194.レイティア侯爵邸 1
――――ファティシア王国には五つの侯爵家が存在する。
他の国に比べて、上位貴族が少ないのは国の歴史が浅いからだ。
ラステア国はレイラン王国に次ぐ長い歴史のある国。それもあって公爵家や侯爵家がファティシアよりもずっと多い。
国の歴史が長くなるほど、王家から離れる人や降嫁したことによって地位をあげる家もある。それはどこの国でもおなじことだろう。
レイティア侯爵家も歴史あるラステア王国の上位貴族家の一つ。
そして王太子妃サリュー様の生家だ。
そのレイティア侯爵家にレイランの術者がいる、らしい。
シュゲール・ハッサンの言葉を信じるならだけど……ただ自分の命が危ぶまれる時に嘘なんていうだろうか?
だってあの時のネイトさんの声色はもの凄く静かだった。あんな尋問を受けて嘘なんて言えない。少なくとも私はペロッと話してしまうだろう。それぐらい怖かったもの!
普段優しい人の意外な一面を見た気がした。ネイトさんも、カティア将軍の側近なだけある。
まあ、でもそうよね。将軍を叱咤しながら仕事をしているのだから、優しいだけじゃ務まらない。今は部屋にいない将軍の顔を思い浮かべ、それでもお仕事から逃げようとする将軍は更に上手なのだろう。
初めて会った時に目の下が隈だらけだったはずだ。
「しかし……どうしましょうねぇ」
「え?」
「だってそうでしょう?正面から、貴方の家にレイランの術者がいますね?とも、呪いをかけてらっしゃる?とも聞けませんからね」
「そ、それは、確かに」
「他の、サリュー様の立場を妬んでいる令嬢に関してもそうです。サリュー様に呪いをかけてらっしゃる?なんて聞けません。確たる証拠がなければ」
ネイトさんの言葉に私は頷く。
どう考えたって悪いことをしている自覚があるなら、誤魔化すに決まっている。そもそも呪いを王族に使うことは国家反逆罪。一族連座で咎められる可能性もあるのだ。そんなリスクの高いことをするだろうか?
それはレイティア侯爵家も同じこと。自分の娘を呪う親なんて普通はいない。
だって王太子妃に選ばれて、後継まで産んでいるのよ?そんなことして何の得があるのだろう。今のままで十分家に貢献しているのに。そんなことより外祖父として手腕を振るった方がよっぽど家のためになる。
呪う理由なんて、ないのだ。少なくとも私の目にはそう見える。
自分の家族を巻き込む可能性のあることをするなんて……
「知らない可能性も、なくはないな」
「まあ、その可能性もなくはないですねぇ。令嬢たちはただの恋のおまじないと信じてるかもしれませんし」
「それにレイティア侯爵家も今まで問題を起こしたことはない家だ。凡庸で、日和見なところもあるが国を裏切るほどの度胸もない」
「それはそれは……平和で何よりです」
コンラッド様と話していたシュルツ卿は肩を竦めてみせた。でもなぜだろう、何かが引っかかる。だってシュルツ卿はラステア国のことをかなり詳しく調べているはず。
レイティア侯爵家にレイランの術者が出入りしていたことも知っていたわけだし。それなら私たちの知らない情報をまだ持っているのではなかろうか?
問われない限り、話すことはない。この手の人はそう言う人が多いのだ。聞かれなかったから、とあとで言ってくる。
ロイ兄様もちょっとそう言うところがあるのよね。
「シュルツ卿、レイランの術者は人の心を惑わせることができるのでしょう?それなら裏切らせることもできるのでは?」
「その可能性も勿論ありますよ」
「可能性、なんですか?」
「実際のところ、レイティア侯爵家は怪しい動きはしてませんからね。僕の目から見ても反逆しそうな気配はありません」
怪しい動きがないのに、レイランの術者は出入りをしているって矛盾している。でも何かが引っ掛かるのだ。
だってそうじゃなきゃ、サリュー様はあんなこと言わない。自分の身を危険に晒してまで呪いをそのままになんて……
「あっ……」
「ルー嬢、どうかしましたか?」
ネイトさんが私に問いかけてくる。私は、サリュー様に言われた言葉を伝えるべきか悩んだ。
サリュー様は私を信じてあの言葉を私に言った。でも今のままでは、呪いは徐々にサリュー様を侵食していくだろう。
待ち受けているのは、死――――
心の底が冷える感覚に、私は意を決してサリュー様に言われた言葉を伝える。今、それが必要だと感じたのだ。
サリュー様の為にも……!
「その、サリュー様に前に言われたんです『わたくしにはわたくしのやるべきことがある。その時まで、わたくしが貴女に手を貸してと望むまで待っていて』と」
「やるべきこと、ですか?」
「呪いを受け続けても、やらなければいけないことって自分の家に関することじゃないのかなって」
「それは……」
私の言葉にネイトさんもコンラッド様も渋い顔をした。
たとえ怪しい動きがなくとも、レイティア侯爵家では何かがある。そうでなければあんな言葉は出てこない。ただどうやってサリュー様が気づいたか、が問題だ。
後宮に持ち込む物には検閲がはいるけど、手紙まで見たりはしないはず。サリュー様宛に何か不審な手紙でも届いたのかしら?それなら、サリュー様が自分で何とかしようと思ったのにも頷けるのだけど……
「コンラッド様、サリュー様は生家であるレイティア侯爵家と頻繁に連絡を取り合っているのでしょうか?」
「俺が知る限りは、ないな……」
「実家なのに、ですか?」
「こういってはなんだが、レイティア侯爵家は長女であるサリューよりも妹の方を優遇している節があるんだ」
「妹さん……?」
「子供が生まれた時も必要最低限の挨拶しかなかったと……ウィズがぼやいていた」
「え、でも初孫ですよね?」
「そうなんだけどなあ」
コンラッド様も随分とあっさりしているなあと感じていたそうだ。
外祖父として、他の家に対して牽制をしそうなのに。少なくともフィルタード侯爵はそうだ。ライルのことを我が事のように自慢している。
それほどまでに、サリュー様と妹さんは扱いが違うのかしら?
「妹さんとサリュー様はそんなにも扱いが違うのですか?」
「そうだね。サリューには随分と厳しくしつけをしていたらしいが、妹さんは甘やかされて育てられていたようだよ」
「環境からして違うんですね」
「それでウィズが腹を立てていたから。天真爛漫なんです、といえば何でも許されると思っているのか!ってね」
サリュー様とは腹違いの妹さんだそうだ。
美しい金糸の髪に翡翠色の瞳、百合のような儚げな姿に求婚者も多いらしい。姉は王太子妃、そして婿入りすれば次期侯爵位は婿入りした人の物。家を継げない人たちにとって、喉から手が出るほど欲しい立場だ。
かなりの好物件と言って良いだろう。
「その妹君には思い人がいるそうですよ」
「それは誰ですか?」
「さて、乙女の心のうちまでは」
シュルツ卿の言葉に私たちは顔を見合わせる。思い人、つまり好きな人だ。
でもレイティア侯爵家なら、誰を望んでも叶えられそうな気がする。しかも妹さんは家で優遇されている立場。多少家格が低くとも、娘に甘い親なら何かしらの手段を講じて願いを叶えるだろう。
そうできない相手なのか、それとも家族が知らないのだろうか?
私はコンラッド様の正面に座る、シュルツ卿の顔をジッと見つめた。シュルツ卿は相手までは知らないと言ったが、本当に知らないのかな?知っていて黙っている?
でもどれだけ見てもその表情から何かを読み取ることはできない。
そもそもこう言ったことに向いてないものね。仕方ない。諦めて隣に座るコンラッド様を見上げる。コンラッド様は私を見て少し首を傾げた。
「どうしたんだい?」
「あの、レイティア侯爵家に私が行くことはできるでしょうか?」
「それはつまり、ルー嬢が潜り込むと?」
「はい。サリュー様の使いということにすれば潜り込めませんか?」
「そんな危険なことをルー嬢にさせられない」
あっさりと却下され、ついでにネイトさんからもダメ出しをされてしまう。危険すぎると。
良いアイデアだと思ったのだけど……やっぱり無理か。そしたらどうやってレイティア侯爵家に潜入すればいいだろう?
サリュー様が協力してくれるとは思えない。
だって自分の実家が悪いことに手を染めていたら、私だって自分で何とかしようと思うもの。周りの誰かを巻き込んで、その人が怪我でもしたら悔やんでも悔やみきれないし。
ウンウン悩んでいると、そんな私を見てシュルツ卿が笑いながら話しだす。
「これは、小耳に挟んだ情報なのですが……安全にレイティア侯爵家に入る方法を教えて差し上げましょうか?」
「……シュルツ卿の安全な方法ねぇ?どんなものかわかったものではないな」
「そうは言いますが、僕はもう十分な情報を提供しています。これ以上はしゃべる必要ないのにお教えするんですよ?」
そう言って隣に座るネイトさんを見ると、シュルツ卿は手を差し出した。その意味に気がついたネイトさんはコンラッド様に視線を向ける。
シュルツ卿の情報で色々とわかってきたのも確か。そしてシュゲール・ハッサンで意図せず実験もできた。
あとはシュルツ卿から聞いた情報を元に、レイランの術者がアジトとして使っている場所をしらみつぶしに探すだけ。
ただ唯一踏み込めないのが、レイティア侯爵邸。
他の場所なら、ある程度理由をつけて中に入ることはできる。でもレイティア侯爵邸だけは違う。明らかに疑わしい、と言う証拠がない限り踏み込むことができない。
しかも証拠が出てくるならばいいが、何も出てこなかったら他の貴族からも王家は反感を買うだろう。
単純に後宮内の情報を得るためだけに忍び込んだ可能性もある。人の心を操れるのなら、レイランの術者は簡単に邸に忍び込めそうだし。
その場面をたまたまシュゲール・ハッサンが見ていた可能性もある。
シュルツ卿は話す必要のないことは話さない。それでも話すのであれば、私たちに有益な情報であることは確かだ。




