5.俺はあんま美味くねえから
ここは街道から少し外れた人気のない森の中。
逃亡中の脱獄囚の身である俺達は、人目を避けるためにわざわざ面倒なルートを使って先へ進むことになった。
今俺達が向かっているのはカサイーノという街らしい。
リュコス曰く、この世の全てが手に入る自由都市なのだとか。
そこに行けば脱獄囚のことも受け入れてくれるとのこと。
なんとなくロクでもない街な気がしないでもないが、記憶もアテもない俺には他の選択肢はないので仕方ない。
そんなカサイーノ目指して歩いていたある日のこと。
「はぁ?お前、んなことも知らずに生きてきたのか?」
加護とは何か、リュコスに質問したら、呆れ顔と共にそんな答えが返ってきた。
「仕方ねえだろ!こちとら記憶喪失で知らねえことだらけなんだよ!」
「記憶喪失?……ったく、いいか?加護ってのはな、かいつまんで言えば神から認められた奴に与えられる力のことだ。」
神か。
月神を名乗っていたセレーネみたいな奴のことを言うのだろう。
ついでに自称太陽神のオオヒルメも。
「認められるってことはあれか?宗教的な信仰心が強いとかか?」
「いや、そういうのはあんまり関係ねえ。それよりも、神に好かれるかどうかが大事って話だ」
「好かれるかどうか?」
普通は自分を信仰してくれる奴に力を与えたくなると思うんだが、違うのか?
「ああ。細かいことは知らねえが、好かれやすい体質ってのがあるらしい」
「ふーん、好かれやすい体質ねえ」
なんか心当たりがあるな。
セレーネから月の加護を貰った時点で心当たりどころの話ではないが。
あんなヤバそうな存在に好かれたところで、正直嬉しくはない。
「話を戻すぞ。加護で使える力は、加護の種類によって違げえ。例えばそうだな、カタリーナって覚えてるか?」
「……ああ。」
あの騎士の女か。
忘れもしない、アイツには何度殺されかけたことか。
正直、もう二度と顔を見たくない。
「エントランスを明るくしたり、火を出したりしてただろ?あれは太陽の加護っつって、太陽神から与えられた加護の力でやったもんだ。他にも、水を自由に操る水の加護だったり、植物を育てる森の加護だったり、全部説明してたらキリがねえ」
なるほど。
あの時、カタリーナが呪文を唱えて使ってたあれか。
ん?
呪文と言えば……。
「そういえばお前もなんか使ってたよな。黒い球の……ほら、いきなり真っ暗になったやつ。もしかして、お前も加護を持ってるのか?」
リュコスも黒い球を使って、暗闇を作り出していた。
あれも加護の力なのだろうか?
「いや、俺は加護持ちじゃねえ。まあ、あれが加護の力だってのは間違いねえけどよ。」
加護を持っていること自体は否定されたが、曖昧な答えが返ってくる。
加護がないのに加護の力が使える……どういうことだ?
「あれは加護の力を封じ込めて、誰でも使えるようにした魔道具っつーもんだ。……クソっ!せっかく大金叩いて手に入れたってのに……結局無駄に使っただけだったし!」
毒づきながら地面を蹴るリュコス。
そんな便利な物があるのか。
だが彼の口ぶりから察するに、かなり貴重なものなのだろう。
それこそ、ここぞの場面でしか使えないような。
「そうなのか。まあ、太陽の加護ってくらいだから、相性が悪かったな」
光で照らす力なんて、暗闇を作り出す力のカウンターみたいなもんだからな。
あれは運が悪かったとしか言いようがないと思う。
「あ?加護に相性なんてもんはねえよ。あるのはただ強いか弱いかだけだ」
「どういうことだ?」
強いか弱いかだけ?
水で火を消せるとか、そんな感じじゃないのか?
「どうも何も、そのままの意味だ。加護の力同士がかち合うと、強い力の方が勝つ」
より強い力で弱い力を抑え込むってか?
なんか、ものすごく単純な話だな。
「要するに、あの女の加護は強くて、俺が使った【暗闇】は加護がしょぼかったってことだ。もしこれが逆だったら、太陽神の加護を使われてもエントランスが明るくなることはなかったな」
「へえ、そうなのか。加護の強さってのは……」
加護について、リュコスへさらに質問しようとしたところで、ガサガサと草木をかき分ける音がして、目の前に何かが飛び出してきた。
「ゲギャギャ……ゲギャ!?」
「ゴブリン――!」
ゴブリン。
緑色の肌に子どもサイズの体を持つ魔物だ。
俺達の目の前に現れたのは二体のゴブリンだった。
「ギャギャ……」
「ゲギャ……」
知性が低いゴブリンは、人を見つけたら見境なく襲ってくるのだが、何やら様子がおかしい。
このゴブリン達はしきりに後ろを気にしており、俺達と戦うのを躊躇っているようにも見える。
「ゲ……ゲギャギャ!」
覚悟を決めたのか一体のゴブリンが俺達に突撃してきた。
もう一体の方もそれに続く。
「ハッ!なんだ、やろうってか?」
前にいたゴブリンの顔面へ、右ストレートをお見舞いする。
「ゲギャッ……!」
ゴブリンは泡を吹いて仰向けに崩れ落ちた。
ゴブリンという魔物は弱い。
それこそ、武器を持っていなくても普通の大人ならば簡単に倒せてしまう程に。
「ギャハハハ!もう終わりか?ええ?おい!」
「ゲ……ギャ……ギャッ…………!」
リュコスも、もう一体のゴブリンを倒したらしい。
彼は下卑た笑い声を上げながら、倒れたゴブリンを罵倒し何度も踏みつけていた。
これもうどっちが魔物かわかんねえな。
顔もよく似てるし。
ふと、森の奥から何かが聞こえたような気がした。
「なんか、変な音しねえか?」
耳を澄ませてみると、ゴブリン達が現れた方角から草木を踏みつけるような音がした。
心なしか、地面が少し揺れている。
「あ?」
リュコスがゴブリンを虐げる手を止め、顔を上げる。
「おう、マジじゃねえか。コイツらの仲間が来たのか?だがまあ、所詮はゴブリン。雑魚が何匹増えたところで……」
彼は途中で言葉を止め、絶句した。
俺達の背よりも高い位置にある木の枝をへし折りながら出てきたソイツのことを見てしまったからだ。
「ブオォォォォ」
茶色く硬そうな体毛に、楕円形の大きな鼻。
つぶらな瞳に似合わず、人の体を悠に貫けそうな鋭い牙を左右に一本ずつ生やす猪の魔物。
ゴブリンの次に現れたのは巨大なファングボアだった。
よく見ると、口元に緑色の液体が付着している。
「コイツらもしかして、ファングボアに追われてたのか……?」
このゴブリン達と出くわした時、様子がおかしかったのはそういうことなのか?
ファングボアは、逃げた餌を追ってきたのだろう。
キョロキョロとゴブリンを探すファングボアと目が合った。
「ブオオオォォォォォォォォ!」
三メートルを超えるその巨体から上がる咆哮。
空気が震え、その振動が肌を通じて直に伝わってきた。
「なあ……アイツのお目当てはゴブリンだよな?コイツらを出したら見逃してくれたりしねえか……?」
「……いいか?ゴブリンってのは、弱くてロクなもんを食ってねえんだ。そのせいで、大して食える肉がついてないくせに、クソマズい。ドブみてえな味がする。その点、俺達人はっつったらゴブリンよかマシ……いや、栄養状態によっちゃあ、魔物にとってとんでもねえごちそうだ」
ファングボアは、地面に転がっているゴブリンを無視して俺達のことを見ている。
めっちゃ見てる。
よだれなんか垂らして、目に穴が空くんじゃないかってくらい見てる。
「つまり何が言いてえかってえと……」
いかにも今から突進しますよと言わんばかりに、ファングボアは前足で土を掻く。
そして、尻を上げ、頭を下げて前傾姿勢を取った。
「俺達はカモがネギ背負ってやって来たようにしか見えねえってことだよ!」
打ち合わせたわけでもなく、俺とリュコスはそれぞれ左右にダイブする。
「ブオオオォォォォ!」
直後、俺達がいた場所をファングボアが猛スピードで駆け抜けた。
ファングボアは、その先にあった木にぶつかり動きを止める。
「ゲッ!マジかよ!」
大きな幹が音を立ててへし折れた。
ヤバい。
あんなの食らったらひとたまりもない。
馬車の荷車が方向転換するように、ファングボアがその場でゆっくりとUターンする。
「ブオオォォォ!」
どうやらリュコスに狙いを定めたようで、ダイブしてうつ伏せになった状態の彼目がけて突進してきた。
「……ッ!ざけんな!」
リュコスは間一髪、真横にローリングしてファングボアの突進を避け、その勢いを利用して立ち上がる。
「おい、逃げるぞ!こっちだ!」
直線的に逃げていては、あの突進攻撃が直撃してしまう。
俺はリュコスへ声を掛けつつ、障害物の多い森の奥へと走った。
「ハァハァ……おい!エルス、お前の加護でなんとかならねえのか!」
追いついてきたリュコスが、必死の形相で加護の力を使うよう催促してくる。
「無理だ!加護の使い方なんて知らねえからどうしようもねえ!」
しかし、ついさっきまで加護についてまともな知識すらなかった俺に、加護の力の使い方なんてわかるわけがなかった。
「チッ!使えねえな!」
「ブオオォォォォ!」
悪態をつくリュコスに言い返してやりたいが、それどころではなかった。
後ろからファングボアが猛スピードで追いかけてくる。
このままでは追いつかれてしまうかもしれない。
何かこのピンチを切り抜ける方法は……
必死で打開策を考えていたら――
「え……?」
突然、横から強い衝撃を受けた。
思わずバランスを崩し、よろめいてしまう。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
「……済まねえな、相棒。」
冷たくそう呟くリュコスがどんな表情をしているのか、俺の角度からだとよく見えなかった。
どうやら、俺は彼に押されたらしい。
思わぬ一撃によって、盛大に転んでしまった。
「リュコス!お前……!」
「ギャハハハハハ!他人を信じて出し抜かれる奴がバカなんだよ!俺のために死にゆくお前のことは忘れねえぜ!じゃあな、相棒!」
心底人を馬鹿にしたような邪悪な笑いと共に走り去っていくリュコス。
アイツ、裏切りやがった!
俺が牢屋から出してなければ、今頃まだ監獄の中だってのに!
心の奥底から怒りがふつふつと湧いてくる。
だが、間もなくしてファングボアに追いつかれてしまった。
頭に上った血が急激に冷えていく。
「ブオオォォォ……」
デカい。
ただ目の前で鳴いているだけだというのに、とんでもない迫力がある。
「おいおい……俺はさっきまで牢屋にいたから、あんまりうまくねえと思うんだが……ほら、さっき向こうに行ったやつの方が、パンチが効いてていいと思うぞ……?」
声が震える。
魔物だから言葉なんてわかるわけないのに、思わず命乞いの言葉が口を衝く。
「ブオオォォ」
ファングボアは俺の命乞いを無視し、大きな口を開けて迫ってきた。
……クソッ!
せめて加護の使い方さえわかれば……。
何か出ろとセレーネに祈り、念じてみるが何も起こらない。
せっかく脱獄して自由を得たというのに……。
無力な俺にはなす術もなく、迫りくるファングボアの口を呆然と眺めていたら――
「ォォォォォオオオオオ!」
上空から何かが降ってきて、とてつもない衝撃と共に発生した強風に吹き飛ばされた。
「うわっ!」
俺の体はゴロゴロと後方へ転がっていく。
最終的に大きな木に背中を強くぶつけたところで、その勢いが止まった。
「ってて……」
背中をさすりながら立ち上がる。
一体何が起こったんだ?
ファングボアはどうなった?
そう思って、さっきまで自分がいた場所を見る。
「は……?」
俺は自分の目を疑った。
さっきまで俺を食べようと大口を開けていたファングボアが、背中から腹にかけて赤黒い血を流して絶命していたのだ。
その横で佇んでいるソイツは、ファングボアを切り裂いたであろう鋭い爪を舐めている。
薄っすらと青みがかった白く美しい体。
背中に生える一対の大きな翼と、長くしなやかな尾。
知性を宿した青い瞳に二本の角。
神を除いて、この世の全ての頂点たる種族。
俺を襲うファングボアを仕留めたのは、一体のドラゴンだった。