1.牢屋の中からこんにちは
「う……ううん?」
閉じていたまぶたを開く。
いつの間に眠っていたのだろうか?
最初に目に入ってきたものは、見慣れない石造りの天井だった。
所々黒いシミができている。
そして、じっとりとした嫌な湿気と、鼻につくようなカビの臭い。
どこだ、ここは?
部屋の中のようだが……?
仰向けに寝転んでいた体を起こして辺りを見回してみる。
左右と後ろの三方を分厚い石の壁に囲まれ、正面には錠前のついた扉がある鉄格子。
「……牢屋?」
目が覚めたら牢屋の中にいた。
自分でも何を言っているのかよくわからないが、間違いなくそうなのだから仕方ない。
なんで俺は牢屋の中にいるんだ?
いまいち状況が飲み込めない。
この場所が一体なんなのか、そして何があるのかをもっとよく確認しようと思って立ち上がったところ――
「ヘブッ!」
足に何かが引っかかって勢いよく転んでしまった。
「ってて……」
一体何に躓いたんだ?
足元へと視線を落とす。
金属でできた鎖付きの足枷が、俺の左足首をきつく締めあげていた。
鎖の先は、人の頭程の大きさがある鉄球へ繋がっている。
「なんだ……?足枷……?」
これじゃあまるで罪人だ。
「クククッ!」
何が起こっているのかわからず戸惑っていたら、正面から嘲るような笑い声が響いた。
今いる牢屋の外には狭い通路があり、その通路を挟んだその向こう側にも同じような牢屋がある。
声の主は、その牢屋の中にいるやせ型で背が低い坊主頭の男だった。
ゴブリンみたく醜悪な顔のせいで、小悪党感が漂っている。
「ハハハハハ!よぉ、新入り!マヌケな面ぁしてんなあ!ご丁寧に足枷まで着けられて……お前、一体シャバで何してきたんだぁ?」
人を小バカにするような口調で話しかけてきた男。
なんだこいつは?
顔をくしゃくしゃにゆがめながら笑っているせいで、ただでさえアホみたいなツラが余計に愉快なことになってる。
だがまあ……そうか。
シャバで何をしでかしたのか、か。
そんなに俺の武勇伝を聞きたいのなら仕方ないな。
「おい、そこの無礼なお前!聞いて驚け?俺はなぁ!俺はなぁ……俺は……俺は?」
……あれ?
「……何をしたんだっけ?」
一体全体、俺は何の罪でしょっ引かれてこんな牢屋にぶち込まれてるんだ?
……何も思い出せない。
「おいおい、どうしたんだ新入り?恥ずかしくて言えねえってか?」
俺が答えられないのをいいことに、男が茶化してくる。
「う……うるせえ!」
「ハハハハ!どうせスリかなんかのしょっぱい罪で捕まったんだろ。そんで、取り調べで騎士に口答えしたせいで嫌われて、無駄に罪が重くなったとかか?」
「……そういうお前はどうなんだよ」
「俺か?俺は……ん?」
男が何かに気づいて言葉を止める。
遠くの方からカツカツと足音が聞こえてきた。
誰かが薄暗い通路をランタンで照らしながらこちらへ近づいてくる。
誰かは俺の牢屋の前まで来て足を止めた。
「目が覚めて早々楽しくお喋りとはいいご身分だな、99番!」
静かな牢屋に不機嫌そうなアルトボイスが反響する。
そいつは膝下まで丈があるサーコート風の騎士服を着た女だった。
胸元には貴族っぽい紋章が刻まれている。
「……99番って……俺?」
「……貴様以外に誰がいるというのだ」
女は眉間に皺を寄せ、極限まで吊り上がった茜色の瞳でこちらを睨みつけてくる。
相当お怒りなようで、燃えるような真紅の髪が今にも逆立ちそうだ。
……おお怖い。
「まあいい。それよりも、貴様の処分についてだ。」
俺の処分か。
何も思い出せないからわからんが、それならきっと大した罪ではないのだろう。
なんなら人違いで捕まったとかもありそうだな。
こんな汚い牢屋からさっさとオサラバして――
「王国法に則り、貴様の公開処刑が決定した」
「……へ?」
今、なんて?
「明日の正午、ドンドゥルマ広場にて貴様の公開処刑が執り行われる。あれだけの罪を犯したのだ、当然情状酌量の余地などない」
だんだんとボルテージが上がって来たのか、女の声が大きくなっていく。
「今さら己の過ちに気づいたところでもう遅い!一生晴れぬ後悔を抱えたまま死ぬがいい!」
女は鼻息を荒くしながら、捲し立てるように言い放った。
ほんの少し溜飲が下がったのか、眉間の皺が減ってどこかスッキリした顔をしている。
彼女はそれを伝えに来ただけだったらしく、すぐに踵を返して通路の奥へと消えていった。
「……コウカイ……ショケイ?」
公開処刑。
女ははっきりとそう口にした。
いや、さっきのは俺の聞き違いかもしれない。
それか、もしかしたらあの女が俺をおちょくってるだけとか……。
「……ハハハ、冗談キツイぜ。そんな事あるわけがねえよ。なあ、そう思うだろ?先輩!」
女が現れてから一言も声を発さなくなった対面の男へと話を振ってみる。
「………………」
無視されてしまった。
それどころか、彼はこちらへ背を向け限界まで身を縮こめ体育座りしている。
俺と目を合わせたくないという意思がありありと感じられた。
「おいおい……さっきまで普通に喋ってたじゃねえか。どうしたんだ?先輩?おーい、先輩!」
「うるせえ!黙れ新入り!」
やっと言葉が返ってきたと思ったら、なぜか鬼の形相で怒鳴られてしまった。
「話しかけてくるんじゃねえ!死刑囚だなんて……お前の仲間だと思われたら、俺の刑期が伸びちまうかもしれねえじゃねえか!お前のことなんざ知らねえ!赤の他人だ!あーあーあー!」
男はそう吐き捨てると再び俺に背を向け、もう話しかけてくるなと言わんばかりに両耳を手で覆って塞いだ。
「なんだよ……冷てえなあ」
さっきまであんなに楽しく喋ってたというのに。
薄情な奴だ。
それはそうと、あの男の慌てようを見るに、どうやらさっきの女が言ってたことは本当らしい。
「ハァ……」
ゆっくりと体を倒し、固くて冷たい地面の上に寝転がる。
全てがあまりにも急すぎて嫌な夢を見ているみたいだったが、リュコスの反応を見てこれが現実なのだと徐々に実感が湧いてきた。
公開処刑ってことは、俺は明日殺されるのか?
何も思い出せず、何の罪で裁かれるのかもわからないまま?
……そう思うと、なんだかやるせない気分になってきたな。
何もない天井を見つめながら感傷に浸っていたら、どこからか声が聞こえてきた。
『……よ……く……じゃ……』
「ん?」
誰かに話しかけられている気がする。
体を起こして周りを見てみるが、近くにいるのは俺に背を向けた男だけで、他には人っ子一人見当たらない。
「気のせいか。」
『……よ……聞く……じゃ……』
やっぱり誰かいる。
しかも、絶対俺に話しかけてきている。
でも、どこにいるんだ?
『わら……』
「あ、虫」
ペチン!
『ピギャッ!』
小指大の羽虫がふよふよ飛んでいるのを見つけ、反射的に叩き潰してしまった。
なんか悲鳴が聞こえたような……。
『い、痛いのじゃ!いきなり何をするのじゃ!?』
「え……?」
幼い女の子のような声が……羽虫から聞こえてくる。
まだ生きてる……いや、虫が……喋った!?
『まったく!お主をここから出してやろうというのに……』
俺の頭がおかしくなったのだろうか。
俺達人間によく似た獣人という種族の中に、虫人という虫と人間の両方の特徴を併せ持つ種族がいる。
だが、ここまで小さく完全に虫の姿をしている虫人の存在など、見たことも聞いたこともない。
つまりこいつはただの虫だ。
ただの虫が喋るなんて……。
『まあよい。今は一刻を争う緊急事態、咎めるのは後回しにしてやるのじゃ』
やけに態度のデカい虫だな。
『一応言っておくが、妾は虫ではないぞ』
「え!?何で俺の考えてることが……」
『……わかりやすい奴じゃ。全部顔に書いてあるわ!』
ああ、なるほど。
俺の心を読んだわけじゃないのね。
『聞いて驚くがよい!妾は太陽神オオヒルメなのじゃ』
太陽神……ってことは、神か?
この虫が?
『……なんじゃ。リアクションが薄くてつまらんのじゃ。もっと驚いてもよかろうに』
「いきなり神だなんて言われても……それに、虫の姿で」
この世界の宗教は大体が自然崇拝から派生した多神教なのだが、その中でも太陽神と言えばかなりメジャーな神だ。
虫の姿でいきなり太陽神だなんて言われても、信じられるわけないだろう。
『む……これは妾の一時的な依り代じゃ!この姿じゃないと奴に邪魔されて、ここまでたどり着けなかったのじゃ!だから仕方なかったのじゃ!』
ヒステリック気味に喚くオオヒルメ。
声が幼いせいか、地団太を踏みながら喋ってる幼女の幻影が見える。
依り代ってことは、本体は別にあって、この虫を遠隔操作してるってことか?
『って……ええい!こんなことを話している場合ではない!お主、このままだと明日の昼に処刑されてしまうというのは理解しておるな!』
「え?あ、ああ……」
『このタイミングでお主に死なれるのは妾としても困る。だから、何としてでもここから脱獄して遠くへ逃げるのじゃ』
「いや脱獄って……そもそもこの牢屋の中からすら出られねえし……」
『安心せい!この太陽神たる妾が助けてやるから問題ないのじゃ!むむむ~ほれ!』
オオヒルメがそう言うと、俺の目の前、何もない空間に突然鍵が現れた。
鍵には”ますたあきい”と書かれたタグが付けられている。
『妾の神力で作り出した鍵ならば、どんな錠前も一瞬で解錠してしまうのじゃ!これでお主の足枷を外し、牢屋から出るとよい!』
「おお!」
本当に神っぽくて、不覚にもちょっと感動してしまった。
それじゃあ早速。
ますたあきいを拾い、足枷にある鍵穴へ入れて捻る。
鍵の解錠に成功し、足枷が緩んで俺の足首からするりと抜け落ちた。
「おおお!やるじゃねえか!さすがは太陽神様!よっ!最高神!」
『むふふ、そうじゃろうそうじゃろう!ワーッハッハ!』
続いて牢屋の錠前を解錠しようと立ち上がったところで、オオヒルメが間の抜けた声を上げた。
『む……?』
「ん?どうした?」
何かあったのだろうか?
『急に力が……クッ!太陽が沈んでしまったせいで、妾の力が弱まってしまったみたいなのじゃ……』
「は?」
『夜になると奴のせいで妾の依り代は力を失ってしまうのじゃ……ここから先はお主一人でなんとかするのじゃ!』
「待て待て待て!話が違うぞ!さっき、脱獄を助けてやるって……」
『大丈夫じゃ!お主には太陽の加護を……』
オオヒルメの依り代である虫の体が砂に変化し、サラサラと崩れ落ちていく。
彼女は何かを伝えようとしていたが、最後まで言い切ることができなかった。
「………………」
オオヒルメが消えた監獄内には、再び静寂が訪れた。
え?
マジで?
本当に俺一人で脱獄しないといけないの?
一人になることの心細さを感じつつも、鉄格子の隙間から腕を伸ばしてますたあきいを牢屋の鍵穴に入れてひねる。
ガチャリという音がして鍵が外れ、扉が開いた。
「さて……こっからどうすっかな?」
とりあえず通路に出てみたが……。
この監獄の構造を知らないせいで、どこへ行けばいいのかさっぱり分からん。
「な……お前、何で牢の外に……?」
俺が立ち往生していたら、ついさっきまでそっぽを向いていた男が驚いた顔で声をかけてきた。
「ん?あれあれぇ?俺とは話さねえんじゃなかったか?」
「う……うるせえ!それよりお前!どうやって牢から出たんだ!俺もこっから出せ!」
「えー……」
こいつ、さっき散々俺のことを無視しておいて、なんて虫のいいことを……。
「く……た、頼む!なんでもするから!」
「お?」
土下座までして必死になって頼み込んでくる男。
どうしよっかなー?
「……俺はこの監獄のどこに何があるのかよく知ってる。絶対役に立つはずだから、頼む!この通りだ!」
なんと!
正直こいつのことは見捨てて行くつもりだったが、監獄の構造を知ってるなら話が変わってくるな。
もしそれが本当なら脱獄するうえで役に立つ。
少し悩んだ末、俺は無言で男の牢屋の鍵を開けた。
「あ……ありがてえ!この恩は一生忘れねえ!ええと……」
名前か?
「エルスだ」
今までの記憶がない俺だったが、なぜか自分の名前だけは憶えていた。
「エルス!俺のことはリュコスとでも呼んでくれ!」
リュコスは牢屋から出ると、迷うことなく歩き出す。
「それじゃあ人が来ねえうちにさっさと逃げようぜ!こっちだ!」
そして彼は後ろを振り返り、俺を手招きした。
「おう!」
こいつも罪を犯して牢屋にぶち込まれた囚人だし信用する気はないが、とりあえずナビとして一緒に行動して……最悪ピンチになったら囮にして逃げればいいか。
そんなことを考えながら、俺はリュコスの後をついていくのだった。