15.月夜の開戦
真上にあった日が傾き、影が伸びてきた頃。
エルフ達が見守る中、エルトレントの木で組まれた祭壇の前に立ったフロリアが膝をつく。
そして、胸の前で両手を組んだ。
左右対称になるよう祭壇の上に置かれた灯篭の中では、ろうそくに灯されたオレンジの炎がかすかに揺らめいている。
年に一度の儀式がついに始まった。
辺りが静寂に包まれる中、フロリアが口を開き祝詞を上げる。
「大いなるユグドラシルよ。神界へと届くその幹は、世界を見守り――」
特別大きな声を出しているわけではないが、フロリアの言葉は一言一句はっきりと聞こえてきた。
普通なら風の音で簡単にかき消されそうなくらい、遠く離れているというのに。
不思議だ。
美しいエルフだからなのか、それとも巫女だからか。
代々ユグドラシルを守ってきたエルフ達の想いを乗せたフロリアの祈りには、思わず目を奪われてしまうような美しさがあった。
「ンギャウ……」
そんなフロリアを、目を擦りながら眺めるヤト。
「お前……さっきあれだけ寝てたのにまだ眠いのか?」
ここに着いてから儀式の直前まで、ざっと数時間は昼寝をしていたというのに……
なんて怠惰なドラゴンなのだろう。
「ギャウ……」
俺の問いに対し、反論なのか同意なのか、よくわからない弱々しい声でヤトが鳴く。
ダメだ、完全に寝ぼけてやがる。
今なら素の俺でもコイツの寝首をかける……気はしないが、しばらく役に立たなそうだ。
眠たそうにウトウトしているヤトをよそに、儀式は進んでいく。
気がつけば、ついさっきまで赤く燃えていた太陽が沈み、反対側から月が昇り始めていた。
薄暗い月明かりの中、灯篭の淡い光に照らし出されたフロリアの姿は、昼間見たそれよりも幻想的な雰囲気を纏っている。
まるで夢の中にいるのかと錯覚してしまう程だ。
「……ギャウ……ンギャ!……ギャウ……」
横から聞こえてきたのは、寝言のような鳴き声。
夜になって眠気が増してきたのか、とうとうヤトが舟をこぎ始めた。
辺りが暗いので目立っていないが、隣で前に後ろに大きく首を揺らされると気になってしょうがない。
「ヤト!おい、ヤト!」
ヤトを起こすために背中を軽く叩こうと彼女の方を向いた瞬間――
「お前えぇぇへぇぃ!?」
速くて細長い何かが、風切り音を鳴らしながら俺の眼前を横切った。
喉の奥から思わず変な声が出る。
反射的にそれを避けようと、しりもちをついてしまった。
なんだ!?今の!
慌てて振り返ってみれば、腕くらいの長さがある大きな針が地面に突き刺さっていた。
「チッ……外したか」
針が刺さっているのとは逆側、森の中から舌打ちが聞こえてくる。
音がした方へ首を回してみると、そこには奇妙な人影があった。
見る者全てに警戒心を煽るような黄色と黒のストライプの体から伸びる、細くて長い脚。
背中から飛び出ているのは、薄くて軽そうな四枚の羽。
頭からは触角のような角を生やしている。
一見すると魔物と間違えてしまいそうなフォルムをしているソイツは、人と虫の特徴を併せ持つ虫人だ。
中でも、アイツは恐らく蜂の虫人だろう。
その奥には、他にも何人か虫人の影が見える。
「虫人だ!」
周囲を警戒していたエルフの一人が叫んだ。
その声を聞いて、フロリアが祈りを中断し、エルフ達が動き出す。
ある者は携えていた剣を抜き、またある者は背負っていた弓を手に取った。
「陣形を整えろ!フロリアとユグドラシルを守るぞ!」
アクラルスが号令を出すと、エルフ達はフロリアとユグドラシルを虫人から隠すように展開し、臨戦態勢を取った。
虫人の奇襲からここまでほんの数秒の出来事。
エルフ達の動きはとても素早く、洗練されていた。
一方俺はと言うと、ムスクルスに手を貸されてようやく立ち上がったところだった。
「アニキ、お嬢、こっちっス!」
「お、おう!」
「ギャウ……?」
そのムスクルスがヤトと俺を先導する。
エルフ達から遅れること十数秒、俺達はようやく自分の持ち場に着いた。
俺達が今いるのは、後方にいるエルフ達よりもさらに後ろ。
万が一前線が突破された時に、虫人からフロリアを守るという役割を与えられていた。
どうしてこんな配置になっているのかと言えば、昨日今日であったばかりのエルフ達と連携面で不安があるからだ。
そして、ムスクルスはそんな俺達のおもり役を任せられたらしい。
「ムスクルス……ヤト様……エルス様……」
背後から聞こえてきたのは、数十秒前までユグドラシルへ祈りを捧げていたフロリアの不安そうな声。
俺達に話しかける彼女の手はかすかに震えていた。
「大丈夫っスよ、姫!きっと、なんとかなるっス!」
ムスクルスが白い歯を見せながら答える。
「……ありがとう……ムスクルス」
フロリアは、震える手を抑えようともう片方の手で自分の手首を掴みながら、作ったような笑みをムスクルスへと返した。
結局震えは収まっていなかったが、誰もそれを指摘する者はいない。
ここで俺達がそんなことをしている間に、状況は大きく変わっていた。
先程の虫人達はどうやら先遣隊だったらしく、森の奥深くから別の虫人達が次々にやってくる。
蜂やアリ、蜘蛛にバッタに種類は様々だ。
数人しかなかった人影が、いつの間にか俺達の倍くらいある軍勢に膨れ上がっていた。
「おいおい……どんだけいるんだよ」
さすがにこの数は多すぎないか?
虫人の襲撃は毎年のことだと言ってたから、エルフだけでもある程度対処できる規模だと思っていたが……
これは早いとこ俺達に出番が回ってきそうだ。
だが、こっちには龍人という生物最強クラスの切り札がある。
彼女がいれば、大抵の事はなんとかなるだろう。
「ンギャ……ハァ……」
当の本人は目を擦って、いまだ眠そうにしているが、やる時はやってくれるはずだ!
……たぶん。
というか、そうでないと非常に困る。
「おい!いい加減起きろ、ヤト!」
「ンギャウ!……わかってるって、もう!」
いつまで経っても寝ぼけているヤトの両肩を掴んでゆすったら、面倒くさそうに振り払われた。
本当に大丈夫か?
またやる気がなくなって戦線離脱とかしないよな……?
これから虫人と戦うにあたって、一抹の不安が残る中――
「弓兵隊、撃て!」
俺の思考を遮るように、アクラルスのよく通る声がこの場に響き渡る。
意識をそちらへと向けると、矢を番え弓を引き絞ったエルフ達が弦から手を離すところだった。
エルフ達が放った矢の内の一本が、先程の蜂の虫人へと吸い込まれるように飛んでいく。
完璧な軌道だ。
矢の軌道上にいた蜂の虫人は、二対の羽を高速で羽ばたかせ、落ち着いて空へと逃げた。
だが、ただ避けただけで矢は止まらない。
そのまま後ろにいた虫人へ当たり――
「フン!」
その体に傷一つつけることなく跳ね返され、地面に落ちた。
「ハハハハ!効かんわ!」
特徴的な角を持つアイツは、カブトの虫人だろうか?
どうやら、背中にある硬い羽根を盾代わりにしたらしい。
他の矢も同様に、カブトやクワガタの虫人の羽で防がれていた。
そして、虫人達からお返しと言わんばかりに反撃が飛んでくる。
「ウラッ!」
後方に控えていた蜂の虫人達が一瞬だけ前線へ顔を出し、体に生えていた針を引っこ抜いて投げつけてきた。
さっきのアレって、お前らの針だったのかよ!?
衝撃の事実に驚愕する間もなく、針は放物線を描きながら俺達の方へと差し迫ってくる。
マズい!
この軌道は俺達に直撃するかもしれない。
何か身を守る物は……
「撃ち落とせ!」
アクラルスが叫ぶ。
すると、二撃目を準備していたエルフ達が一射目よりも角度をつけて再び矢を放った。
矢は斜め上へと飛んでいき――
「……へ?」
蜂の虫人が投げた針と空中で正面衝突した。
矢と針は互いに速度を失い、真下へと落下し何もない地面に突き刺さる。
嘘だろ!?
飛んでる針に矢を当てるなんて……
一本、二本、三本。
結局エルフ達は全ての針を撃ち落とし、虫人の反撃を防ぎ切った。
あまりにも美しい神業の如き一射に、皆が静まり返る。
エルフ達が次の矢を手に取り、弓を引き絞る。
だが、その矢が射られることはなかった。
また、それと同様に虫人達の方も攻撃の構えだけ見せるも、実際に仕掛けてくることはなかった。
「………………」
完全なる膠着状態。
風になびく草木の音がしかしない戦場からは、ヒリつくような緊張感が伝わってきた。
この距離で攻撃しても、全て防がれてしまうので意味がない。
たった一度矢と針を撃ち合っただけで、互いにそのことを悟ったのだ。
このままにらみ合いがしばらく続くかと思われたその時――
「勇敢なる戦士達よ!我らの邪魔をするエルフを追い払うぞ!」
虫人の軍勢の中から、リーダーらしき者の号令が聞こえてきた。
遠くにいるせいでその姿はよく見えない。
「うおおおおおおぉぉぉ!」
虫人の軍勢の最前列にいたカブトやクワガタの虫人達が羽を広げ、低空を飛行しながら突撃してきた。
後続の虫人達もそれに続く。
喊声と羽音と足音が混ざり、見た目以上の大軍が襲ってくるように錯覚してしまうくらいの迫力があった。
「来るぞ!迎え撃て!」
「おおおおぉぉぉぉ!」
虫人に負けじと、アクラルスが声を張り上げる。
それに呼応して、前線にいたエルフ達が剣を構え、迎撃態勢を取った。
熱気を帯びた戦場で、最前線にいたエルフと虫人が交錯する。
「ハァッ!」
「フンッ!」
金属の剣と硬い角が打ち合う乾いた音が鳴り響き、とうとう戦いの火ぶたが切って落とされた。




