10.森の奥にはきっとエルフがいる
「……う……っ……!」
全身に鈍い痛みを感じて目を覚ます。
起き抜け早々に俺が見たのは、植物の蔦が巻き付き幹まで緑色の苔むした木々。
そして、青々と生い茂る葉の隙間を抜けて降り注ぐ木漏れ日だった。
痛みを我慢しながら、地面に手をついて起き上がる。
とても柔らかで、栄養が豊富そうな土の感触が返ってきた。
そんなことをしているうちに意識が覚醒してきて、何があったのかをだんだんと思い出してきた。
カタリーナに襲われて、ギリギリのところで太陽の加護が発動して……
「逃げ切った……のか?」
近くにカタリーナの気配は感じない。
どうやら俺達は無事逃げ切れたようだ。
「……!そうだ!ヤトは?」
俺はカタリーナから逃げる際、ヤトに背負われ彼女の背で気を失った。
ということは、俺をここまで運んだはずの彼女が近くにいるはずだ。
そう思い、立ち上がって辺りを見回してみる。
木、木、草、木、岩、草、木……
ドラゴンどころか生き物の気配すらない。
ヤトはいったいどこへ行ったのだろう?
まさか、置いていかれたとか……?
いや、それはないか。
それなら、最初から俺を背負って逃げたりせずに、カタリーナの前に捨て置いただろうしな。
ヤトのことだから、大方腹が減って魔物を狩りに行ったのだろう。
ここにいればきっとヤトは戻ってくる。
一人でいるのは心細いが、少しの間待ってればいいだけだ。
「~~♪」
ふと、森の奥からそよ風に乗って誰かの歌声が聞こえてきた。
……歌声?
こんな森の奥深くで?
この声はヤト……ではないな。
じゃあ、一体誰が……?
「~~♪~~♪」
鳥がさえずるように美しい声で奏でられたその旋律に、思わず心を奪われてしまう。
目の前に広がる樹海が幻想的な風景に見えてしまうくらい、その歌声には不思議な魅力があった。
一目でいいからこの声の主を見てみたいと、歌を聞いているうちにだんだんとそんな欲求が芽生えてくる。
見知らぬ土地で人、もといドラゴンを待つ時は、その場からあまり動かない方がいい。
それくらいは分かっている。
だが、体の奥底から湧き上がるこの衝動は抑えきれそうもない。
光に群がる蛾のように、この美しい歌声に誘われ、俺は森の奥深くへと足を踏み出した。
~~~
「~~♪」
声がだんだんと近くなってきた。
元いた場所からかなり歩いた気がする。
同じような木に囲まれ、まともな目印がない中、どうやってここまで来たのか正直覚えてない。
……帰り、どうしようかな。
無鉄砲に動いたことを若干後悔しつつ、それでも声の主を探す足は止まらない。
すると、森の中にある湖のほとりへと出た。
水面に反射する太陽が眩しい。
湖の水は透き通っていて、水中を泳ぐ魚の姿が見えるが、かなり深くて底が見えない。
「~~♪♪」
……いた!
目の前にある湖の対岸、苔の生えた岩に腰を掛けながら歌う一人の人影。
その周りには、鳥やウサギなんかの小動物が集まっている。
アイツだ!
この歌声の持ち主は!
緑色の髪に花の冠。
男にしては細く、女にしてはややごつい体つき。
白い一枚布でできた衣服に身を包んだソイツの周りには、蛍みたいに淡く光る球体がふよふよと漂っている。
深い森の中において、精霊のような妖精のようなあまりに異質な存在感を放つソイツの姿は、なんだか現実感がない。
ソイツの姿をもっとよく見ようと、目を凝らしたところで――
「――ァァァアアアアウウゥゥゥゥ!」
耳をつんざくような雄叫びと共に、上空から何かがとてつもない速度で湖に突っ込んできた。
その衝撃で、高々と水飛沫が上がる。
いや、水飛沫というより、これはもはや巨大な波だ。
湖の中央で発生した波は、放射状に広がっていく。
そして、俺がいる側の陸地へと押し寄せてきた。
あれ?
これ、ヤバくね?
「うおおぉぉぉぉ!……お?」
そのまま波に飲み込まれるかと思ったが、なぜか俺を避けるように波が割けていく。
そして、何事もなかったかのように波が引き、湖の中へ戻っていった。
なんだったんだ、今の?
別に俺が加護を使ったわけじゃないし、一体……?
目の前で起こった不思議な現象に頭を悩ませていたら、湖の中央からブクブクと大量の気泡が発生し、浮かんでは消える。
続いて見覚えのある蒼白色のドラゴンが飛び出してきた。
「ギャウウウゥゥ!」
ヤトだ。
【収縮】で大きさを調整しているのか、元のサイズよりも少し小さい姿になっている。
俺の体の数倍はある二匹の巨大な魚を、彼女は器用にも両前足に一匹ずつ握りしめ、勝ち誇ったように大きく口を上げ天を仰いでいた。
いや、お前かよ!
突然、ヤトが持っていた魚をこちらへ向かって放り投げる。
「うおっ……とおぉぉ!」
魚は緩い放物線を描き、俺の真横へと落ちてきた。
なんか今、すごい音がして地面が振動したんだが?
これ、当たってたら怪我じゃすまなかったんじゃ……?
戦慄しながら俺が魚を眺めていたら、ヤトが俺のすぐ傍までやって来た。
「ギャウゥゥ……!あれ?エルス?」
どうやら、彼女は俺のことに気づいていなかったらしい。
不思議そうに首を傾げていた。
「……今の……死ぬかと思ったぞ……?」
ヤトが湖にダイブして発生した波と、今の魚。
この短時間に、彼女のせいで二回も命の危機にあった。
これくらい文句を言っても許されるだろう。
「ギャウ……だって……エルスがいるなんて知らなかったし……」
目を合わせず、弱弱しく鳴くヤト。
だがまあ……その言い分も一理あるかもしれない。
彼女としては、眠っている俺を安全な場所に置いて狩りに出たわけで、俺がこんなところにいるなんて想像もしていなかったのだろう。
それを考えたら、仕方ない部分もあるような気がする。
「……これ、食べる?」
そう言ってヤトは俺の隣にある魚を指差し、俺の顔色を窺うようにチラリとこちらを見た。
なんと!
食いしん坊なヤトが、食べ物を譲るだって!?
この前は、ファングボアを独り占めしてたってのに……
出会って数日でヤトのことをよく知っているわけではないが、彼女なりに申し訳なく思っていることは伝わってきた。
「……ああ」
それなら、今回はこれで手打ちにしておこう。
まあ、元々ヤトに助けられた命ではあるしな。
「ギャウ……ごめんね」
彼女は一言謝ると、俺の隣にあった魚を手に取り貪り始めた。
「ギャウ……ギャウゥ……ギャウ!」
つい数秒前まで落ち込んでいたのはどこへやら、魚を食べていたらすぐに機嫌の良さそうなヤトの声が聞こえてくる。
なんとも気持ちの切り替えが速いことで。
食事に夢中になっていた彼女だったが、ふと何かを思い出したかのように咀嚼を止めた。
「そういえば、なんでエルスはこんなとこに来たの?」
「ん?ああ。それはあそこに……あれ?」
さっきまで歌を歌っていた人物がいた湖の対岸を指差す。
だが、俺の指の先には誰もおらず、ヤトの波で湿った岩だけが残されていた。
「……?何もいないよ?」
ヤトは魚を齧りながら、湿った岩を眺めていた。
「っかしいな……?さっきあそこで歌ってた奴がいて、その歌声を頼りにここまで来たんだが……」
あそこもヤトが作った波の被害を受けたみたいだし、どこかへ逃げてしまったのだろうか?
それとも、波に飲み込まれてしまったとか?
……あの歌声に惹かれたのは事実だが、所詮は他人だしどうでもいい話か。
もう聞けないのは残念ではあるが、あまり深く考えないことにした。
「ふうん」
ヤトもそこまで興味が湧かなかったのか、それ以上は何も聞いてこなかった。
~~~
「ごちそうさまでした」
「ごちそーさん」
結局二匹いた魚の大半を一体で平らげてしまったヤトは、満足そうに口の周りを舌で舐める。
軽く見積もって、俺の十倍以上は食べていただろう。
「さて……」
腹ごしらえも済んだし、これからどうしようか?
そう話を切り出そうとしたところで、背後にある森の中から何かが飛んできた。
「うおっ!」
先端が尖った細い棒状の物が、俺の足元へと突き刺さる。
矢だ。
誰かが俺達に向かって矢を放ったらしい。
「敵か!?」
矢が飛んできた方角を見る。
まさか、カタリーナか?
……いや、彼女は弓なんて持ってなかったし、たぶん違う。
それなら、別の追手が来たというのか……?
攻撃してきたのはいったい誰なのか、俺が思考を巡らせていると――
「動くな!」
森の中から一人の人が現れた。
肩にかからない程度の金髪と、普通の人間よりも長く尖った耳。
透き通るような白い肌に、作り物かと思うくらい整った顔立ち。
動きやすそうな軽装の上に、緑色に染められたこれまた軽そうな革の防具。
エルフだ。
細身で中性的な見た目をしているのでわかりづらいが、この声の低さはたぶん男だろう。
弓を引き絞って矢をこちらへと向けながら、エルフは一定の距離を保っている。
「動いたら……撃つ」
薄っすらと頬に汗をかき、俺とヤトへ交互に見ながらエルフが再び警告してくる。
ドラゴンがいるのをわかって姿を見せるとなると、近くに仲間がいるのかもしれない。
……迂闊に動けないな。
「お前達は何者だ?何をしにここまで来た?先程の大きな音は、お前達と何か関係があるのか?」
険しい表情で俺達に問い詰めるエルフ。
……あれ?
俺達、というか俺のことを知らない?
もしかして追手じゃなくて、ただ俺達のことを警戒しているだけなのか……?
想定していた展開と違うせいで困惑していたら――
「ふわぁぁぁぁぁ……」
ヤトが呑気にも大きく欠伸をした。
おいおい!
コイツ、俺達に矢が向けられてることわかってんのか!?
お前はいいかもしれないが、俺は矢が突き刺さったら最悪死んじまうんだぞ!
「なっ……!」
さすがにこれはエルフも予想外だったらしく、呆気にとられたように絶句していた。
マズい!
このままだと、本当に矢が飛んでくるかもしれない!
エルフが何か言う前に弁明しなければ……
「い……いや!すまん!コイツに悪気はないんだ……たぶん。俺が代わりに答えるから、今のは許してくれ!」
いつ引き絞った矢から手が離されるかとビクビクしながら、全力で舌を回す。
頼む!
撃たないでくれ!
「……いいだろう。続けろ」
相変わらず険しい顔をしながらも、俺に話を続けるよう促すエルフ。
攻撃されなくて本当によかった。
エルフの言葉を聞いて安堵しつつも、今だこちらへと向けられた矢尻に、戦々恐々としながら口を開く。
「すまんな。俺達は――」
こうして、俺は目の前のエルフからの質問に、都合の悪い所は隠しながら答えるのだった。




