8 スサノオ
「うっ、うわぁ……」と、僕は震えて声も出せず、立ち上がって逃げることもできず、座ったまま後ずさった。
男は「ん?」と言って振り向くと、「なんだ、こいつが怖いのか」と言って笑い声をあげた。
「こ、こいつがって、そ、それ……」
七匹いるうちの一匹がぬっと顔を出し、男の肩に顔を乗せた。
その頭の大きさは男と同じくらい大きく、銀色の鎧のようなうろこを持つ大蛇だった。
暗くてよく見えないが闇の中には想像するのも恐ろしいほどの巨大な体が蠢いているようだった。
「お前さん、いま化け物退治に行くって言ったところじゃないのかい」男はそう言ってなおも笑っている。
男のその言葉を面白がるように、男の腰の下にいた大蛇が首をもたげて口を開け、全開にした喉から擦れたような声で「しゃあぁぁっ!」と声を上げた。また別の頭は静かに僕の鼻先まで近づくと、細く赤い舌で僕の鼻面をちろちろと舐めて見せた。
僕は息をすることもできず、ただ石のように固まって怯えていた。
「どうだい。化け物退治はできそうかい?」男は意地の悪そうな口調でそう聞いた。
僕は震えて何も言えなかった。
夜が明けると、雨はやんでいた。
寺の中は光が差し込み、仏像がまるで哀れな子猫でも見下ろすように薄い目で僕を見ていた。
男の姿はどこにもなかった。
化け物の姿も消えていた。
僕はどこかに隠れているのではないかと、仏像の後ろに目を凝らしたが、気配すら感じることはできなかった。
もしかして、あれは夢だったのか……。
いやでも、だとすると、どこまで現実で、どこからが夢だ?
てか、家に帰りたい……。
僕はそう思いながら目を閉じ、寝返りを打った。
全部夢だったらいいのに……。
しばらく何も考えず目を閉じていたが、再び眠りは訪れず、誰も「今までのことは全部夢だよ」なんて優しい言葉はかけてくれなかった。
堅い板の上に、藁を少しひいただけのところで寝てたので、僕は体中が痛かった。
それでも寝られたのは、酷く疲れていたせいだろうか。
僕は起き上がり、ふら付く足でなんとか立ち上がった。
外に出ても、男の姿は見つけられなかった。
僕は寺の周りをぐるっと一周し、やはりどこにも昨日の化け物がいないことを確かめた。
「なにやってんだ?」その声に振り向くと、昨日の男がいた。
手には何本かキュウリを持っている。「ほらよ」と言って僕にその内の一本を投げてよこした。
「お前の言う通りだ。硬くてまだ小さいやつを食うと、それほど不味くない」そう言いながら男はぽりぽりとキュウリをかじった。
僕も受け取ったキュウリを服で拭い、ポリポリとかじった。
「ところでお前、これからどうするつもりだい」
「美津子を探すよ……」
「美津子ってのは、昨日話してたお前の友達だろ? けど、どこを探す? 見つけたところでどうする? 昨日、さらった奴らに伸されてたのはお前だろ。それにもしもうその美津子ってのが、化け物の手に渡ってたらどうする? たかが大蛇に腰抜かしてたようなやつがよ」
僕は一気に問題点を指摘され、そのどれも解決しようがないことに言葉を失った。
と言うか、大蛇? あれは夢じゃなかったんだ……。けどじゃあ、あの大蛇はいったい今はどこにいるんだろう。
いや、もうそんなことを考えている場合じゃない。
僕がここでぼやぼやしている間に、美津子は、美津子は……。
「おじさん、昨日、美津子は平城京に連れて行かれたって言ってたよね」
「おいおい、おじさんはやめてくれ。俺の名はスサノオだ」
スサノオ……、どこかで聞いた名前だな、と思いながらも思い出せなかった。
「さらわれた女は、だいたい平城京に送られる。高く売れるからな。都の方でも女を集めるのに必死なのさ。自分たちの娘が食われたんじゃたまったもんじゃないからな」
平城京は、確か奈良だ。僕はもうスマホのバッテリーがどうとか気にしている場合ではなく、スマホを起動すると地図を開き、今いる場所から奈良県まで歩いてどれくらいかかるか調べた。
まるまる歩き続けて三日と二十三時間……、ここじゃあきっと、道なんかなくて時間もかかるだろうし、まさか歩き続けるわけにもいかないから、きっと早くとも一週間はかかるだろう。
「なんだそれは?」
「平城京までの距離を調べているんだ」
「キョリ?」
「何日かかるかってことだよ」
「そんなことがわかるのか?」
「うん、まあね」スマホが何であるのかの説明はやめておいた。と言うより、どう説明すればいいのやらわからなかった。
「で、何日かかるんだい」
「たぶん、七日ほどで行けるよ」僕がそう言ったとたん、スサノオは大声を上げて笑い出した。
「そりゃお前、七日間休まず歩き続ける気かい! 普通に行っても十日はかかる場所だぞ!」
「おじさん……」じゃなかった、「スサノオは、行ったことあるの?」
「あるも何も、俺は平城京より向こうの土地にいたからな。ここにくるまでに通ってきたさ」
「ほんとに!? じゃあ、ねえ、スサノオ、お願いします! 僕をそこに連れて行って!」




