聖なる魔女
聖女の一日はゆったりと始まる。昼前に起床し、床に届かんばかりの艶やかな桃色の髪を小一時間程かけて侍女に整えさせた後、ようやく天蓋付きのベッドから出る。
原生林かと見まごうほどの植物が生い茂った彼女の部屋は、実際王城の中庭の一つを改造したものだ。なので、天井は無く陽の光が木々を通して差し込んで心地が良い。雨の心配などない。聖女の結界に弾かれるから。暑期や寒期による温度変化の心配もない。結界の中は、生物が生存するのにこれ以上ない快適な環境だから。
起きてから時間は経っているがまだまだ眠気の取れない聖女は、ぼんやりとした足取りで中央の四阿へ移動し側近に嗜好品としての珈琲を淹れさせる。
聖女は食事を必要としない。大気中の魔素を取り込み生きている。珈琲を飲むのは香りが好きなのと、人々がそうして脳を覚醒させているからに過ぎない。実のところ聖女にはそういったものが効かないが、偽薬効果を期待しているのだ。なお、タネが割れている為効果はない。
「それではテア様。本日の予定を読み上げます」
側近は頬のこけた痩せぎすの老人だ。テアは昔の彼を知っているが、今は見る影もない。端正な顔立ちで、野生的な性格の魅力的な男性だった。彼は若くして帝国将軍の地位にあって、ひとたび戦場に出れば圧倒的な力で以って蹂躙し勝利を収めていたが、それに頼り過ぎた。要するに、罠に掛かった。守りを任されていた砦を落とされ敗走。その際に両脚と片腕を失った彼は、実力主義の帝国軍にはもう不要である。敗北によって自尊心を打ち砕かれ、追い討ちにこれまでの仕返しとばかりの周囲からの嘲笑・侮蔑は彼の心を折るには十分だった。
それからしばらくしてテアが帝国に召し抱えられ、傷痍軍人を癒して周っている時に二人は出会う。もちろん欠損した手足を再生してもらったが、身体は使わなければ衰える。戦線に戻るには、治療するのが遅すぎた。戦えなくなった彼をテアは拾い上げ、今日に至るのだった。
「──以上となります。何かご不明な点はありますか?」
「うんとねぇ、あんまり聞いてなかった。もう一回お願〜い」
クソババアが。と側近は内心で毒づきもう一度予定を読んだ。テアは読心の魔法が使えるので人の考えている事は彼女に筒抜けだが、彼はそれを知らない。臆病で人の目を気にしてびくびく生きているそのくせ心の内では生意気、完全に折れ切っているわけではない。そういったところが気に入っているので特に咎めはしない。いつものことだ。むしろ、悪態をつかれたいがためにわざとやっている。
しかし、お婆ちゃんじゃないもん。とは反論したい。聖女は不老である。見た目はうら若き乙女だ。この姿も相まって帝国内では絶大な人気を誇り、各地に銅像が建っている。テアこそが教典に記されている女神そのものなのだと民は信じて疑わない。近頃は教典の表紙や挿絵に彼女の姿をあしらったものもあり、お堅いイメージが払拭されていると若年層に大変ウケが良い。
「──以上となります」
「はいはぁーい! ご不明な点、あります!」
「なんでしょう?」
「あれぇ? 今ので忘れちゃった。んふふ」
呆け老人め。死ぬまでに一度は殴ってやる。
イマイチ罵倒にキレがないなぁ。最近やりすぎていたし、少し間を置こうかな。
昔は顔を顰めていたりした側近も、すっかり表に出さなくなった。テアはそれがつまらない。老人は確か認知機能の低下等によって怒りの沸点が低いはずだがどうしてだろう。あぁ、自分が治しているのだった。あるいは慣れか。もう四十年近くもの付き合いだもの。
予定なんてどうでもいい。どうせ結界の点検とたまに街に出て愛想を振り撒くくらいしかないのだから。重篤な患者はもう治し尽くして国内にはいないし、軽微なものなら聖女の手を煩わせるのではなく病院へかかれば良い。あとは貴族との会食もあったりするが、この上なく退屈なので最近は断っている。
「それでは、修復をお願いします」
「ほいっと。終わり! 次は?」
結界の修復にわざわざ現地まで赴く必要はない。遠隔でできるため、ものの数秒で終わらせられることが出来る。つまり、予定と言える程の予定なんて滅多に無い。現に、ここ数年何も無い。
「本日の予定はこれで終了となります」
「えぇ〜! ねぇねぇ、もう何処どこの結界の修復って一個ずつ言うのやめてよ。長いから何かあるって思っちゃうじゃん。結界は一括で貼り直すんだから意味ないよ」
「承知しました」
「あっ、そうだ。エッカルトはさ、この後予定ある?」
「ありませんが」
「じゃあさじゃあさ、一緒にお出かけしようよ。海を見に行きたいの」
「仰せのままに」
「やった〜。準備してくるから待ってて!」
テアは聖女としての外出ではないため祭服ではなく、街の服屋で見つけたお気に入りのカラフルなパッチワークのワンピースと濃紺のキャペリンを身につけ、民に見つかり群がられないよう王家の仰々しいものではない普通の馬車に乗ってエッカルトと街に繰り出した。所謂お忍びである。靴は履いていない。聖女は穢れないからだ。
出てみれば街は騒々しかった。旗や飾りがそこかしこに張り巡らされている。よく聞いてみれば、喜びだとか楽しみだとかの陽気なものだ。真昼間だというのに酒気を帯びているものもある。
なんだったかと思いを巡らせると、そうだ。明日は建国九十周年だった。テアは祭事が好きではない。厳密には一個人として屋台の食事を楽しんだりするのは好きだが、彼女は聖女の立場であるためそうはいかないのだ。あまり着心地の良くない祭服を着させられて長時間拘束されるのだから堪ったものではない。
そういえば演説用の長々とした台本を渡されていた気もするが、開いてすらいないし、失くした。前回も前々回も無視して「この平和が永く続きますように」みたいな適当なことを言ったが、民は感動していたっぽいし特に怒られはしなかった。それで良いのなら台本は作るだけ無駄だ。他の仕事をするべきだ。それにしても、侵略国家が平和を語るのは随分とお笑いだな。今回はもうちょっと面白いことを言おう。とテアは思索に耽っていた。
帝都を抜けた後は魔法で馬を加速させ、街道を一気に駆け抜ける。帝都は広大な大陸の中央付近にあるため、そうしなければ海に着くには何日もかかってしまうからだ。森を越え、山を越え、どんどん景色を置き去りにしてテア達は海にたどり着いた。
海は海でも典型的な砂浜ではなく、まさに陸の端と言える説得力のある断崖絶壁である。確かに海は見えるが……。とエッカルトも肩透かしを食らったのか、多少の困惑が含まれた心の声を発していた。
「いーい眺めだねぇ〜」
前面百八十度広がる水平線には海獣や魚が跳ね水飛沫が舞う。空は赤づき始め、海鳥達は帰巣に羽ばたく。岩肌に打ちつける波の音が心を落ち着かせ、潮風の強い有機的な匂いは……久しぶりなものだから、キツい。
「そういえばぁ、エッカルト。アレはどうなったの?」
「アレ、とは?」
「ほら、アレ。ずっと前に言ってた私の魔法を解析してある程度誰でも使えるようにするやつ」
二十年程前に大陸統一を成し遂げた帝国はゆくゆくは別大陸、世界を征服するためにとある研究開発に乗り出した。これまで独占状態にあった聖女の魔法を解析し体系化させ、堅牢な、不死の兵隊を作り上げるために。既存の対人魔法も、多くの帝国兵が使えるようになっているのだから出来ないことはないだろう、と。実力主義とはいえ、帝国は特定個人に依存する脆弱性を放ってはおけないのだ。
「その件でしたら、明日の建国九十周年祭礼にて発表されるはずです。完全ではないものの既に少なくない数の兵が使えるようになっているため、出征は近いかと」
「そっかぁ。もうそんな時期なんだね」
「そうだ。貴様の時代もこれで終わりよ」
テアの胸に風穴が開いた。血は出ない。聖女の体内に流れるのは、魔素だけだから。何が起きたかわからないといった様子の呆然とした表情をし、次の瞬間には声を発することなく頭も撃ち抜かれた。エッカルトの対人魔法によって。
「ふう。上手くいったわい。本当は苦痛に泣き叫ぶ顔を拝んでやりたかったが、仕方がない」
元々エッカルトは対人魔法が使えなかった。だからこそ帝国軍内で立場を無くしていったわけだが、どこか燻り続けている心を原動力とし裏で牙を研ぎ続けていた。ここで聖女を殺す利点など何一つ存在しないが、これまでのエッカルトに対するテアの態度は彼を衝動的な凶行に走らせるには必然ではないにしろ十分だ。復讐は、遂げられた。
聖女の癒しの力は絶大だ。念には念を、とエッカルトはテアの身体を完全に消し去り、大地に座り込んで一息つく。今後はどうするか? どこか教会に身を寄せて人並みの余生を過ごしても良い。目的を達成した今、くだらないプライドだとか、そういったしがらみからの解放、自由になった気がした。
「あーあ。あの服、お気に入りだったのに〜」
そう思ったのも束の間、エッカルトの背後から雰囲気にそぐわない、聴き慣れた間の抜けた声がした。彼は振り返り、驚愕した。そこにはテアが一糸纏わぬ姿で立っている。
「なぜ……何故ッ!?」
「んふふ。いいねぇ、その表情。久しぶりに見た。やっぱりそっちの方が素敵よ、エッカルト。どうだった、私の演技? いよっ! 名女優!」
エッカルトは動けなかった。腰が抜けたとかではなく、金縛りにあったかのように身体が固まっている。テアの魔法だ。顔は唯一動かせるので、これから凄惨な目に遭わされるのであればその前にと舌を噛み自死を試みたがすぐに再生されてしまった。テアはエッカルトにしなだれかかる。
「エッカルトはさぁ、このまま帝国が世界に出たとして勝てると思う?」
テアはエッカルトに敵意を見せず、何事も無かったかのように先程の話の続きを始めた。緩んだ中で一気に「何故?」が押し寄せた彼の心は破裂寸前で、答える余裕はない。それでもどうにか生き残る道を探るために口を動かそうとするが、声が出ない。ただ、パクパクとしているだけだった。
「喋れないか。じゃあ一人で喋ってるね。えっとねぇ、勝つのは無理かな。天地がひっくり返ってもないよ。うーん、どこから話せばいいかなぁ。とりあえずね、エッカルトがさっき私にやったやつ。あれのもっと凄いのが降り注ぐの。この大陸の一定の海域から出た途端に粉微塵にされちゃう。それはね、魔法じゃなくて科学っていって──」
魚雷、誘導ミサイル、衛星兵器。訳のわからない言葉を並び立ててテアは話し続ける。あまりにも現実感のない話は、逆にエッカルトを徐々に落ち着かせていった。声も出せるようになっている。
「そのような話は聞いたことがない。周辺の大陸国の文明レベルは劣っていると調べがついていたはずだ」
「まぁー普通そう思うよねぇ」
「仮にそうだとして、それでは何故この大陸は、この国は滅んでいない? その発展した技術とやらは、聖女の魔法を貫くのだろう?」
「話聞いてた? あなた達が使う聖女の魔法とやらはそうだけどね。私のは特別だよ。込める魔素も段違いだし。あと別にこれは聖女の魔法じゃないよ。教典を参考にして私が作ったの。そうしたら簡単に帝国は私を担ぎ上げちゃった。びっくりするほど上手くいって面白かったなぁ。おっと、話が逸れちゃった。それでね、正確には帝国は滅びたよ。現代兵器にやられたとかじゃなくて、結構普通に。帝国の目まぐるしい発展は私の魔法のおかげでしょ? どのみち大陸は統一できたんだけど、もっと、もぉーっと時間がかかった。その間に力をつけた周辺の大陸国から袋叩きにあったんだよね」
「悪いが、ずっと何を言っているか理解ができない。何故儂は、帝国民は生きている?」
「んふふ。ご不明な点ばかりだよねぇ。私ね、他にもいっぱい魔法が使えるんだよ。戻してあげたの。時間を。時間をね、戻してあげたんだぁ」
すっかり陽は落ち、辺りは暗闇が包んでいた。月明かりに照らされた二人は静謐な宗教画のような雰囲気が漂っている。事情を知らない男が見れば是非ともその枯れ枝と立ち位置を替わりたいことだろう。それはエッカルトも望むところだ。神秘の象徴だったはずのテアからは、得体の知れない、昏く悍ましい何かを感じる。
「この大陸を丸々結界で包んで巻き戻しているの、皇暦51年始めから89年終わりまでをずっと、ずぅーっと繰り返してる。どれくらいだっけなぁ。数十回、数百回。発展するには十分な時間だよね」
「89年……? 明日は来ないのか? 今日、何に滅ぼされる? 何故、何のために繰り返す!?」
「何って、私に。来るその時は直前まで幸せな方が良いよねぇ。一回だけ90年以降もやってみたけど、すぐにエッカルトが寿命で死んじゃってつまんなかったから。何のために繰り返してるかは……」
テアは言葉に詰まった。そして悩める年頃の娘が見せるような、紅潮した顔で囁く。
「エッカルトのことが、好きだから」
「……は?」
「一目惚れだったんだぁ。私が何の力も持たない、本当にただの人間だったころ。隣国に出征する騎兵団の行列にいた貴方は、カッコよかった。私ね、頑張ったんだよ? 貴方に釣り合う私になるために、すっごく。エッカルトの全部が好き。だから、いろんな表情が見たくてついイジワルしちゃう。喜怒哀楽を全部、ぜぇ〜んぶ見るまでこれは終わらない。終わらせない。でもまだね、勉強中なの。いずれはヒトの寿命も超越させて、この先を見せてあげる。世界の行く末を、永遠を」
「貴様はッ……! 貴様は狂っているのか!? 何なのだお前はァ!」
「えぇ〜、ヒドいよぉ。オンナノコなら誰もが一度は夢みるでしょ。おっと、そろそろ時間かな。それじゃあ、またね。……そうだ! 次に記憶を持ち越させてあげるね。今度は負けないで」
今にも狂いそうになるこの状態のまま? 冗談ではない! 未来を知っていても、この女と、魔女と、悪魔との出会いは避けられない。永劫に安寧などないのだ。遂に叫び出そうとしたエッカルトだったが、直後に何か硬いものに頭を撃ち抜かれそれは叶わなかった。
皇暦51年。エッカルトは絶叫と共に起床した。




