25 苧うに
苧うには驚くほどゆっくりと近づいてきた。
頭を左右に振りながら、目は焦点が定まらず、まるで暗闇の中何かを探しているようにも見える。
顔が真っ赤で、腫れあがったように膨らんでいる。
僕が前に立ちはだかっても僕を見る様子はない。
目が見えないのだろうか?
そう思った瞬間、苧うにはかっと目を見開き、そんなに長かったのかと思うほどの長い腕を伸ばし、僕を鷲掴みにしようと右の手のひらを素早く突き出してきた。
僕はその手を左にかわし、かわした勢いのまま左足で地面を蹴り、右足を大きく一歩前に踏み出した。
その間、視線はずっと苧うにの顔を見た。
いつもコトネの爺様に言われている。
「相手から視線を外すな。攻撃は気配を感じてかわすんだ」と。
と、今度は苧うには僕を叩き潰そうとでも言うように左手を振り上げ、思い切り地面を叩く感じで振り下ろした。
それを避けつつ僕は苧うにの左手に回り、その脇腹に剣を突き立てた。
が、剣先はまったく苧うにの体に刺さらない。
この体を覆う長い毛のせいだ。
こいつが意外と丈夫で太い。
まるで何千万、何億と言う針金でできた鎧をかぶっているようだ。
「ならば……」と僕はもう一度距離を取り、再び正面から踏み込んで喉元に剣を突き立てた。
「どんな生き物でも首は急所だ。それが例え化け物でもだ。一矢必殺を狙うならまずそこだ」弓矢の亡霊はそう教えてくれた。
が、全体重を踏み込みの勢いに乗せ、その重さを剣先に集中させたが、やはり苧うにの長い毛の鎧を貫くことができなかった。
と、苧うには自分の真下に来た僕の体をそのまま潰そうとしたのか、支えていた腕の力を抜き、前のめりに倒れ掛かってきた。
「おっと……」と思いながら僕は後ろに飛びのいたが、小さな岩に躓き倒れてしまった。
その隙をついて苧うには僕の体をひっつかみ、大口を開けて中に放り込もうとした。
僕は「ヤバい」と思い、咄嗟に手に持った剣を苧うにの目に突き立てた。
なにか柔らかいものに剣が突き刺さる感触が手に伝わり、「ぅあああああーーーーーん!」と言う苧うにの悲鳴を聞いた。そして苧うには目に剣を突き刺されたまま僕を後ろに放り投げてしまった。
苧うには自分で僕を後ろに投げたのに、まるで「どこに行った?」とでも言うようにきょろきょろと僕を探した後、「ぅあああああーーーーーん!!!」ともう一度泣き声をあげ、またゆっくりと進みだした。
「くそ、剣を取り戻さなきゃ」そう思いながら苧うにの後を追ったものの、投げ飛ばされた時に脚を痛めて思うように走れなかった。
苧うには近くの家までたどり着くと、腕を振り上げ、一撃で家の三分の一を吹き飛ばしてしまった。
露わになった家の中には、そこに住む家族が怯えた顔で見上げている。
その中には、僕たちに食事を運んでくれた女の人たちもいた。
「まずいな」そう言いながら、いつの間にか縄を解いたスサノオが剣を持って立ち上がろうとした。
その時、「やめろおおおおおお!!!」と言う叫び声とともに、真治さんが走り出していた。
手にはどこかで拾ったと言う剣を持っている。
でも駄目だ。
あれじゃ苧うにを貫けない。
そう言おうと思ったが、真治さんはすでに苧うにの背中に向かって剣を突き立てていた。
が、苧うにはまったく気にする様子もない。
刺されようとしたことに気付きもしない様子だ。
僕は何とか追いつき、剣を取り戻そうと正面に回ろうとしたが、壊された家の瓦礫でそれができなかった。
「おい和也!」スサノオの声が聞こえた。「これを使え!」そう言ってスサノオは天叢雲剣を投げてよこした。
「ありがとう!」僕はそう言って天叢雲剣を受け取ると、その勢いで飛び上がって体をひねり、苧うにの首に一撃を食らわせた。
あれほど手強かった長い毛の鎧が、いとも簡単にはらはらと落ちた。
けれどまだ傷は浅かった。
苧うにを倒せるほどじゃない。
久しぶりに持った天叢雲剣は羽のように軽かった。
苧うにはまた僕に気付き、右腕を伸ばしてきた。
その隙をついて僕は懐に潜り込み、今度は下から苧うにの首を刺し貫いた。
「ぅあああああああああああああああああああああああああああああん!!!!!」
と苧うには絶命の悲鳴を上げた。
そして僕は天叢雲剣を抜き取ると、苧うにの下敷きにならぬよう、後ろに飛びのいた。
僕はその傷からてっきり血が噴き出すものだと思っていたけど、そこから出てきたのは何百という苦悶の表情をした人の形の黒い靄だった。
「あれが苧うにの正体だ」スサノオが言った。
「苧うにの正体?」
「食うものがなくなり、口減らしに山に捨て置かれた年寄りたちの魂だ。それがいつしか集まって、苧うにという化け物になった。今まさに、その年寄りたちの魂が空に昇っていくのさ」
「なんだか辛い話だね」
「よくあることさ。食うものもろくにねえ、こんな時代だからな」
辺りはすっかり暗くなっていた。
魂が全て抜け切ると、苧うにの体は瞬く間に黒く干からびるように形を失い、あれほど堅かった長い毛も、糸くずのように風に舞って行った。
「アマネ! アマネ! 無事か!?」真治さんの声だった。
アマネと言うのは昼間真治さんが話していた女の人だろうか。
「ああ、よかった……、よかった、アマネ」家の中から真治さんの声が聞こえた。
「大丈夫だったみたいだな」スサノオが言った。
「うん。もうこれで僕たち、鬼と間違われないで済むかな」
「まあ、たぶんな」そう言ってスサノオは笑った。




