3.アンラッキースケベ
「さっきまでの勢いはどうした?来ないのならば、こちらから行くぞ。」
カタリーナがよく通る声で淡々と口にしたその言葉は、俺達囚人にとっては死刑宣告にも等しいものだった。
彼女は前傾姿勢を取って足を一歩前に踏み出すと、そのまま急加速して囚人軍団へ一気に迫る。
その動きは尋常じゃない程に速く、おおよそ人が反応できるようなものではなかった。
一瞬で距離を詰めた彼女は、近くにいた囚人達へ向かって剣を薙ぐ。
「ぐ……」
「が……ぁ……」
「カヒュッ!」
たったの一振り。
それだけで三人の囚人達が地に伏すこととなった。
息つく間もなく、カタリーナは流れるような動作で次の囚人へと斬りかかる。
その一撃も近くにいた囚人達へ致命傷を与え、そこから彼女はさらに別の囚人へと斬りかかり――。
カタリーナの剣によって、前の方にいた囚人達はなす術もなく次々と斬り伏せられていく。
最初は四十人くらいいた囚人軍団が、気づけば俺を含めてたった五人にまで数を減らしていた。
「終わった……」
「こんなバケモンが出て来るなんて聞いてねえよ!クソッ!」
「ああ……これもまた運命……」
囚人達の悲痛な嘆きが聞こえてくる。
どうやら残った奴らは目の前の惨劇を見て、戦意を喪失してしまったらしい。
かくいう俺もそうだ。
むせ返るような血の匂いと、絶望的なこの状況のせいで、時折えづきそうになる。
念願のシャバまであと少しだというのに。
「……で……うとは……こ……」
隣のリュコスに至っては、うわ言のように何かを呟いている。
かわいそうに、きっと正気を失ってしまったのだろう。
元々おかしな奴ではあったが、悪い奴では……あったわ。
よく考えたらこいつも犯罪者だし、やっぱ同情の余地なんてないな。
「ん?貴様は……」
そんな中、最後に残った囚人達を始末しようとして、俺達の方を向いたカタリーナと目が合った。
「99番……!そうか。ということは、貴様がこの暴動の首謀者か!」
元々険しかった茜色の瞳が更に吊り上がり、鬼の形相と化す。
あまりの怖さに思わず玉が縮み上がる。
人が密集しているせいで暑いはずなのに寒気がした。
「……貴様は明日の公開処刑が決定しているから、今殺すわけにはいかない。」
忌々しそうに、そして本当に残念そうにこちらを睨みつけてくるカタリーナ。
直後、その表情は嗜虐的なものへと一変した。
「だが、明日の正午まで命さえあれば、五体満足である必要もない。」
「え……?」
「手足の一本や二本、ここで切り落としてしまっても問題ないだろう?」
彼女は艶やかな唇を三日月形に大きく歪め、もはやどちらが悪人なのかわからない笑みを見せる。
ヤバい。
怖すぎてちょっと漏れたかもしれん。
「ま……待て!手も足も二本ずつしかねえから……つーか、全部切り落としたらか弱い俺は出血多量で死んじまうだろ!」
「安心しろ。死なないラインは弁えている。その前に、まずは周りの者からか。」
カタリーナが剣を構え、攻撃体勢を取る。
ダメだ、聞いちゃくれねえ。
どう転んでもバッドエンドじゃねえか!
「……しか……んに……あっ……」
絶体絶命のピンチだというのに、リュコスはこの期に及んでまだ何かぶつくさ言ってる。
コイツ……いつまで現実逃避してやがんだ。
肝心な時に役に立たねえな。
そんなことを考えていたら、リュコスが口から何かを吐き出した。
「ペッ!」
「おまっ……汚ねえな!こんな時に。」
「うるせえ!」
リュコスが吐き出したのは、小さな黒い球だった。
彼は手のひらに乗った黒い球を握り込む。
「コイツには加護の力が籠められ……って、説明してる時間はねえ!いいか?流れで全部理解しろ!」
「は?何が……?」
「……貴様らが何をしようとしているのかはわからないが、それを待つ義理などない。いくぞ!」
リュコスが何かをしようとしているのだが、カタリーナはそれを待ってはくれなかった。
彼女は素早い動きで一番近くにいた囚人を斬りつけ、勢いを殺すことなく次の囚人へと斬りかかる。
二人やられてこれで残りは三人。
さらに次の囚人を斬ろうと彼女が体勢を変えたところで――
「深き闇よ。全てを漆黒で染め上げ、光差さぬ世界を生み出せ。【暗闇】」
リュコスが早口で何かを詠唱し、黒い球を放り投げた。
彼の手を離れた黒い球は空中で浮遊するように静止する。
その後急激な膨張を見せ、俺達ごとこの場にあった全てを飲み込んだ。
「うわっ!」
迫りくる漆黒の物体に思わず目を閉じてしまった。
「…………?」
数秒経ったが、俺の体に大きな変化はなかった。
それに、誰かが攻撃を受けた感じもない。
恐る恐る目を開けてみる。
「な……!」
辺り一面に広がっているのは、一寸先どころか自分の体すら視認できない程の真っ暗闇。
「どうなってんだ……?」
目を擦ってみても、何度まばたきをしてみても、一向に視界がよくなる気配はない。
そこまでして、俺はようやくリュコスが使った黒い球の効果を理解した。
「く……何も見えん!小賢しい真似を……!」
先程カタリーナがいたと思われる場所から彼女の声がする。
あの化け物も、目が見えなくなってはさすがに形無しのようだ。
「今だ!逃げるぞ!」
リュコスが叫ぶ。
「逃げるったって、前が見えねえのにどうやって……」
「勘でもなんでもどうにかするんだよ!これ以外に方法があるってのか?あ?」
勘ってそんな……。
だが、他にカタリーナの隙をついて脱獄する方法がない以上、彼の言うことは尤もだった。
意を決して、さっきまで見ていたエントランスの光景を頼りに、外へと続く扉があったであろう場所へ向かって歩く。
「う……あ……」
途中、カタリーナに狙われていた囚人のうめき声が聞こえてきた。
どうやらあの囚人はやられてしまったようだ。
「これでは埒が明かんな。」
そんな呟きと共に、カタリーナは何度も剣で空を斬る。
俺の位置がバレてしまうので声を出せなかったのだが、その音がするたびに引きつったような悲鳴が漏れ出そうになった。
「仕方ない。できれば加護の力はこれ以上使いたくなかったのだが……」
カタリーナが小さく息を吐く。
彼女の口ぶりから察するに、この暗闇をどうにかする手段があるのだろう。
ヤバい。
もたもたしていたら捕まっちまう!
えーっと、俺の記憶によると扉は確かこの辺に……?
腕を伸ばし、周囲に何があるのかを手で探る。
すると、俺の右手が柔らかい何かを捉えた。
なんだこれ?
「【インスタント太陽】んっ……」
時を同じくして、カタリーナが何かの呪文を唱えた。
やけに声が近いし、ちょっと艶めかしい。
いや、それよりも俺が触ってるこれはいったいなんだ?
やけに気持ちいいというか、クセになるこの感触は……。
そんなことを考えていたら、俺の真上に球体の何かが打ちあがった。
それは太陽のように自ら強い光を放ち、リュコスが作り出した暗闇を明るく照らし出す。
カタリーナに灯された光によって視界が晴れ、前がよく見えるようになった。
そのおかげで、俺が何を触っていさのかが明らかになる。
俺が触っていた物の正体。
それは、カタリーナの大きく膨らんだ双丘の内の一つだった。
「……貴様……」
羞恥と怒りで顔を真っ赤に染めた彼女から、今までにないくらいドスの効いた低い声が出てくる。
エントランスの気温が高くなった気がした。
「い……いや……違うんだ!これは……その……ヘヘ?」
ヤバい。
相当お怒りのようだ。
地獄へ逃げても追いかけてきそうな顔してるわ。
今日は死なないって聞いてたけど、私怨で殺されるかもしれん。
「相当死にたいらしいな……?」
ラッキースケベみたいな状況なのに、全然ラッキーじゃねえ。
気が付いたらコイツの前にいたとか、むしろアンラッキーだろ。
そうだ!リュコスはどうなった?
アイツならもしかしたら……。
すがるような想いでリュコスを探す。
見つけた。
彼はあの暗闇の中、扉の前まではたどり着けていたらしい。
「クソッ!放せ!」
しかし、明るくなったタイミングが悪かったようで、扉を守っていた看守達に取り押さえられていた。
クソッ!
やっぱアイツ、肝心な時に役に立たねえ!
「貴様の浅はかな脱獄物語も、ここで終わりだ。」
カタリーナが剣を振りかぶり、攻撃姿勢を取る。
どうすればどうすればどうすれば……。
「あ……俺が今日死んじまったら、明日の公開処刑とかどうするのかな~……とか……?」
「黙れ!その時は替え玉でもなんでも用意すればいい!おとなしく貴様の運命を受け入れろ!」
そう言うや否や、彼女は剣を振り下ろしてくる。
あ、これ、ダメだ。
終わった。
避けられねえ。
スローモーションのように、やけにゆっくりと迫りくる刃。
俺の脳裏に走馬灯が流れる。
牢屋で目覚めた時の事。
オオヒルメ(虫)と出会った時の事。
大パニックになった監獄内を猛進していた時の事……あれ?
思い出すのはここ数時間で起こった出来事ばかり。
どうやら、記憶のない俺には感傷に浸ることすら許されないらしい。
……涙が出そうだ。
せめて最期くらい、いい思い出の一つでも作っておくか。
死を目前にして無駄に集中力が高まっている中、今だカタリーナの胸に添えられたままの右手に全神経を集中させた。
そして、手のひらでその柔らかな感触を確かめる。
カタリーナの刃が更に重く、そして鋭くなった。
俺は何者なのか、そして何をしたのかさっぱりわからないまま死ぬ。
けれども、それは逆に言えばなんの後悔も大した未練もなく死ねるのだから、ある意味幸せなことなのだろうか?
自分の命を刈り取る刃を見てそんなことを考えながら、俺はゆっくりと目を閉じた。