嫌な事ばかり記憶に残る
人間は将来世代の為に、どれだけ尽くそうとするのか?
それを確かめる為の実験を、ハーバード大学のノワク博士という人達がが行ったのだそうだ。それによると、約7割の人は将来世代の為に行動したが、残りの3割は私利私欲の為に将来世代を犠牲にする行動を執ったらしい。
この割合が正しいのか間違っているのかは分からない。現実社会を考えると、もっと多いのじゃないかと思える。
否、私利私欲の為に行動する人間が権力を握りやすいだろう点を考えると、本当にこんなものなのかもしれない。権力を握ったごくわずかな人間が、私利私欲の為に世の中を動かしている所為で、人間社会は将来世代を犠牲にしようとしているのかもしれない。
典型例は、原子力発電。
今の世代はまだ電力という対価を得られるが、将来世代は核廃棄物という危険物の管理を強制的に対価なしでやらされる。今の世代に文句すら言えない。
恐らく、数十年が過ぎて、原発の利権団体が消えてなくなって、庇う人間がいなくなったなら、原子力発電所は「日本が始まって以来、最悪の事業」と呼ばれるだろう。
もちろん、原子力発電ばかりじゃない。今の世の中は自分達の為に将来世代を犠牲にする仕組みが出来上がっている。高齢者年金に高齢者医療。現役世代や将来世代を犠牲にしても平気な連中が、シルバー民主主義の恩恵に与っている……
……いや、すまない。
言葉が過ぎた。
多分、俺は自分自身の境遇の所為で、思考が極端で過激になってしまっているんだ。世間のお年寄りが、みんな、そんなだなんて思っている訳じゃない。
俺の父親はアルコール依存症で、しかも酒乱だった。子供の頃、酔っ払った父親に意味のよく分からない理由で暴力を振るわれていた。その記憶に今でも俺は苦しめられている。しかも、俺は現在、そんな父親の老後の生活の面倒を見ているのだ。
どうして見捨てなかったのかって?
理由はいくつかある。俺が家を出ていったら、母親がどんな目に遭うのか不安だったのがまずは一つ。そして、そんな父親を放置したなら、必ず犯罪か犯罪まがいなことをしでかして世間に迷惑をかけるだろうというのがもう一つ。
俺が社会人になった頃、既に父親は高齢で、長年のアルコール依存症の所為もあってかなり弱っていた。だから、十年も経てば、天寿を全うすると思っていたってのもある。
ところが、驚いた事に父親は長生きをした。確かにアルコール依存症は克服していたが、それまで一か月間も(本当に誇張なしで一か月だぞ?)酔っ払い続けるみたいな暮らしをしていたから、絶対につけが回って来ると思っていたんだが、ピンピンしている。
俺はそれで結婚を諦めた。
父親は酔っ払わなくても問題行動が多い。近所トラブルも起こすし、警察に注意される事もあるし、何か欲しい物ができた時には金をせびってきてそれを断ると罵詈雑言を浴びせて来たりなんかもする。
――そんな人間がいる家で、どうして結婚なんかできるって言うんだ?
若者の非婚化がどーのこーのみたいなニュースを耳にする度に俺は思う。問題だと思うのなら、親をなんとかしてくれ(いや、もちろん、うちはかなりのレアケースだってのは分かっているんだが)。
そして、ここからが更に問題なんだが、ある時父親は認知症を患ってしまった。当然、更に生活はきつくなった。
タイプにもよるらしいのだが、認知症になると、何かをしてもらった記憶は忘れるくせに注意をされたりとかって嫌な記憶は覚えているものらしい。つまり、“嫌な事ばかり記憶に残る”んだ。
いや、これは認知症の特性というよりは、人間の特性なのだろうが。
とにかく、ここまで説明をすればもう分かると思うが、父親は世話をしてやっても感謝をせず、叱られた事ばかり覚えていて、文句を言うような状態になってしまったのだ。
当然、激しくストレスだ。
子供の頃から、さんざん父親に嫌な目に遭わされて来たのに、何故、今でもこんな想いをしなくちゃならない?
噂に聞く、因果応報とやらは、本当に存在しているのか?
俺は腐った。当然だろう? だが、ある時、こう思ったんだ。
「――嫌な事ばかり記憶に残る。それは、俺も同じなのじゃないか?」
もしかしたら、父親の嫌な記憶ばかり頭に残って、それ以外は忘れてしまっているだけかもしれない。きっと、良い部分もあったのだろう。
もちろん、そんな気はまるでしないのだが、それでも……
そう想像すると、俺はなんだか少しだけ楽になった。
参考文献:脳はすこぶる快楽主義 著者・池谷裕二 朝日新聞出版 180ページ辺りから




