22 体の痛み
「さ、旅の続きに戻るとするか」次の日の夕暮れになるとスサノオは言った。
僕は立ち上がるどころか、ただじっとしてても体中が筋肉痛で辛かった。
昨日の夜、八岐大蛇と剣の練習をしたからだ。
たった一晩で強くなるはずなんてない。
そんなことわかっているけど、なんだか僕は前に比べてすごく強くなった気がした。
それが嬉しかった。
筋肉痛で腕が上がらないのも、強くなるために頑張ったせいだと思うと、痛いのに嬉しかった。
「あっはっは、辛そうだな! 立てるか? 和也」
「もちろん!」と言うと、僕は「ぐぅ……」と小さく悲鳴をあげながらも立ち上がった。
「まずは最初の予定通り、湖を回り込んで向こう岸に出て、亡霊の行列を見つけよう」
「うん、わかったよ」僕は松明を作りながらそう答えた。
「今夜から、半分歩いて、半分は剣の練習をするとしよう。俺も相手してやるよ。ほら、村でいいもん見つけたぞ。和也はこれを使うんだ。自分で持て」
「なにそれ? 剣?」
「ああ。こいつが普通に振り回せるようになれば、和也も立派なもんだ」
「え、な、なにこれ……」
そう言って渡された剣は天叢雲剣に似ているが、飾り気がなく、少し細く見えるくせに重さは倍以上もあった。
「どうだ、重いだろう? 普通の剣はそんなもんだ」そう言ってスサノオは笑った。
「嘘でしょ……」その剣は、まるで鉄の塊のような重さだった。かまえようと持ち上げるだけで精一杯だ。
「どうだ。やめとくか?」スサノオは僕を試すようにそう言った。
「いや、やるよ。これを使って」そうだ。僕は自分であの狒狒のボスを倒せるほどに強くなると決めたんだ。
「あっはっは! そうこなきゃな!」
そしてその日から、夜のうちの半分は亡霊を辿る旅に、残りの半分は剣の練習をすることになった。
夜中にスマホの電源を入れた。
バッテリーの残量を気にして、ここ最近チェックしていなかった。
ぽつんと一つ、LINEにメッセージが届いているのを見つけた。
美津子からだった。
心臓が止まる想いでそのメッセージを開けた。
「和也、いまあなたはどこにいるの? 私のことは大丈夫、心配しないで。でもいつか必ず和也に会いたい」
スマホを持つ手が震えた。
美津子、僕だって美津子に会いたい。
今すぐ会いたい。
どうしてだろう。
どうしてこんな気持ちになるんだろう。
今すぐ会って、美津子を抱きしめたい。
美津子に返事を送ろうと思った。
けれど最初の一言が思い浮かばない。
「美津子、好きだ」
そのひと言を伝えたい。
けれどその前に、聞かなきゃいけないことがたくさんある。
「今どこにいる?」「あれから何があった?」「ほんとに大丈夫なの?」
そしていっぱい思い出話を語り合いたかった。
小学校に入って初めて美津子と会った時のこと。
そう言えば、最初の頃はあまり話さなかった。
遠足で前を歩く美津子が、他の男の子とペアで手を繋いで歩いてて、少し悲しかったこと。
雨の日一緒に走って帰って、僕は傘を持っているのに一緒に雨宿りしたこと。
あの時から美津子と話すようになったんだ。
サマーキャンプはもちろん、運動会も修学旅行も、思えば僕はいつも視界の片隅に美津子を探していたような気がする。
そんな話を、たくさん、たくさんしたかった。
そして聞きたい。「僕のこと、どう思ってる?」
どうしてあの時、まだ向こうの世界にいる時、美津子への気持ちに気付かなかったのだろう。
なんだろう、この気持ち。
これほど誰かに自分の気持ちを伝えたいなどと思ったことなかった。
けど……、けど、とにかく、とにかく今は、美津子を探し出すことが先決だ。
「美津子、いま……」そうLINEに打ち込もうとしたところで、スマホのバッテリーが切れた。
旅の間スサノオは、毎晩僕に剣を教えてくれた。
「よし、今夜の旅はここまでだ。今日はこの辺で剣の練習をしよう」そう言うとスサノオは天叢雲剣を構えた。
「わかった」そう言って僕も自分の剣を構えた。
はっきり言って、もうボロボロだった。手の平はマメが潰れて血だらけになっていた。爪は三枚剥がれた。
腕は剣を構えるだけでがくがくと震えていた。
脚も痛くて真っすぐ立つのも辛い。
筋肉痛なんて、脚か腕しかならないものだと思っていたけれど、腹も背中も胸も筋肉痛で痛かった。
それでも僕は、強くなりたい一心でスサノオに、時には八岐大蛇に向かって行った。
スサノオは、いつもニコニコ笑いながら余裕で僕の剣を弾き飛ばした。
僕は剣の重さに勝てず、そのまま一緒に地面に打ち付けられた。
それでも立ち上がり、持ち上げるのがやっとの重い剣を再び構え、スサノオに向かって行った。
八岐大蛇は一匹が剣を弾き飛ばしたかと思うと、もう一匹が倒れかけた僕の体を打ち付け、他の一匹が脚を叩き、他の一匹が背中を押さえつけと、僕は一撃も入れられないのに倒れることすら許されず、三度四度と殴られた。
もう体中がなんの痛みかわからないほどぼろぼろにされ、それでも立ち上がると目が回ってまた倒れた。もはや八岐大蛇が七匹どころか二十匹の蛇に見えたけれど、僕はどれが本物かすらわからないまま剣を振り下ろし、また殴られて地面に倒れた。
そしてそんな中、コトネの爺様や、弓矢の亡霊の声が聞こえた。
「そうじゃ。視野を広く持て。目の前だけに集中するんじゃない。見えないところからくる気配にも意識を向けるんじゃ」
「無駄が多いから次につながらない。次の一手、その次の一手、さらにその先まで読んで剣を振るんだ。見ろ、見るんだ。振り下ろす剣の先に、相手の動きが見えるはずだ。眼に見えてから動くのではない。心の中に見えたものに対して剣を振るんだ」
僕はもう自分の意思で動いてはいなかった。視界がぼやけて何も見えてはいなかった。記憶が飛んだ。意識を失っているように思えた。それでもなお、二人の言葉の導くままに体を動かし、剣を振るった。
これはスサノオ、八岐大蛇のチームと、僕、コトネの爺様、弓矢の亡霊のチームとの戦いだった。
戦いはいつも僕が負けた。
けれど僕は満足だった。
一日いちにち、僕は自分が確実に強くなっていくのを体の痛みで知った。
狒狒を倒して五日後の夜、亡霊の行列を辿り歩いていた時、「この近くに村があるな」とスサノオは言った。
「どうしてわかるの?」
「地面を見て見ろ。草がかき分けられた跡がある。誰かがここを通るんだ」
「あ、ほんとうだ」僕は松明を下に向けそれを確認した。
「明るくなったら村を探してみるか」
「うんわかった」
「よし。じゃあ今日は、ここで剣の練習だ」そう言って今夜もまた、スサノオは剣を構えた。