を振る。
「どうかした?」
「な、なんでもないよ!」
危ない。
やっぱり女子剣道部のマネージャーなんて無謀だったか。
面倒くさそうな予感しかしない。
適当に切り上げて帰ろう。そう思った時だった。
「そういえば多田さんって、経験者?」
他の部員と比べても、彼女の動きは段違いに見えた。
多田さんは「まあね」と短く答える。
「小さい頃からずっとやってるから。実家、道場なの」
「へえ」
実家が道場。
その言葉に、ふと「レイくん」を思い出した。
彼の実家も道場だったはずだ。剣道一家って意外と多いのかな。
「剣道は経験が物を言うから。才能や努力も大事だけど……試合勘とか、培ってきた時間が一番の武器になるんだ」
真剣な眼差しで語る彼女は、普段の冷たい態度とは違って、なんだか格好良かった。
嫌味がない。本当に剣道が好きなんだと分かる。
多田さんは「さて」とタオルを巻き直し、竹刀を手にした。
「それじゃ、さっさと帰っててね」
彼女が練習に戻るのを眺めていると、背後から気だるげな声がかかった。
「……およ、どうした木村。こんな所で」
担任の竹瓦先生だった。
相変わらずやる気のない様子で、よっこらしょと床に座り込む。
「先生って、もしかして」
「ん? ああ、俺ぁここの顧問だよ。前任がいなくなって押し付けられたんだ。ついてねぇよな」
聞いてもいないのに愚痴り始める先生。
部活の顧問はブラックだと聞くけれど、生徒の前でここまであからさまに言う大人がいていいのだろうか。
「先生って、剣道経験あるの?」
「うんにゃ……ん? ってかお前、敬語使えよなー。ま、いいけど」
先生はポケットから煙草を取り出しかけ、屋内だと気づいて舌打ちをした。
「それじゃ、俺ぁトイレ行ってくるから。見学なら、もっと肌の露出が多いクラブにするんだな」
「なっ、ぼ、僕にそんな邪なつもりなんてっ」
先生はヒラヒラと手を振り、喫煙所へ消えていった。
「ふふ……変わった先生でしょ?」
お茶汲みから戻った松原先輩が苦笑する。
「まあ、担任だから知ってましたけど」
「でもね、ああ見えて不思議な人だよ? 時々、妙に説得力があること言うし」
「……そうですか?」
僕にはただの無気力教師にしか見えないけれど。
それからしばらく練習を眺めていた。
竹刀の音、気合の声、汗の匂い。
なんだか懐かしいような、不思議な感覚。
気づけば日は暮れ、下校時刻が迫っていた。
僕は立ち上がり、帰ろうとして――ふと、あることに気づいた。
あれ? そういえば、なんで「マネージャー募集」なんてしていたんだろう。
部員は少ないし、松原先輩ひとりでも回せそうなのに。
その疑問は、翌日。
予想もしない形で解消されることになる。
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