215.彼女は美しく微笑んだ 2
両親のなかで、私は愛玩動物と変わらないのです。
そう話すサティ嬢はどこか楽しそうだった。それは諦めからくる感情なのか、それともレイティア侯爵夫妻を嘲笑っているのか、どちらなのだろう?
残酷な内容が淡々と語られる。
愚かな娘でいてほしい。そう願ったレイティア侯爵夫妻からすれば、サティ嬢は思惑から外れているのだろう。
夢の中で見たサティ嬢から受ける印象と、今目の前にいるサティ嬢から受ける印象。
まるでもう一人同じ人間がいるのではなかろうか?そう思わせるほどに、別人に見える。
愚かではない。実際にはとても聡い少女なのだ。
ただ彼女に見合う教育をレイティア侯爵夫妻は与えなかった。
「いずれ……父は姉に子供を渡すように言いつけるでしょう」
「それは、サリュー妃の子供に家を継がせるため?」
「そのほうが箔がつくでしょう?」
「確かにね。家格も侯爵から、公爵へとあがる」
「お姉様は……お父様たちから求められたらきっと断れないわ。だってずっと愛されたがっていたもの」
「両親から愛されるために、子供を渡す?」
コンラッド様の言葉にサティ嬢は頷く。でも私はそうは思わない。たとえ父親から子供を養子に差し出すように求められても、サリュー様は渡さないはずだ。
今のサリュー様にはウィズ殿下がいる。
いつも心の奥で感じていた不安は、自身が番であるということで払拭されるかもしれない。
もっとも番であったから選ばれた、という新たな悩みを抱えるかもしれないが。
矛盾しているだろうけど、自分がなぜ選ばれたのかわからない。自分以上に似合いの人はいる。番が現れたら自分なんて……と常に後ろ向きなサリュー様に、番で良かった!という感覚はないのだ。
選ばれた理由が番であるだけなら……とまた悩むに違いない。
これはもう、ウィズ殿下が言葉や行動で伝えていくしかないだろう。自信のなさは、家族から愛されなかった背景があるのだから。
深い愛情を知れば、きっと考えも変わる。
でも……サティ嬢の考えはきっと変わらないのだろうな。彼女もまた、愛情に飢えている。そしてサリュー様に求めているのだ。その愛情を。
だからこそ、サリュー様のものをほしがる。
ウィズ殿下を好きになったのも、二人の間の子供なら愛せるといったのもそれが原因だろう。
きっとそれにコンラッド様も気がついている。
「サティ嬢。俺はね、サリュー妃がそこまで心の弱い人でないと知っている」
「王弟殿下の目にはそう映るというだけですわ」
「そんなことはないよ。君よりも、よほどサリュー妃を見ている」
「私は……お姉様の妹ですよ?」
「でも君は結婚してからのサリュー妃を知らない」
「それは……お姉様だって私に話したいと思っていたはずです」
「どうして?」
「だって私は、妹だもの」
「血も繋がっていないのに?」
血の繋がりがない。その言葉にサティ嬢が眉をひそめる。
今まで淡々と話をし、人形のような表情だった彼女の……初めての反応。
「お姉様は……ご存じないわ」
「つまり君は……サリュー妃を謀ってきたわけだ?」
「違う!そんな、そんなつもりはないわ……私はいつだってお姉様が大切で、大好きだもの」
「君が好きでも、サリュー妃はどうかな?いつも自分のものを奪っていった君を好きだと思うかい?」
「それは……それは、でも……」
人形から、感情を得た人間にかわる。そんな印象を受けた。
そして困惑は、徐々に混乱へ。
サティ嬢はなにかブツブツと呟きはじめる。
私のお姉様。
そんなことない。
お姉様だもの。
「違う。違うわ!お姉様は私を一番に考えてくれている!愛してくれている!!だからいつだって自分のものを譲ってくれたのよ!!」
半狂乱になりながらサティ嬢は叫んだ。
なにかが、おかしい。
「――――いいえ、わたくしは貴女を愛していたのではない。哀れんでいたのよ」
静かな声が、部屋に響いた。
声の方を向けば、外で待機していたカーバニル先生とオルヘスタル元魔術師長を従えたサリュー様がいる。
驚いてカーバニル先生に視線を向けたが、先生はゆるく首を振るだけ。
つまり先生にも理由がわからないのだろう。
ここに来ることは、ウィズ殿下から止められていたはず。
それに私たちが今、面会していることもウィズ殿下は知っている。だからここにサリュー様が来れるわけがないのだ。
現実問題としているのだから、きっと向こうではなにかが起こったのだろうけど。
ウィズ殿下が怒鳴り込んでこないことを祈るばかりだ。きっと怒られるのはコンラッド様や、オルヘスタル元魔術師長になりそうだし。
そして突然現れたサリュー様に、サティ嬢は何度も目を瞬かせている。
「おねえ、さま……?」
「わたくしは、ずっと貴女を哀れんでいたのよサティ。だって貴女は……いえ、わたくしもね。父に、貴女は両親に愛されていなかったもの」
「だから……だからお姉様が私を愛してくれていたでしょう?」
「そうね。でも貴女が私のものを欲しがるのは、理由があると気がついたときに哀れみに変わったの」
「どうして、私を哀れむ必要があるの?」
「貴女はいつだってわたくしのものを欲しがった。でもそれだけ。本当に必要なものではないから、すぐに興味を失う」
「それは、仕方ないわ……私には意味のないものでも、お姉様には意味のあるものだったもの」
「だからよ」
そういってサリュー様は目を伏せる。
サリュー様が必要なもの。
それはきっとサリュー様のために、きちんとあつらえたものだろう。
たとえば本、たとえばアクセサリー、洋服、筆記具、そして人形……その全てがサリュー様に合わせたもの。
年下のサティ嬢には不格好であったのではなかろうか?洋服やアクセサリーはサリュー様とサティ嬢では似合う色も違う。
そして必要最低限の淑女教育しか受けていないのであれば、サリュー様が読むような本はきっと理解するのが難しかったに違いない。
だからこそほしいとねだったあとは、そのまま放置される。でもサリュー様が持っているものは、自分を価値ある者だとするもの。
それはとても歪な――――
「貴女は……サリュー様になりたかったの?」
思わず口をついて出た言葉に、サティ嬢が椅子から立ち上がる。
「私がお姉様に……?なれるわけないでしょう??」
「だから欲しがったものをそのままにしたの?自分では扱えないから」
「違うわ!そのままにしたのは……そのままにしたのは……私には、私は……」
頭をかきむしり、きれいに結われた髪は見る影もない。
そしてその髪から一本の簪が床に落ちた。
サティ嬢はふらりと体を動かすと、そのまましゃがみ込み簪を大事そうに拾う。
「その簪、持っていてくれたのね?」
「お姉様がくれたものだもの」
「そう」
「お姉様が……私に似合うって……!!」
「そうね……」
ぎゅっと簪を握りしめ、サティ嬢は泣きそうな顔でサリュー様を見た。
「私……可哀想な子だった?」
「ええ」
「血の繋がりのない私は愛してもらえない?」
「いいえ。血が繋がってなくても、貴女はわたくしの大事な妹」
「本当に?」
「本当よ」
お互いに確かめ合うように視線を合わせている。
サティ嬢は歪な笑みを浮かべると、手を振りかぶった。
四阿での出来事がよぎり、カティア将軍がサリュー様の前に出る。サティ嬢の手は、そのまま自分の胸元へとおりていった。
手には簪。
薄い皮膚を破り、――――鮮血が飛び散る。
グラリと傾いだ体をカティア将軍が受け止めた。
「カーバニル先生!」
「待って、すぐにポーションを……!」
「いいえ。必要ありません」
「え……?」
ハッキリとした拒絶。私はサリュー様の顔を見る。
その表情からは、サリュー様の考えを読むことができない。私はコンラッド様に視線を向ける。この状況をどうにかできる唯一の人だからだ。
「サリュー妃……」
「いいえ。だめです」
「しかし……」
「この子の犯した罪は、わたくしを傷つけようとしただけではないのです」
「どういう意味です?」
「そうでしょう?サティ。貴女は自分が婚約者になれないと知って、ウィズ殿下に呪いをかけた。あのレイランの術者を使って」
ウィズ殿下にかけられた呪い。それは五年前の話ではなかろうか?
確か……呪物を持ち込んだ商人は、その後死んでいたはず。
「やっぱり……気がついてらしたのね?」
「わたくしが好むもの。それをよく知っているのは貴女だけだもの」
「ご自分が対象だとは……思わなかったのですか?」
「最初はそう思っていたわ。でも選んだのはわたくしではない。殿下だった。だから殿下から、わたくしを返してもらおうとしたのね」
そうか。前提条件が逆なのだ。
サリュー様は確かにウィズ殿下が好きだけど、サリュー様を望んだのはウィズ殿下。
ほしいと思って叶わなかったが、条件が逆ならば返してもらうという発想になってもおかしくない。サティ嬢はサリュー様に執着しているのだ。
自分を唯一愛してくれる人だから。
きっとサリュー様がいなければ、自分を保っていられないのだろう。
端から見れば矛盾しているけれど、サティ嬢からしてみれば正当な理由になる。
しかしこのままではサティ嬢は死んでしまう。カーバニル先生とコンラッド様を交互に見るが、二人の顔には深い苦悩が浮かんでいた。
王族に対する、呪詛。それは極刑に値するからだ。
今助けたところで、サティ嬢の死は免れない。ほんの一時、生きながらえるだけ。
ごほりとサティ嬢の口から大量の血が吐き出される。
「サリュー様……!」
「だめよ。だめなの。このまま、死なせてあげて」
「え?」
「それがこの子の矜持なの。そうでしょう?」
サリュー様の言葉にサティ嬢はそれはそれは嬉しそうに微笑んだ。
「ええ。そう……あいしているわ、おねえ……さま」
「いいえ。わたくしは貴女を愛せないわ。サティ」
胸の前で両手を強く握りしめ、サリュー様は静かに告げる。それでもサティ嬢の表情が曇ることはなかった。それが嘘だと、理解しているのだろう。
ただただ美しい微笑みを浮かべたまま、彼女は静かに逝った。
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