21 コトネの爺様
「そいつあたぶん、コトネの爺様だな」
「コトネの爺様? ってことは、スサノオがあの村で最初に話してた人?」
「そう言うこった。最初に言ったろ。コトネの爺様は、むかし腕の立つ剣士だったと」
陽が上って朝になると、スサノオはもうひと眠りすると言って木陰に移動した。
村にはいくつか使えそうな家々があったけれど、「俺は外の方が性に合う。家の中はどうも暗くていけねえ」と言って家の中には入らなかった。僕もその意見に賛成だった。家の中は、暗すぎてどうにも気味が悪い。
スサノオと二人、村のそばの森の木陰で腕を枕に横になり、昨日の夜の出来事を話した。
「でもその人が、どうして僕に乗り移ってきたの?」
「さあな。おおかたコトネのことを心配して、俺か和也についてきたんだろ」
「その人って、そんなにすごかったの? あの狒狒を倒せるくらい」
「ああ、俺ほどじゃないがな。数え切れないほどの化け物を倒してきた方だ」そう言ってスサノオは笑った。
俺ほどって言うけど、スサノオは真っ先にあの狒狒に倒されてたじゃないか……、と思わないわけにはいかなかった。
「和也、お前さんいま、俺が真っ先に倒されたくせにって思ったろ」
「え、いやまさか、そんなこと思わないよ」
「嘘のつけねー奴だな!」そう言ってスサノオは楽し気に笑った。
そう言えば、と思って僕はさっき探しておいた八岐大蛇の勾玉をスサノオに渡そうとした。
「そいつは和也が持っとけ」
「え、どうして?」
「お前さんの守り神になる。八岐大蛇は強いぞ? 今は力を失っちゃあいるが、そいつが力を取り戻し、本気になりゃあ、山の一つや二つ、簡単に消し飛ばすくらいの力がある」
「でも、スサノオの仲間なんじゃ……」
「俺の仲間ってこたあ、和也の仲間ってことなんじゃないかい?」
「ま、まあそうだけど」僕はスサノオに仲間って認めてもらえた気がして少し照れた。でも……。
「それに同じことだ。俺が持ってても、和也が持ってても。天叢雲剣にしてもそうだ。いずれ和也の手に渡るもんだ」
「え? どういうこと?」
「そのうちわかる」そう言ってスサノオは声高に笑い声をあげ、そのまま眠ってしまった。
腹が減って目を覚ますと、辺りはもう暗くなっていた。
少し寝すぎた……、と思って横を見ると、スサノオはまだ眠っていた。
向こうを向いて背中しか見えないが、いびきが聞こえる。
昨日の狒狒との戦いで、強がってはいても思いのほかダメージが大きかったのかも知れない。
僕は胸の辺りがムズムズするのを感じ、「なんだろう?」と思って手をやった。
と、八岐大蛇の勾玉を胸にぶら下げていたのを思い出し、それを取り出し手に取った。
勾玉はすでに小さな蛇に姿を変えていた。
勾玉が八岐大蛇に姿を変えるのを何度か見ていたので慣れてはいたけど、自分の手の平の中で姿を変えられるのは初めてだった。
ぬるぬると七匹の小さな蛇がもつれ合うように手の中で蠢くのは、何ともくすぐったいような気味悪いようなおかしな感触だった。
やがて七匹の蛇はもつれ合うまま大きくなり、片手では持っていられないほどの重さになった。
そっと地面に降ろしてやると、さらに大きさを増し、いつも目にする巨大な七つ頭の大蛇になった。
そのうちの二匹は、狒狒との戦いでついた傷がまだ癒えないらしく、痛々しく目の下や口の裂け目に傷を残していた。てっきり八岐大蛇はスサノオの方に行くのだろうと考えていたが、スサノオには一瞥をくれるだけで僕の方に寄ってきた。
「そいつを持ってついて来い」八岐大蛇は言った。
「話せるの!?」僕は思わずそう聞いた。
「言葉は話せない。だが心の中に思いを伝えることはできる」
そう言われて僕はなるほど、八岐大蛇の声は耳に聞こえているのではなく、頭の中に聞こえていることに気が付いた。あの弓矢の亡霊の言葉のように。
「そいつを持って、ついて来い」八岐大蛇はもう一度そう言った。
そいつ?
僕は僕とスサノオの間の木に立てかけてあった天叢雲剣を持ち、これのことだろうかと思いながら後に続いた。
八岐大蛇は僕のペースに合わせるように、ゆっくりと村の中へと入って行った。
少し歩いてスサノオが気になり後ろを振り返ると、遠くてよくは見えなかったけど、スサノオは起きて僕の方を見ているような気がした。
なんとなく……、だけど、スサノオはわざと眠った振りをしていたのかも知れない。僕と八岐大蛇を二人にするために。そんな風に思えた。
「この辺でいいだろう」そう言って八岐大蛇は村の中心と思われる広場のようなところまで来ると、止まってそう言った。
いつの間にか、コトネも後ろを付いてきていた。そしてハクビシンも。
「剣を構えろ」
「剣?」そう言って僕は手に持った天叢雲剣を見た。
「そうだ。それだ」
構えろと言われても、僕は剣の構え方などわからなかったのだが、とにかく両手で握り、剣先を前に向けてそれらしいポーズを取った。
「違う。左手は下だ。絞り込むように持て。だが力は入れるな」コトネがそう言った。言ったのはコトネだったが、声はいつもと違った。男の、年寄りの声だった。コトネの爺様……。凄腕の剣士だと言った。
僕は言われた通り持ち方を変え、肩と肘の力を抜き、自然な感じで剣を前に向けた。
「かかってこい」八岐大蛇が言った。
「かかってこいって、僕……」
「やってみろ。体で覚えるんだ」コトネが言った。
僕はわけもわからず、構えた天叢雲剣を振り上げ、八岐大蛇に向かって行った。
けど、剣を振り下ろした瞬間、八岐大蛇に頭ではじかれ、おまけに尻尾で足を払われその場に横から激しく尻もちをついた。
「まず足の運びじゃ。ただ走ってもいかん。剣を振り下ろすと同時に踏み込むんじゃ。大地を叩き割るつもりで踏み込め!」
「相手の動きを見極めろ。剣のひと振りを無駄にするな。無駄な振りなど一つもない。すべてが一矢必殺と思え」今度は弓矢の亡霊の声がした。
僕は二人の声に従い、体の動き、剣の振り、視線や心の動きまで、すべてを教えられるまま八岐大蛇にぶつけて行った。
天叢雲剣は不思議なほど重さを感じさせないものだったけれど、何十回、何百回、何千回と構え、振り下ろし、はじかれ、時には地面を切りつけ、また持ち上げる度、僕はもう剣を持たなくても腕が上がらないほどに疲れ切っていった。
八岐大蛇は強かった。
僕が弱すぎるせいもあるのだろうが、それでも八岐大蛇のあまりに無駄のない素早い動きに、僕はまるで小さなかすり傷一つ付けられる気がしなかった。
それは深夜まで続き、意識が朦朧として立てないほどになったところで、「お、やってるじゃないか、和也」とスサノオの声がして、僕は足がもつれてその場に倒れ込んだ。「あっはっは!」とスサノオは笑い、僕の頭から水を浴びせ、「朝から何も食ってないだろ! こいつを持って来てやったぞ」と言って何やら焼いたもちのような物を手渡してくれた。
その食べ物の正体はわからなかったけれど、中はほんのりと甘くてみずみずしく、大根のような風味がした。それを米か麦のようなもので固め、焼いて軽く塩を振ってあるようだった。ただそれだけのものだったけれど、この世の物とは思えないほどうまかった。
「どうだ、うまいだろ! まだまだあるぞ、どんどん食え!」
僕は言葉を発することもできずにそいつを貪った。
そして腹が満たされ、水を飲むと、「さ、さっきの続きじゃ。立ち上がれ!」とコトネに言われ、僕はがくがくと震える自らの足と手を鼓舞し、天叢雲剣を持ち、八岐大蛇に向かって行った。
スサノオはそれを見て満足したのか、近くの家の壁に寄り掛かって座り、やがていびきをかき始めた。
僕はまるで現実逃避するかのように、美津子と正人の思い出を頭の中に思い描いた。
美津子、そうだ、美津子を助けるんだ。
あの狒狒を、巨大な狒狒のボスを、僕一人の力で倒せるくらい強くなって、美津子を助けるんだ。
僕はその一心で明るくなるまで剣を振り続けた。