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14.大きな世界樹の木の下で

 何度か魔物の襲撃を受けながら、森の中を進み続けること数時間。

 気づけば二日酔いも治まってきた頃、前を歩くムスクルスが前方を指差した。


「アニキ、お嬢、あれがユグドラシルっス!」


 木の根や濡れた草などで悪い足場の中、転ばないよう足元を見ながら歩いていた俺は顔を上げる。

 

「あれが……」


 ()()にあったのは、ラストネリコの里で見た大木なんて比にならないくらい巨大な木の幹。

 

 土色の幹をたどって視線を上に動かしてみるも、俺の視界に入ってくるのは果てしなく続く極太の幹ばかり。

 と思いきや、目を凝らすと遥か彼方、先端が緑に色づいた枝のようなものが薄っすらと見えた。

 

 だが、肉眼で確認できるのはそれくらいで、天を貫くのではないかという程に巨大なこの木の全体像を掴むには至らない。


 地上に意識を戻してみれば、木の周りはまるで他の木々が恐れや敬意を示すかのようにそこを避け、何もない空間が存在していた。

 

 これが世界樹ユグドラシルか。

 あまりの迫力に思わず息を呑んでしまう。

 この圧倒的で異質な存在感は、確かに世界樹と呼ばれるにふさわしい。


 アルターの話では、ユグドラシルが年々弱っているとのことだったが、にわかには信じられなかった。


 ここもまた森の中であるというのに、森の中じゃないどこか別の場所を切り取って持ってきたような、なんとも不思議な光景だ。


「あ!」


 俺がユグドラシルに見入っていたら、隣にいたヤトが素っ頓狂な声を上げた。


「どうした、ヤト?」


「思い出した!昔、ママの背中に乗って登ったことある!」


 そう言って、ユグドラシルを見上げるヤト。


「は?登った?」

 

 この木をか?

 頂上なんてどこにあるかわからないこの木を?

 

 だが、よく考えてみれば彼女の母ウロボロスは神の一柱である龍神。

 それくらいできてもおかしくはない。

 

 ……さすが龍神様だな。


「うん。木の上にいたおにいちゃんに取ってもらった木の実、おいしかったなあ……」

 

 ヤトは幼き日の味に思いを馳せるように、龍人の目でもきっと見えないであろうユグドラシルの先端をじっと見つめている。


「マジっスか!?そのお兄ちゃんって、どんな方だったんっスか?」


 ムスクルスはこの突拍子もない彼女の言葉を信じたらしく、前のめりになって話に食いついてきた。


「うーん……どうだったかな?あんまり覚えてないや」


 ……きっとヤトの頭の中には食い物以外の記憶なんてないのだろう。

 ほんの少しだけ考えるようなそぶりを見せ、彼女は興味がなさそうに答えた。


「そうっスか……ハハハ!いやあ、ヤトのお嬢は大物っスねえ」


 ムスクルスは特に残念がる様子もなく、軽く笑うだけでそれ以上ヤトに質問することはなかった。


 先が見えないユグドラシルの上までたどり着ける奴なんて、十中八九神かそれに近しい存在だ。

 ムスクルスもそれくらいは分かっているだろうし、なんならどの神なのか当たりもついているのだろう。


 そんな話をしているうちに、俺達はユグドラシルの前に辿り着いた。


 誰かが合図するわけでもなく護衛団の隊列が崩れ、エルフ達が一箇所に集まる。

 俺達もそれに倣い、エルフの集団の中へと入った。


 ほどなくして、アクラルスがエルフ達の前に出てくる。

 一同の注目が彼へと集まった。


「皆、ここまでご苦労だった。これより祭壇を設置する。」


「祭壇?」


 昨日儀式の護衛を頼まれた時、いろいろ聞いた気はするが……なんだっけか?

 酔っていたせいで、全く記憶にない。


 俺の呟きを聞きつけたのか、ムスクルスが小声で耳打ちをしてきた。


「姫がユグドラシルへ祈りを捧げる場所として、祭壇が必要なんっス。毎年、エルトレントから採れる木を組んで、即席の祭壇を作るんっスよ」


 なるほど。

 それならさっき倒したエルトレントから素材を剥いでいたのは、祭壇に使うためだったのか。

 

「準備班はユグドラシルの前へ、それ以外はしばらく休んでいてくれ」


 エルフ達の前に出たアクラルスが指示を出す。


「あ、俺も今回準備班なんで、ちょっと行ってくるッス。アニキ、お嬢。それじゃあまた後で」


 ムスクルスはそう言い残し、小走りで去っていく。

 周りにいたエルフ達も、半分くらいが祭壇の組み立てへと駆り出されていった。

 

 残ったエルフ達はその場に座り込んだり、体をほぐしたり、武器の手入れをしたり、思い思いに過ごしている。


 儀式の前にできた、束の間の休息。


 ムスクルスがいなくなってしまったせいで、急に暇になってしまった。


「……ギャウ……スゥ……」


 隣にいたヤトはよほど退屈だったらしく、いつの間にか草花のベッドの上に寝転がり、昼寝を始めていた。


 仕方ないので彼女の隣へ座り込む。


「ふぁ~あ……」

 

 ヤトの穏やかな寝息につられ、途端にまぶたが重くなってきた。

 このまま横になって、意識を手放したらさぞ気持ちいいだろう。


「あの……少しよろしいでしょうか?」


 背後から聞こえてきた透明感のある優しい声が、俺の意識を微睡みから現実へと引き戻す。


「んぁ……ああ?」


 振り返った先にいたのは、エルフの巫女だった。

 彼女の花冠からほんのりと甘い香りが漂ってくる。


「フロリア、だったか?……いいのか?巫女がこんなところにいて」


 儀式の前に、他のエルフ達と打ち合わせとかしなくてもいいのだろうか?


「ふふふ。巫女と言っても毎年同じ流れでお祈りするだけですし、特別確認することもありませんから、案外暇なんですよ?」


 イタズラっぽい笑みを浮かべる彼女からは、さっきまであった神秘的な巫女の雰囲気とは違い、少し大人びた一人の少女のような印象を受けた。


「ふーん、そんなもんなのか。で、俺達に何か用でもあったのか?」


「ええと、そうでした。私、エルス様から森の外のお話を伺いたくって……」


 森の外の話?

 そんなのを聞いてどうするのだろうか?


 そんな俺の疑問は顔に出ていたらしく、フロリアが慌てたように言葉を付け足してくる。


「あ、いえ!特に深い意味があったわけではなく……私は生まれてからずっと、ラストネリコから離れたことがないので、外の世界のことを知りたいと思いまして。」


 なるほど。

 ただの興味本位か。

 

 ラストネリコのエルフ達はユグドラシルを守るという使命があるっぽいし、森の外から来た俺は珍しいのだろうな。


「ああ、いいぞ。」


 別に断る程ではないし、少しくらい付き合ってやるか。

 

「本当ですか!ありがとうございます!」


 ちゃっかりとヤトの隣へ腰を下ろしたフロリアは、よほど嬉しいのか手をパンと叩いて喜んでいた。


「そうだな――」


 とはいえ、記憶喪失&脱獄囚である俺ができる話は少ない。


「――ファングボアに襲われた時、世にも奇妙な喋るゴブリンが俺を囮に――」


 今まで体験した出来事や出会った人々について、都合の悪いところを誤魔化しつつ、脚色や誇張を加えた俺の言葉を、フロリアは目を輝かせながら聞いていた。


~~~


「――とまあ、こんな感じだな」


「森の外ではそんなことが……なかなかに刺激的なお話でした」


 思いのほか長いこと喋り続けていたような気がする。

 儀式の時間が近づいてきたのか、周りのエルフ達がそわそわし始めた。

 

「……エルス様。最後に一つだけよろしいでしょうか?」


 そんな中、ついさっきまで俺の話を楽しそうに聞いていたフロリアが、急に真剣な眼差しを向けてきた。


「ん?なんだ?」


「もし……もし私がここで……いえ、やっぱりなんでもありません」


 彼女は出かかった言葉を止め、どこか儚さを感じるような笑みを浮かべて誤魔化した。


「そうか」


 一体何を言おうとしていたのだろうか?


「そろそろ戻らないといけなさそうですね」


 あと少しで完成しそうな祭壇を見つめながら、やや強引に話題を切り替えたフロリア。


 不意に、彼女は頭に着けていた花冠を外した。

 そして、花冠の中から薄桃色の小さな花を引き抜く。

 

 隣で眠っていたヤトの髪に、慣れた手つきで引き抜いた花を結わえた。


「……ンギャウ……むにゃむにゃ……」


 即興で作られた花の髪飾りは、あどけなさの残るヤトの顔によく似合っていた。


「かわいい……ふふ!」


 ヤトのさらさらとした蒼白色の髪を一撫でし、フロリアは立ち上がる。


「それでは失礼しますね。私の我儘にお付き合いいただきありがとうございました」

 

「ああ。」


 優雅な足取りで去っていく彼女を見送ると、祭壇の組み立てを終えたムスクルスが入れ替わるように帰ってきた。


「やっと終わったッス……あれ?姫が来てたんっスか?」


 ヤトの耳元にある花の髪飾りに気づいたムスクルスが、不思議そうに尋ねてくる。


「ああ。この森の外がどうなってるのか知りたいとかなんとかで」


「ああ、それでっスか。ふーん……」


 風で揺れる髪飾りをぼんやりと見つめるムスクルスから返ってきたのは、そっけない返事だった。

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