9.これもう祝福じゃなくて呪いだろ!
俺達以外誰もいない森の中で、剣先をこちらへと向け、静かな殺気を放つカタリーナ。
彼女と俺の間には、かなりの距離がある。
だというのに、まるで喉元へ剣を突きつけられているかのような錯覚を受けた。
一歩でも動いたらやられる。
今の俺はさしずめ、ドラゴンにでも睨まれたゴブリンと言ったところだろう。
ただ、このままでいたら俺がビビっているのがバレて、彼女が斬り込んでくるかもしれない。
どうにか誤魔化さなければ。
「お……おいおい、わざわざこんなところまで来て、そんなに俺に会いたかったのか?」
軽口を叩いてみるが、肩に変な力が入っているせいか、舌がうまく回らない。
声も上擦ってしまう。
頼む!
気づかないでくれ!
「誰が……いや。」
俺の言葉に反応して、わずかに眉をひそめるカタリーナ。
しかし、それもほんの一瞬のこと。
彼女は小さく息を吐き、すぐに冷静な表情へと戻った。
「そうだな。」
そして、短くそう答えると押し黙る。
俺のことを見据える茜色の瞳からは、油断も慢心も一切感じられない。
……マズいな。
全くもって隙が無い。
別に、あの化け物とまともに戦えるなんて大それたことを考えてはいない。
けれども、これでは逃げることすら難しそうだ。
何をするのが最適なのか、思考をフル回転させて正解を探るが、俺の脳内シミュレーションでは何をやっても彼女にやられる未来しか見えない。
……そうだ!
ヤトは?
顔をカタリーナへと向けたまま、横目でヤトを見る。
「zzz」
ダメだ。
この緊迫した状況なんてお構いなしに眠ってらっしゃる。
全然起きる気配もないし、彼女は当てにできそうもない。
せめて加護の力を使えれば……。
そんなことを考えていたら、徐にカタリーナが口を開いた。
「同じ加護を持つ者は、互いに引き合うと言われている」
なんだそれ?
加護ってそんな効果もあるのか。
「……磁石みてーな話だな。んで、それがどうしたってんだ?」
だが、今はそんなことどうでもいい。
それよりも、どうにかしてカタリーナの話を引き延ばして、少しでも策を練る時間を稼がなければ!
「あの時、私は自分の目を疑った。まさか、貴様も太陽神様から加護を授かっているとは、と」
感情を押し殺しているのか、淡々と冷たい口調で語るカタリーナ。
あの時というのはたぶん、監獄で彼女の加護を防いだ時のことだ。
当時はなぜ防げたのかわからなかったが、今思えば太陽の加護が何かしらの作用をしたのだろう。
「だが、大した目撃情報も得られぬ中、こうしてすぐに貴様を発見できたというのは、そういうことなのだろう」
そう言うと、カタリーナは目を閉じて小さく息を吐く。
彼女の口ぶりからすると、加護の特性を頼りにほぼ勘だけで俺を追ってきたことになる。
……なんだか加護が神から与えられた祝福じゃなくて、呪いのように思えてきた。
「太陽神様が何を思って貴様へ加護をお与えになったのかはわからん。……だが!」
カタリーナの目が力強く開かれた。
剣を持つ彼女の手に、わずかに力が入る。
「カタリーナ・フォン・シュロートの名において、今度こそ貴様を捕らえる。月神セレーネの封印を破った罪、その命をもって贖うがいい!」
名乗りを上げ、威勢よく啖呵を切ったカタリーナ。
そのままこちらへ踏み込んでくるのかと思いきや、すぐには攻撃を仕掛けてこなかった。
視線を俺に向けたまま、その場で佇んでいる。
なんだ?
やけに慎重だな。
よくわからんが、もう少しだけ話を引き延ばせるか……?
「な……なあ、前も思ったんだが、セレーネの封印を解いたってなんのことだ?」
カラカラに乾いた口を無理矢理動かし、カタリーナへと問いかける。
場当たり的に出てきた質問ではあるが、なぜ俺が牢屋で目を覚ますことになったのかに繋がる話であり、俺が知りたいことでもあった。
どうだ?
乗ってくるか?
「何を白々しいことを……」
呆れたように鼻を鳴らすカタリーナ。
「シーゲルの祭壇にて月神の封印が解かれた時、その場には祭壇の前で倒れている貴様以外誰もいなかったのだ。犯人は貴様だというのは、疑う余地もない」
シーゲルの祭壇……という場所に覚えはないが、どうやら状況証拠が揃ってしまっているらしい。
それに、セレーネも『私の封印を解いてくれた』と言っていたし、俺が封印を解いたのは間違いないようだ。
「どうやってあの警備を掻い潜ったのかはわからんが……まったく、忌々しい!」
俺へと向けられたカタリーナの視線が険しいものに変わっていく。
しかし、なぜセレーネは封印されていたんだ?
「この千年間、太陽神様が月神の力を抑え込んでくださっていたというのに……」
この言い方だと、月神は邪神のような存在に聞こえるな。
いやまあ、あのヤバそうな雰囲気を見たからわからんでもないが。
それで、カタリーナが信奉する太陽神が、その月神を封印していたと。
もしかして、太陽神と月神って敵同士なのか?
どちらの神からも加護を受けている俺としては、不仲な上司の間に挟まれたみたいで、なんだか複雑な気分だ。
思わずため息が出る。
すると、この張りつめた空気に似合わぬ間の抜けた声が不意に聞こえてきた。
「……ギャウ……」
寝返りを打ったヤトの寝言だ。
幸せな夢でも見ているのか、頬が緩み切っている。
こんな状況じゃなければ、頬でも撫でていただろう。
「……ドラゴン!」
カタリーナが大きく目を見開く。
もしかして、今まで気づいてなかったのか?
こんなにも近くにいたのに?
彼女はこんなにも視野の狭い人間だっただろうか?
それとも、ドラゴンに気づかない程……
「貴様、ドラゴンの密猟まで!」
「は?」
密猟って……
どう考えても俺がヤトに狩られる側だろ!
「いやいや、ヤトは俺の――」
「黙れ!」
反論しようと思ったら、その一声で一蹴されてしまった。
完全に会話が途切れてしまう。
参ったな。
何か別の話題で気を逸らして時間を……
「加護の力をいつ使うのかとここまで待っていたが……これでは埒が明かん。」
カタリーナはそう呟くと、やや前傾姿勢を取って足を一歩前に出した。
そして、地面を強く蹴り、こちらへ大きく踏み込んでくる。
俺たちの戦いはなんの予兆もなく、唐突に始まった。
「――っ!」
マズい!
首筋に電流を流された時のようなピリつきを感じた。
直感に従って横に跳ぶ。
「ハッ!」
直後、一筋の稲妻が駆け抜けるが如く、俺がいた場所をカタリーナの剣が貫いた。
危ねえ!
何も見えていなかったが、何もしていなければ今のは間違いなく死んでいた。
これがコイツの本気か。
この前よりも速く、鋭くなっている気がする。
けど、今の一撃を外したことで隙が――
そう思ったのも束の間。
「ハァッ!」
カタリーナが突きを繰り出した状態から、剣を水平に薙ぐ。
その軌道の先にあるのは俺の首。
そして、一撃目を避けるのに精いっぱいだたせいで、俺はあまり体勢が良くない。
これは……避けられねえ!
滑らかに、そしてゆっくりと迫りくる鋼の刃。
ああ……まただ。
全てがスローモーションで見えるこの感覚、覚えがある。
あの時と同じく、目の前には剣を振るうカタリーナ。
違うのは、監獄か森の中ということくらいか。
あの時は、セレーネという乱入者、もとい乱入神がいてたまたま助かった。
だが、そんな奇跡が毎回起こるはずもない。
今度こそ俺は死んでしまうのだろうか?
せっかく脱獄して自由を手にしたというのに。
こんな辺鄙な場所で、人知れずひっそりと幕を引かなければならないというのか?
せめて、加護が使えれば……
同じ太陽神の加護をカタリーナは使えるというのに、なぜ俺には使えないのか。
何かが足りないとでもいうのだろうか?
……いや、そんなはずはない。
オオヒルメから押し付けられたとはいえ、同じ加護だ!
それも、カタリーナが警戒するくらいには強い加護。
なのに、アイツにできて俺にできないはずがない!
やってやる。
どうせこのままだと死ぬんだ。
俺の中にある力なんだから、最期くらい出てこいや!
極限状態で極まった思考の中、俺は太陽のように熱く激しい炎をイメージし、念ずる。
何も出てこない。
さらに細かい部分まで、鮮明なイメージを作り上げる。
またしても何も出てこない。
クソッ!
何が……?
こうしている間にも、カタリーナの剣が俺の首を刈り取らんと迫りくる。
……そういえば、カタリーナは加護の力を使う時に何かを唱えていたな。
ヤトもリュコスもそうだ。
確か……
「……【フレア】!」
記憶の中から絞り出したその呪文を唱えたその時、体中の力がごっそりと抜けていくような、気色悪い感覚に陥った。
頭がグワングワンして気持ち悪い。
「――な!」
何かを察したカタリーナが咄嗟に剣を引き、防御姿勢を取った。
次の瞬間。
「く……!」
「うあ……っ!」
俺の目の前で爆発が起こった。
正確には何かが爆ぜたわけではない。
目の前に突然、火柱が現れただけだ。
だが、あまりにも巨大で威圧的な火柱に、思わず爆発だと錯覚してしまった。
これ……俺がやったのか?
間違いなくこれは加護の力のはずなのだが、激しく燃え盛る炎を前に、自分がこの光景を作り出したのだという実感がイマイチ湧かなかった。
「ううん……」
ここまで大事になったところで、ようやくヤトが目を覚ます。
目を擦り、体を軽く伸ばしてから火柱を見上げていた。
「まぶしい……これ、エルスがやったの?」
特に慌てる様子もなく、至って冷静な彼女。
状況を理解していないのか、それとも大物なのか。
「ああ……そ……うっ!」
加護を使った瞬間から感じていた頭痛と吐き気と倦怠感のせいで立っていられなくなり、口元を抑えながら片膝をつく。
なるほど。
これが加護を使うということか。
確かにそう何度も使えるようなものではないな。
「っ……」
立ち上がることもできずにその場でしばらく留まっている間に、加護で作り出した火柱の勢いが次第に弱まっていく。
最期は何もない空間へ吸い込まれるように消えていった。
炎で埋め尽くされていた視界が晴れる。
消えた火柱の先にいたのは、剣を杖のように使って体を支え、俺と同じように片膝をついたカタリーナだった。
「ハァ……ハァ……」
マントが所々焦げ、頬の辺りには火傷の跡がついている。
嘘だろ……?
あの火柱のを食らって意識があるなんて……!
しかし、少なくないダメージを負わせることには成功したようで、彼女もまた立ち上がれない様子。
「……だれ?」
カタリーナの姿を初めて見たヤトが首を傾げる。
そうだ!
せっかく起きたヤトに、カタリーナへ止めを刺してもらえば……!
そんな考えが浮かんできたが、嫌な予感がして思い直す。
加護を与えられる存在というのは、いわゆる神のお気に入りだ。
俺も同じ加護があるとはいえ、オオヒルメのお気に入りであるカタリーナを殺したら変な恨みを買ってしまうかもしれない。
もしそうなれば、ただの人である俺は太陽神のオオヒルメに軽く捻りつぶされてしまうだろう。
それなら……!
「ハァ……逃げるぞ!……ハァ……ヤト!」
最後の力を振り絞ってなんとか立ち上がる。
「逃げるって、どこに?」
「……ハァ……とにかく……遠くへ……ハァ……」
酒に酔ったような千鳥足で、カタリーナへ背を向けながら森の奥へと向かう。
「……仕方ないなあ、もう」
ヤトはそう言うと、フラフラと歩く俺を引き寄せ、その小さな背に乗せた。
そして、俺の足を若干引きずりながら、森の奥へと歩き出す。
「……ま……待て……!」
背後から苦しそうなカタリーナの声が聞こえてくるが、無視した。
目に見えて弱っている今の彼女に、俺達を攻撃する余力なんてないのは明らかだ。
それに、今の俺にもカタリーナの呼びかけに答える余裕はなかった。
カタリーナの声が聞こえなくなるくらい遠くまで逃げてきたところで、ヤトの背に揺られながら、今一番安全な場所で俺は意識を手放した。