6.はじめまして、ニンゲン
「ギャアアアゥ!グルルルルルル……」
目の前にいる蒼白色のドラゴンは、二本の手だか前足だかを器用に使い、毛皮を剥がしながらファングボアの肉を食べ始めた。
よほど美味かったのか、ゴキゲンそうに喉なんて鳴らしている。
「ギャウ!ギャウ!グルグルル」
近くにいる俺のことには目もくれず、一心不乱に肉を貪り続けるドラゴン。
この様子だと、存在すら気づかれていないかもしれない。
俺はこのドラゴンのおかげで、ファングボアに食われず済んだ。
けれども、ドラゴンはきっとただ腹が減っていただけで、俺を助けようなんざ微塵も思っていなかっただろう。
「…………」
ドラゴンという種には知性があるとはいえ、このドラゴンが友好的である保証はない。
目をつけられたら、ファングボアと同じ末路を辿ることだって全然あり得る。
ひとまず、ここから離れた方がいいかもしれない。
息を潜め、声を殺し。
忍び足でこの場から移動する。
「グルルル、ギャウ!ギャウ……」
そうだ、いい子だ。
ゆっくりお食べ。
心の中でそう呟きながら歩いていると、足元に転がっていた木の枝を踏みつけてしまった。
パキッと枝の折れる音が鳴る。
「ギャウ?」
嫌な予感がした。
何やら熱い視線を感じる。
恐る恐る後ろを振り返ってみた。
「ギャウウ……」
「ッ!」
見てる。
ドラゴンがめっちゃ見てる。
興味深そうに俺のことを見てる。
おい、食事中によそ見なんてお行儀が悪いぞ。
ちゃんと肉を食べきってからにしなさい、肉を!
……あれ?
肉がない。
あんな大きかったファングボアが、骨と皮だけになってる。
まさか、もう食べ終わったの?
「ハ……ハハハ……いやあ、いい食べっぷりですね!そんじゃ、俺はこれで」
どうだろう?
見逃してくれないかな?
「ギャウ……」
あ、ダメだ。
完全に捕食者の目をしてらっしゃる。
やめろ!
よだれなんて垂らすな!
俺はデザートじゃないぞ!
再び訪れる命の危機。
やっぱりこのドラゴン、俺の味方じゃねえじゃねーか!
自分の運の悪さを呪っていたら、またしても空から何かが飛んできた。
「な、なんだ!?」
目の前のドラゴンの隣へ、一回り大きく神々しい白銀のドラゴンが舞い降り、着地する。
着地の際に強風を巻き起こした蒼白色のドラゴンとは違い、その姿は実に優雅で、羽ばたく際に吹いたそよ風が心地よかった。
『なりません、ヤト。人を食べたら、コラドが悲しみます』
俺にもわかる言語で、白銀のドラゴンは蒼白色のドラゴンを叱り始める。
「ギャウ?ギャウギャウ」
『なりません!』
「ギャウウ……」
白銀のドラゴンに睨まれ、涙目になりながらうなだれる蒼白色のドラゴン。
どうやら白銀のドラゴンの方が、立場が上らしい。
ドラゴン達の会話をボーっと眺めていたら、俺の視線に気が付いたのか、白銀の方のドラゴンが話しかけてきた。
『初めまして、ニンゲン。私の名はウロボロス。そして、こちらは私の娘のヤト』
思わず聞き惚れてしまうような、威厳のある美しい声。
「……あ、ああ。俺はエルスだ」
あまりにもいい声だったので、つい返事が遅れてしまった。
しかし、このウロボロスというドラゴン、隣のドラゴンと比べてより存在感があるな。
大きいからというのはもちろんあるが、それだけじゃない。
なんと言うかこう、本能的にひれ伏したくなるというか。
そういえば、最近こういうのあったな。
ええっと……。
そうだ!
セレーネの時だ!
俺が黙って考え事をしているのが気になったのか、不思議そうに声をかけてくるウロボロス。
『……?どうかしましたか、ニンゲン?』
どうやら俺のことは名前で呼んでくれないらしい。
「いや……アンタが俺の――知り合い?に似てたからつい、な。」
『私が……?ああ、なるほど。』
ウロボロスは訝し気な視線を向けてきたが、何かに気づいてすぐに納得したような表情を見せた。
『それは恐らく、私が龍神だからでしょうね。』
なんてことない世間話でもするように、白銀のドラゴンはそう言った。
「は?」
リュウジン……?
『恐らく、あなたに力を授けたセレーネかオオヒルメに会ったのでしょう?私、これでも神の一柱として数えられておりますので、あなた方ニンゲンからすれば神性を感じるのも当然かと』
まさか、本当に神だとは……。
いや、ちょっと待て。
オオヒルメ?
「俺は確かにセレーネから加護を貰った。だが、オオヒルメが俺に力を授けたってのはどういうことだ?」
月神セレーネからは、脱獄の時に直接加護を受けている。
しかし、太陽神のオオヒルメからはますたあきいとやらを貰っただけで、加護を受けた覚えはない。
なのに、なぜ俺がオオヒルメから加護を受けたことになっているんだ?
『もしかして、彼女から何も伝えられていないのですか?間違いなくあなたからは太陽の加護を感じるのですが……』
うーんと唸りながら、ウロボロスが首を傾げる。
このドラゴンが嘘をついてるようには思えないが……。
「あ!」
『どうしたのですか?』
思い出した。
そういえばオオヒルメの奴、消える時に太陽の加護がどうとか言いかけてたな。
もしかしてあの時……。
「いや……やっぱり心当たりがあるっつーか、オオヒルメからも加護を貰ったかもしれねえ」
ということは、月の加護と太陽の加護で、俺には2つの加護があるってことか。
『そうですか。しかし、加護の二重付与だなんてあの子達も無茶なことをしますね。ヘタをしたら体が散り散りになるというのに……』
んん!?
今、聞き捨てならないことを言わなかったか?
「待ってくれ!散り散りになるって……加護っつーのはそんなに危険なもんなのか?」
『ええ。普通のニンゲンでは、器の方が耐えられませんからね。通常、加護は一人につき一つが限界です』
あいつら、しれっとそんな危険なことしてたのかよ!
『しかも、よほどあなたのことを気に入ったのでしょうね。どちらも限界まで加護の力を与えています。これであなたが無事なのが不思議なくらいです。ええ、本当に』
神って人の命をなんだと思ってるんだろう。
ええ、本当に。
オオヒルメにもセレーネにも、一言物申してやりたい。
「あのクソ――」
だが、俺は脱獄の時にどちらの神にも助けられていたので、それを考えるともあまり強く責められない気がした。
出かかった文句を止める。
仕方ない、許してやるか。
「……いや。それよりも、神の一柱ってことはあんたも加護を与えたりできるのか?」
そんなことよりも、ウロボロスが神だというのなら1つ知りたいことがある。
『できますが……あなたへはしませんよ。目の前でニンゲンがはじけ飛ぶ姿など、見たくはありませんから』
心底嫌そうな声で答えるウロボロス。
「いや、そうじゃねえ。実は、オオヒルメとセレーネから加護を貰ったはいいんだが、使い方がわからなくってな。どうすればこの力が使えるか、教えてくれないか?」
脱獄囚の俺にはただでさえ敵が多い。
その上、人目を避けるとなれば、さっきのファングボアのように魔物から襲われる可能性だってある。
戦う術がなく弱いままでは、きっとすぐに死んでしまうだろう。
手っ取り早く自衛のための力が必要で、そのために加護の力を使いこなす必要があった。
餅は餅屋。
ということで、加護の使い方を神に直接聞いてみることにした。
『すみません。今日は旦那のために、ファングボアをいくつか狩らねばなりませんので……』
これは死活問題なので、ダメと言われても簡単に引き下がるわけにはいかない。
そこをなんとか……ん?
「旦那?」
ドラゴンは確かに番を作るが、神である龍神も番を作るのか?
『ええ、旦那です。龍神は、生まれながらの神というわけではなく、ドラゴンからドラゴンへと受け継がれるものなのです。なので、私は龍神でもありドラゴンでもあるので、現世でも番を作って子を成すことができます。そんなにあの人と私との関係が知りたいのですか?仕方ありませんね、特別に教えて差し上げましょう』
いや、別にそこまでは聞いてない。
俺はただ、龍神がドラゴンみたいなことを言っていたのが気になってだな……。
ウロボロスは俺の返事を待たず、饒舌に旦那のことについて話し始める。
『旦那――コラドとの出会いはつい数十年前。あの男はニンゲンの身でありながら、私の住むドラゴレスト山の神域へと足を踏み入れてきました。そして、不遜にも結婚を申し入れてきたのです。この龍神たる私にですよ?ニンゲンの言う結婚とは番になることだと、博学聡明な私は理解していましたし、当然追い返しました。それでもコラドは何度も何度もやって来て、弱いニンゲンの身でありながらも、危険なドラゴレスト山を登ってやって来るそのけなげな姿に、私少しばかり興味が湧いてしまいまして。人間の寿命はせいぜい百年程度。私達ドラゴンの寿命からすればほんの一瞬ですし、それくらいならば良いかと思いまして、軽い気持ちで番となることにしたのです。するとどうでしょう。彼は、私では届かぬ背中を優しく掻いてくれたり、花から抽出した香油で私を癒してくれたり、弱いくせになかなか気が利く男ではありませんか。それからというもの……』
頬を主に染め、体をくねらせ、ピンクのオーラを放つウロボロス。
尻尾が嬉しそうに左右へと振れる度、近くの木々が何本か折れる。
なぜ俺はこんなところでドラゴンののろけ話なんて聞かされてるんだ?
というか、旦那って人間なのかよ……。
「ギャウ!ギャウ!」
ウロボロスの説教を受けてしばらく静かだったヤトから、疲れたような鳴き声が上がる。
ドラゴンの言葉なんてわからないが、あれは絶対抗議の声だ。
そうだよな、親ののろけ話なんて聞かされても困るもんな。
『なんです?ヤト。今いいところなのですから、静かにしていてください。それでですね――』
ヤトの抗議もむなしく、ウロボロスの舌は止まらない。
「ギャウゥ……」
それからしばらくの間、俺達はドラゴンと人間の恋愛がいかに素晴らしいものかという話を延々と聞かされた。
『というわけでですね。私はコラドに龍神の加護を与え、寿命をほんの千年程伸ばすことにしたのです。……おや?失礼しました。少々お喋りが過ぎましたね』
さっきまで高かった日がだいぶ傾き、影が伸び始めた頃。
ようやく満足したのか、ウロボロスののろけ話がやっと終わった。
今の時間があれば、加護についてアドバイスの一つや二つできたのでは……?
ヤトはよほど退屈なのか、爪で土をいじってる。
『しかし……そうですね。コラドと同じ種族のよしみで、加護について何か協力できるといいのですが……』
ウロボロスが目を瞑りながら、思案気に首を傾げる。
さっきまで気乗りしてない感じだったのに、のろけ話で気分が良くなったのか、急に協力的になったな。
正直全然聞いてなかったけど、ここまで我慢した甲斐があったかもしれない。
何かを思いついたのか、ウロボロスは目を開けて、土で小山を作っているヤトを見た。
『……ヤト。』
「ギャウ?」
ヤトが土をいじる手を止め、返事をする。
『私の加護を与えたあなたなら、【人化】を使えますよね。ちょっと人の姿になってみてください』
「ギャウ!【ギャウギャ】」
ヤトの大きな体が光に包まれ、縮んでいく。
すぐに光が消え、中から現れたのは、幼さを残した青い瞳の少女だった。
頭からは小さな角が、臀部からは長い尾が生えていて、彼女がヤトであることは明白だ。
よく見ると、手の爪もかなり長い。
これが【人化】か。
元がドラゴンだと言われなければ、蜥蜴か何かの獣人だと思ってしまうかもしれない。
「ギャウギャウ!」
ヤトは蒼白色の美しい髪をなびかせながら得意気に鼻を鳴らし、腰に手をついてドヤ顔をウロボロスへと向ける。
『……尾を隠しきれていないのが少々気がかりですが……まあ、これならばニンゲンの社会に混じっても大丈夫でしょう。』
微妙な表情をしていたウロボロスだったが、すぐに真顔に戻って俺へある提案をした。
『ニンゲン。ヤトは私――龍神とコラド――ニンゲンとの相の子であり、私が与えた加護の力を持つ龍人です。この子なら適任でしょう。しばしの間娘を預けますので、この子から加護の使い方を教わってください。』
「……は……?」
娘を……預ける?
「ギャウゥゥゥ!?」
どうやらウロボロスの提案は、ヤトにとっても青天の霹靂だったらしい。
彼女の口から漏れ出た叫びは、近くにいた鳥や魔物達を驚かせ、森をざわつかせるのだった。