71.ヒミツの話
カーバニル先生と産婆さんの二人がなんとか赤ちゃんをお腹の中から取り出す。
しかし、産声を上げるはずの赤ちゃんはなかなか泣き声をあげない。
「先生……?」
「大丈夫、生きるわ。だって助けるのでしょう?」
そう言われて私は頷く。
ライラさんはぼんやりとした声で赤ちゃんを求めた。
先生はファスタさんとライラさんの間に赤ちゃんをそっと置くと、私に目で合図をよこす。私は急いで魔術式を展開させた。
その魔術式を初めて見せてもらった時、とても感動したのを覚えている。真っ白な花なのだ。大きくて、とても美しい白い花。
私が展開させた魔術式が白い大きな花となり、ライラさんを包み込む。
降りそそぐ優しい光はまるで雪のようだ。
そして少しの間、三人は花びらに包まれていたが、ふわりと花ひらくと同時に消えてしまった。
不思議なことにこの魔術式は、治すと消えてしまうのだ。
すると赤ちゃんの元気な泣き声が聞こえ始めた。
「ふやあ…ふやあふやあ……」
「あ、ああ……なんてことだ!!」
ファスタさんは赤ちゃんとライラさんの両方を見て泣きだす。
私はライラさんの切られたお腹を見て、傷が綺麗に消えたことを確認した。なんとか成功したようだ。
ライラさんの顔色もさっきまでに比べて断然良い。
お腹を切ったことで出血はあったけど、傷自体が綺麗に消えているのならあとは本人次第。痛みもないから食事も普通に取れるはず。
栄養と休息で元通りの生活が送れるだろう。
ホッとしていると、先生が頭を撫でてくれた。
実は魔術式を発動させたことはあったけれど、実際に怪我をした人に使ったのは今回が初めてなのだ。
「良くやったわ」
「成功して良かったです」
「魔術式を理解してるなら失敗しようがないから平気よぉ」
そうは言っても初めてと言うのはなんだって怖い。私はもう一度自分の手を見る。
すると微かに手が震えていた。
「……姫様は、聖なる乙女だったのですか?」
その声に振り向くと、シャンテが驚いた顔をしている。私は困って先生を見上げた。先生は私の視線を受けて少し肩をすくめる。
「実はそうなのよ」
「ああ……姫殿下!ありがとうございます!!」
リューネさんが私の手をギュッと握り、お礼を言う。私は首を左右に振ると、実は初めてだからすごいドキドキしてたのと彼女に打ち明けた。
「魔術式の練習はしていたけど、内緒だったから……初めて使うの」
「いいえ。そんなことは関係ありません!だって義姉も赤ちゃんもあんなに元気そうですもの」
「なぜです……?内緒って……だって、聖なる乙女だったら姫様の方が、ライル殿下よりも……」
そう言いかけたシャンテが、すぐに自分の手で口を押さえる。
「そう言うことよ。今は、ライル殿下が継承一位なの。だからこのことは誰にも言ってはいけないわ」
先生が口に人差し指をあてながら話していると、クリフィード侯爵が部屋に駆け込んできた。
「ファスタ!ライラと子供は無事か!?」
侯爵はまだわんわんと泣いているファスタさんの元へ行く。赤ちゃんとライラさんが無事なことを知るとホッとした表情を浮かべた。
そして産婆さんに向き直るとその手を取り、彼女に礼を述べる。
「ああ、良かった。無事に生まれたのだね?流石は腕の良い産婆だ。礼は弾もう!ありがとう!!」
「え、ええ……その、ご無事に生まれてようございました……」
産婆さんは困惑した視線を私たちに向け、それからまた侯爵に視線を戻す。
「どうかしたのか?」
「いいえぇ〜なんでもございませんわ!アタシも側で見ていましたけど、とおっても腕の良い産婆さんでしたよ!!」
そう言って先生は産婆さんを褒め称える。侯爵は疲れただろうから、今日は屋敷に泊まっていくといいと産婆さんに言い、使用人に部屋の用意をするように伝えてからまた神殿に向かった。
どうやら神官は他の人の治療に当たっていたらしく、直ぐに連れて来られないと言いに戻ってきたらしい。
そして今度は必要がなくなったので、その連絡をしにまた戻ったのだ。
次の順番の人にどうしても、とお願いして譲ってもらった順番だったらしくその人にもお礼と謝罪をしたいと言っていた。爵位を持っていても、その辺の分別はきちんとした人らしい。
「と、言うわけだからここにいる全員に口外できないように魔術式をかけさせてもらうわよ?」
子供であるシャンテが気がついたように、私が聖なる乙女の資格があると他に漏れると不味いと三人はわかったのだろう。
使用人と産婆さんは困惑した表情を浮かべていたが、流石に侯爵家の人間である三人は静かに頷いた。
今の王城内の派閥はフィルタード派が多数を占めている。そのせいで多少の問題はあっても王城内の派閥間争いは落ち着いているのだ。
だけど私に聖なる乙女の資格があるとわかれば、フィルタード派に不満を持つ貴族たちが担ぎ上げかねない。
なんせ今までのライルは問題ばかりだった。
その件を事細かに調べられると、ライルの継承一位に問題有り、と見られるだろう。
そこで対立が生まれると、困るのが私たちだ。
多少のわだかまりはありつつも、うまく家族として暮らしているのに横から変な茶々を入れられたくない。
これから弟妹たちも増えることだし、安心安全な生活はとても大事だ。
ライルが継承一位であることで、その安心安全は保たれる。
悲しいけれど————今はまだ、それが現実なのだ。
***
先生はその場にいた使用人たちと産婆さんには記憶封じの魔術式をかけ、
ファスタさん、ライラさん、リューネさん、シャンテ、リーナには誰かに聞かれても口に出せない魔術式をかけた。
そうしてその日の夜は赤ちゃんが無事に生まれたお祝いをし、次の日の朝に侯爵邸を後にする。
ライラさんをのぞいた侯爵家の人たちが私たちの出立を見送ってくれた。
侯爵にはライラさんの不在を詫びられたが、気にしないで欲しいと伝える。
赤ちゃんを産んだばかりだし、切ったお腹を聖属性の力で治しても直ぐに動けるわけではない。
鍛えた騎士ではないのだ。出血した分だけ、養生する必要はある。
念のため、私の畑で取れた栄養価の高いジャムを置いてきたので次に来る時は元気な姿を見せてくれると思う。
赤ちゃんに会うのも今から楽しみだ。
馬車に乗り込み、しばらくしてから私は先生に尋ねた。
「先生、どうして同じ魔術式にしなかったの?」
「どうしてだと思う?」
先生はニッと笑う。
質問したのはこちらなのに、質問し返されてしまった。
でもどうしてだろう?秘密は知っている人が少ないほど良い。そう言ってお父様は騎士団長以外の記憶を封じた。
使用人や産婆さんは記憶を封じ、侯爵家の三人だけは口に出せないだけで記憶を残す。
その理由。
私が悩んでいると、シャンテが恐る恐る口を開いた。
「その、姫様の……味方にするためですか?」
「私の味方?」
「あ・た・り」
うふふ、と先生は嬉しそうに笑う。
しかしどうして私の味方とかそんな話になるのだろうか?私は別に派閥争いをしたいわけではない。
「……アナタ、実は派閥に全く興味ないわね?」
「え?ま、まあ……そう、かなあ?」
私の反応にはあ、とため息を吐かれる。
そんなこと言われても、今まで三番目と言われてほぼほぼ放置されてきたのだ。これからだって表舞台に立つことは早々ないだろう。
「クリフィード侯爵家は中立なの。だから、次の当主であるファスタ・クリフィードに恩を売っておけば、何かあった時に味方になってくれるでしょう?」
「恩を売った覚えはないのだけど……」
「そのつもりがなくても、向こうは勝手にそう思うのよ。ようやく生まれた子供なのよ?しかも母子共に無事。アレはアナタじゃなきゃできないことだもの」
そう言われて私は昨日のやり取りを思い出す。
先生はポーションの出番と言っていたが、もしやポーションを使うつもりは最初からなかったのではなかろうか?
初級ポーションではお腹を切って、出血しているライラさんを無事に助けられるとは言い難い。でも中級や上級ならきっと平気だろう。
騎士団に大半を渡し、残った物もラステア国へ渡すために使ってしまったと言っていたが……私は結構な量の初級と中級ポーションを作った覚えがある。
上級は、家族みんなに一本ずつ渡した。
騎士団に渡すとしたら初級と中級。ラステア国へは初級、中級、上級を渡す予定だけど……それでも余る。たぶん。
「先生……もしかして、初級数本しかないって……ウソ?」
「あら〜今頃気がついた?」
「騙すなんてひどい!」
「だってそう言わないとアナタ、自分の力を使わないでしょう?」
「だってお父様と約束したんだもの……」
「いやあね、そんな約束は破るためにあるのよ」
魔術式なんて使ってナンボよ、と先生は言うが、約束とは守るためにあるものではなかろうか?
シャンテに視線をやると、彼はサッと顔を逸らす。
「シャンテ……?」
「いえ、その……母も、そんなことを言っていたなと」
「約束は守るためにあるものでしょう?」
「姫様、時と場合によるのです。それに……姫様は苦しんでいる人を前に使わない、という選択肢はありませんよね?」
「それは、そうだけど……」
リーナにまで言われてしまい、私は口を尖らせる。
「それに、味方ってのは多い方が良いのよ?」
「……クリフィード侯爵家が中立なのはわかったけど、他の家は?」
「ローズベルタ侯爵家は陛下の生母、つまりアナタのお祖母様の家ね。ここは学者肌の人間が多いの。一応中立よりは若干王家よりと言われてるけど、研究一筋って感じだからあまり直ぐには動かないわね。アリシアちゃんのパパ、ファーマン侯爵家は完全に中立。娘にはゲロ甘だけど、王家に問題ありと見たら確実に糾弾してくるわ。で、近年新しく侯爵家入りしたカナン侯爵家。ここは完全にフィルタード派よ」
先生はさらに、伯爵家より下の家もフィルタード派が多いと言う。中立派の侯爵家は表立って派閥を作ったりはしないそうだ。
ただローズベルタ侯爵家は、幅広く学ぶ者を支援していることで学者たちから人気が高いらしい。
「なんだか、フィルタード侯爵家だけが表立って派閥を作ってるように感じるわね」
「そうね。権力を持ってると極めたくなるんじゃない?」
なんせ始まりの一族だし、と言われてそんなものかなと考える。
ファティシア王国を作った始まりの家。
ファティシア、ローズベルタ、クリフィード、ファーマン、そしてフィルタード。
この五つの家が国を作った。
「国を作った理由はなんだったのかしら?」
「さあ、そこまでの細かい所は歴史家にでも聞かないとわからないわね。何かがあったから作ったんでしょうけど」
「聖なる乙女の話は聞くけど、建国した理由って実は知らないかも」
うーんと唸っていると、外を警護している騎士たちから声がかけられる。
先生が馬車の窓を開けると、もうすぐラステア国の国境に入ると言われた。
「クリフィード領からそんなに離れていないのね」
「そうね。馬車で半日程度の距離かしら」
下手に国内を移動するよりも近い。カウダートの街が異国情緒あふれた場所な理由がわかった気がする。
不意に、馬車が止まった。
「あら、どうしたのかしら?」
先生が馬車の窓から少しだけ頭を出す。すると、あらイイオトコ、と呟いた。
「カーバニル研究員、ラステア国の旗です」
「敵意はなさそうよね」
「武装してる風ではないですね。どちらかと言うと正装、でしょうか?」
「迎えに来るって話は聞いてないのだけど……国旗を掲げている以上、国からの使者よねえ?」
「ただ、その……飛龍に乗ってますので……」
二人の話を聞きながら、私は『飛龍』という聞き慣れない単語に首を傾げる。
「飛龍って何かしら?」
「ああ、ラステア国は龍がいるんですよ」
「龍?龍が守る国って聞いているけど、本当に龍がいるの?飛龍ってことは飛ぶってこと?」
一応、ラステア国の歴史やマナーなどは詰め込まれてきたけど、細かいことまではこちらに伝わってないのでわからない。
私は好奇心に負けリーナが止めるのも聞かずに反対の窓から顔をだした。
そこには数十騎の飛龍がいて、一番前に黒髪の若い男の人が立っている。
こちらの衣装とは違う正装を着ているが……それでもその若い男の人が一番偉い人なのはわかった。
彼は私を見つけるとにこりと優しく微笑む。
私は慌てて席に戻ったが、リーナとシャンテから呆れた目を向けられてしまった。
白い花は木蓮をイメージしてます。




