2.旅は道連れ、だがお前らにかける情けなどない
「止まれ」
リュコスの案内で狭い通路を進んでいた俺は、彼が出したハンドサインに従って立ち止まる。
「ちょっと待ってろ」
そう言うとリュコスは、どこに隠し持っていたのか小さな手鏡を取り出し、数歩先にある曲がり角の手前でしゃがみ込んだ。
そして細心の注意を払いながらゆっくりと手を伸ばし、手鏡を使って曲がり角の奥を盗み見る。
「チッ……ここはダメだ」
手鏡には、剣を携帯した二人の看守が、扉を守るように立つ姿が映っていた。
「普通はあんなとこに見張りなんていねえはずなんだが……」
訝し気な視線を向けてくるリュコス。
いや、俺のせいにされても困るんだが……。
「たまたまじゃねえのか?」
「……まあいい。ここがダメでも別んとこから逃げりゃあいいんだ。行くぞ!」
納得していないようではあるが、切り替えることにしたらしい。
「あいよ!」
俺達は踵を返し、来た道を引き返すのだった。
~~~
「クソッ!どうなってやがんだ!」
声を抑えて怒気を滲ませながら、リュコスの拳が空を殴りつける。
「あそこもダメ!ここもダメ!全部ダメ!八方ふさがりじゃねえか!マジで、何しでかしたんだ!お前!」
警備の手薄なところを探すべく、監獄内を歩き回った俺達。
だが、どこもかしこも看守に見張られていて、人の目が行き届かない場所なんてのは一つもなかった。
この監獄を知り尽くしているリュコス曰く、今までではありえないレベルの厳戒態勢らしい。
その原因はどう考えても公開処刑手前の俺以外にないと、彼の怒りの矛先は俺に向けられていた。
「いやあ……へへへ。」
参ったな。
そんな熱い視線を向けられたら照れちまうじゃねえか。
「へらへらしてんじゃねえ!お前はどの道処刑されるからいいかもしれねえが、ここで見つかっちまったら俺もそれに巻き込まれるんだぞ!」
こいつ、それを覚悟の上でついてきたんだろうに、何を今さら……。
「まあ落ち着けよ。ほら、旅は道連れって言うだろ?なぁ兄弟!」
「ああああ!チクショウ!こいつと一緒に来るんじゃなかった!」
頭を掻きむしりながらごく小さな声で発狂し始めるリュコス。
……器用だな。
面倒な奴のことはさておき、こんな時こそ落ち着いて事に当たらないとな。
ひとまず状況を整理してみよう。
監獄内の警備が厳しすぎて、看守に見つからないよう逃げるのはほぼ不可能。
俺とリュコスは素手で戦闘能力に乏しく、武器を持った看守を倒せないので正面突破は実質不可能。
また、看守は常に複数人で行動しており、闇討ちするのも無理。
……あれ?詰んでね?
考えれば考える程に、ここから脱獄するのは不可能だという事実が浮き彫りになっていく。
リュコスと一緒に発狂したい気分だった。
「何かいい手は……ん?」
頭をわしゃわしゃと掻いていたら、服の中に隠していたますたあきいが地面に落ちた。
落ちたますたあきいを拾う。
「カギなんてあったって……いや、待てよ?」
その瞬間、俺の脳に電流走る。
「おい……おい、リュコス!」
気が狂いすぎて頭を壁に打ち付け始めたリュコスの肩を掴み、無理やり動きを止める。
「あぁん?何だ?」
「お前、この監獄のどこに何があるかよく知ってるつってたよな?」
「それがどうした!このやろう!」
相当荒れてるのか、語彙力のない罵倒が飛んでくる。
まあ、今はそんなことどうでもいいが。
「じゃあ、俺ら以外の囚人がどこに捕まってるのかも知ってるか?」
「たりめえだ!バカが!」
お!
それなら……。
「俺にいい案があるんだ。ヤバそうな奴らがいる所まで連れてってくれ。」
~~~
監獄内、たくさんの囚人をまとめてを収容している区画。
「よし!開いた!」
極悪人を閉じ込めておく鉄の扉がギィと鈍い音を立てて開く。
「ヒャッハー!誰だか知らんが助かったぜ!」
牢屋の中から世紀末な見た目の男が出てきた。
「ふふ……ああ、ようやく私にもツキが回ってきたのですね。」
ボサボサの長い髪に虚ろな目をした狂信者風の男がそれに続く。
その後も牢屋の中にいた囚人達が、先を争うように続々と出てきた。
「これだけいればいけるか?」
辺りを見回してみる。
近くにある牢屋の扉は全て開いており、悪そうな面をした奴らが狭い廊下にひしめき合っていた。
人が密集しているせいか暑苦しい。
あと、酸っぱい臭いがする。
あ、遠くで殴り合いの喧嘩が始まった。
どう考えても今はそんなことをしている場合じゃないだろうに、しょうもねえ奴らだな、まったく。
「よっしゃあ!お前ら!よく聞け!」
この場にいる全員に聞こえるよう、大きく声を張り上げる。
「あ?」
「なんだ?」
すると、人相の悪い顔が一斉に俺の方を向いた。
「お前ら全員、一生ここから出られねえ重罪人らしいなあ!」
詐欺に傷害に強盗に殺人に……。
犯した罪の種類は違えど、ここにいるのは皆、もう二度と日の下を歩くことのできないような重罪人ばかりだった。
「そろそろ臭い飯も食い飽きて、シャバが恋しくなってきた頃なんじゃねえか?ん?」
「……」
誰も何も言い返さない。
けれども、次の言葉を待つように、囚人達の注目は依然として俺に集まっていた。
「そんなお前らに最後のチャンスをやろう!今から監獄内に祭を起こす。脱獄したい奴は一緒に来い!」
「おお……!」
脱獄。
その言葉が出た瞬間、囚人達が色めき立つ。
「そんで好きなだけ暴れろ!あのうざってぇ看守どもをぶちのめせ!」
「「おおぉ……!」」
「今日限りでこのクソみてえな監獄生活とはオサラバだ!俺達のシャバに帰るぞ!」
「「「うおおおおおおぉぉぉぉ!!!!!」」」
俺の煽りに呼応して、歓喜の雄たけびが上がった。
あ、これちょっと楽しいかも。
「おい!うるさいぞお前ら!何をそんなに……」
すると、この騒ぎを聞きつけた看守が通路の奥から現れた。
一、二、たったの三人か。
対して俺達囚人側はざっと四十人くらい。
人数の差は圧倒的だ。
「看守が来たぞ!やっちまえ!」
「「「うおおおおお!」」」
「うわっ!な、なんだ!なぜ外にっ……うわああああぁぁぁぁ!」
無手の囚人達が一斉に看守達へと襲い掛かる。
看守達は携えていた剣を抜刀する間もなく、囚人達に取り囲まれ、袋叩きに遭っていた。
一部の囚人が、地面でノビている看守から戦利品として剣や防具を剥ぎ取り始めた。
「ハハハハハ!いいぞ、お前らぁ!この調子で一気に監獄内を制圧だ!進めぇ!」
「「「うおおおおおおおぉぉぉぉ!」」」
ズドドドドドド……
囚人達が我先にと駆け出す。
ある者は目の前にいる囚人を押しのけながら、またある者は別の囚人を盾代わりにしながら、囚人達は一つの塊になって監獄内を移動し始めた。
「おいおい!やるじゃねえかエルス!」
囚人軍団の最後方、俺の隣を走っていたリュコスがバシバシと背中を叩いてくる。
「俺らはこいつらの後ろをついて行きゃあ、簡単に脱獄できるってわけだ。ギャハハハハ!」
「おうよ!神機妙算の策士とは俺のことよ!ハッハッハ!」
いいぞ!もっと褒めろ!称えろ!崇めろ!
最高に気分がいいぜ。
ますたあきいを見て俺が思いついた策。
それはリュコスの言った通り、大量の囚人達を解放して監獄内をパニックに陥れ、混乱に乗じて脱獄してしまおうというものだ。
ますたあきいがなければこの策は成り立たなかったし、太陽神とやらに一応感謝しておくか。
監獄内を猛進する囚人軍団。
途中、何度か巡回中の看守と出くわしたのだが、俺達の敵ではなかった。
圧倒的な人数差で蹂躙し、邪魔する者は蹴散らしながら外へと続く道を探す。
だが、さすがに全員が無事というわけにはいかない。
「グッ……ま……待ってくれ……!」
運悪く看守の返り討ちに遭い、動けなくなる者もちらほら出てきた。
残念ながらそいつらはそこでリタイアだ。
まあ、元々重罪人だし助ける義理もかける情けもないしな。
~~~
「あれだ!おい、あの扉を抜ければシャバだ!」
リュコスが指差す先にはエントランスのような広い空間があり、奥の方に大きな鉄の扉があった。
「聞いたか?お前ら!一気に突破するぞ!」
「「「うおおおおおおお!!!」」」
地鳴りのような足音と共に、エントランスへ向かって囚人軍団がなだれ込む。
ここまで破竹の勢いで進んできた俺達を止められる者はいなかった。
「ん……?」
不意に鉄の扉が開く。
冷たい夜風が俺達の熱気を冷ますかのように吹き込んできた。
「囚人達が暴れていると聞いたが……まさかここまでやられていたとはな。」
「申し訳ありません、カタリーナ様。まさかあなたのお手を煩わせる事態になるとは……」
外から入ってくる三人の人影。
その内二人は他の看守と同じ制服を着ている。
だが、最後の一人の出で立ちは他の者達と比べてだいぶ異なっていた。
膝下まで丈のあるサーコート風の騎士服を身に着け、鞘に特別な意匠を施した剣を手に持った、燃えるような真紅の髪に茜色の瞳の女。
「あれは……」
忘れもしない。
あいつはさっき、俺に公開処刑を宣言して帰っていった女だ。
そうか、カタリーナって言うのか。
「話は後だ。それよりも、目の前の奴らをなんとかせねばな。……持っていろ。」
「はっ!」
カタリーナは鞘から剣を抜き、左隣にいた看守へと鞘を渡した。
「どうせ二度と日の目を見ることのない重罪人どもだ。私の裁量で切り捨ててしまっても構わんな。」
彼女はそう言うと、ゆったりとした足取りで囚人軍団の先頭へと近づいてくる。
あまりにも堂々としたその姿は見入ってしまいそうな程に美しく、それでいて強者のみが纏うことを許された凄みを感じられた。
「っ……敵はたった一人だ!蹴散らしてやれ!」
だが、彼女がどれだけ強かろうと所詮は一人。
たった一人でこれだけの人数を相手にできるわけがない。
「「「うおおおぉぉぉぉ!!!!」」」
囚人軍団がカタリーナへと殺到する。
そして、両者が衝突したその刹那――
「は……?」
鮮血が舞った。
ある者は宙に打ち上げられ、またある者は地に伏し、またある者はぱっくりと胸に開いた傷口を押さえながら蹲る。
その数約十名。
前方にいた囚人達が瞬く間にやられてしまった。
直後、看守達では一瞬たりとも止められなかった囚人軍団が、この日初めて動きを止めた。
「おいおい……なんだこりゃあ。夢か……?」
俺の隣にいたリュコスの呟きは、この場にいた誰しもが思ったことを代弁していた。
返り血一つ浴びずにこの地獄のような光景を作り出したカタリーナは、蔑むようにこちらを睨みつけながら一歩前に出る。
間合いの外だというのに、俺達は皆思わず後ずさりをしてしまった。
「我が名はカタリーナ・フォン・シュロート!ソラーレ王国騎士団の誇りにかけて、王国の剣となりて、王国に仇成す者を斬る!……死にたい者からかかってくるがいい!」
目と鼻の先にある扉、あそこを抜ければ念願のシャバだ。
ついさっきまでは、完全に脱獄が成功する雰囲気だった。
だというのに、カタリーナというたった一人の化け物のせいで状況が一変してしまうのだった。