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私は平和主義者である  作者: 星飼源夢
2/5

平和主義者は愛である

 翌日、私は次なるアドバイザーを求め、クラスの引き戸を開けた後、窓際後方二番目という誰もがその地位に肖りたい特等席に座る者の所を訪ねた。


「あ、おはよう神崎さん」


「おはよう、奏」


 その人物は顎辺りで切り揃えたショートヘアーにその頭を包む、星の髪留めが象徴的な私の友。特に何も感じさせない平凡な雰囲気を持つ新田奏である。話しやすく誰とでも打ち解けやすい彼女が私の後ろの席を獲得したのには、何か意味があるのだろうかと想像を膨らますこともあったが、今日この日のためだと遂に結論に達した。


「あれ、目の下にクマができているよ。寝不足?」


「ああ。昨日長電話をしたせいかな」


「そうなんだー。体調には気を付けてね」


 机横のフックに鞄を掛け、静かに腰を下ろす。窓の向こうでは陸上部と野球部が朝練に精を出している。反面、教室内はまだ八時前ということもあり私と奏の二人しかいない。朝礼が行われる日ではないので、皆が登校してくるまでにまだ余裕があるのだ。


「そういえば神崎さん、今日は学校に来るの早いね。何かあったの?」


「早起きは三文の徳だと言うじゃないか。早起きをしたついでに三文の徳とやらを求めて早めに学校に来たんだ」


「そっか。何かいいことありそう?」


「ああ、もう既に」


 奏はその気さくな性格により同性異性共に人気が高い。おそらく、あと五分もしたら福袋に集る人々の如く、徐々に級友達が奏を取り囲むだろう。その前に教室に来られて、且つ彼女だけが教室にいるという機会を得られたのは徳と呼んでも不足はないだろう。


「それで、奏に頼みたいことがあるのだ」


「頼みたいこと?」


 かくかくしかじかと言う訳にもいかないので、最初から懇切丁寧に説明した。すべて話し終えると、奏はほぇー、と感嘆の意を示した。


「神崎さんって、いつもそんなことを考えて行動しているんだね。いいなー。私も何かポリシーを持ってみたいよ」


「そうか? 奏の場合はポリシーを持たない自然体の方が似合っているかと」


「そっかー、うん。なら、私は自然体で伸び伸びと生きていくよ」


「それがいいと思うよ」


 ポリシーというのは自分の行動に名前を付けたものに過ぎない。行動の後に結果がついてくるのと同じ要領で、行動こそがすべてだ。着飾らない生き方をする彼女であれば、むしろポリシーは持たない方がいい。自然体こそ、彼女の魅力である。


奏は 指先を下唇に当てて、軽く首を傾げた。視線は宙を舞い、見えない何かを追いかけているように見えた。そして、照準が一点に留まると、奏はこう言った。



「平和主義って、何て言うか、愛のある行為だよね」



「愛?」


 確かに、平和主義は博愛をその基軸として成り立っている部分がある。しかし、何となくだが彼女の言う愛は、それとは別物のように感じられた。


 案の定であった。奏は両手を組み、祈りを捧げる聖母のような姿で説明を続行した。


「うん。悪いことをしないで、みんなの迷惑にならないように行動することって、すごくいいことだと私は思うよ。自己犠牲の精神、って言うのかな。身を削ってまで平和を作ろうとする行為って、何だか子供を守る母親が想像されるよ。世界はそれを愛と呼ぶんじゃないかな」


「愛、ねぇ……」


 ならば私は、ボランティア精神に目覚めて毎朝近所の掃除に回ることが平和主義の証明となるのだろうか。それとも募金活動に勤しむ方がいいのか。


 だが、どちらも臆病であることを覆すような手段ではないように思う。慈善活動では愛の証明にはなっても臆病者でないことの証明にはなりそうもない。


「他に何かないだろうか?」


「他? うーん、そうだねー……」


 愛というのはこういうことを言うんだ。他人のために当たり前のように全力を傾注できる、奏のような存在を。私が軽々しく侵していい領域ではない。


 ふと、窓の外へ視線を走らせる。その先で、陸上部がいそいそと片づけをしているのが見える。そろそろクラスメイトの到来する時間だ。


 私はそのまま体育館の方へ視線をずらす。すると、運動場側からの注目を遮断する位置に、物陰に隠れた二人の男女の姿が見えた。


「あれは一ノ瀬さんだね。また呼び出されているのかな。いつも大変そう」


 奏は私と同じ場所を見ながら言った。


 なるほど、あれは一ノ瀬優菜なのか。結構な距離があるが、奏には見えるのか。視力がいいのは羨ましい。


 一ノ瀬優菜とは、我が校屈指の美少女である。美少女というより、高校二年生とは思えないほど大人びた美女だ。巷では高校卒業を前に女優デビューをするのではないかと騒がれている。私にとっても、かなり魅力的な女性である。女の子ではない、女性なのだ。


 艶やかな黒髪は毎日美容院に通っているかの如く風に吹かれ、その透き通るような声で発せられる言葉は丁寧口調。我が校に志願したくらいなのでおまけに頭も切れる。まさに完璧なお嬢様である。


 顔まで識別できないが、行動は区別がつく。男子の方が頭を下げた。告白をしているのだろう。その顔は、灼熱の太陽に匹敵するほど真っ赤であろう。


 だが少年。一ノ瀬優菜と付き合うのはそんなに容易いことではない。


 数秒の間の後、一ノ瀬優菜の方も頭を下げた。川の水が上流から下流に流れるように、至極当然のことのように断られたようだ。誠に気の毒である。


 だが、その勇気だけは讃えよう。……勇気?


「一ノ瀬さんって、面白い子だよね」


「面白い?」


 そんな評価を下す人は世界広しと言えども奏くらいだろう。一体何が面白いのだ?


「一ノ瀬さんって、すごく男の子から好意をもたれるでしょ? 告白も、毎日のようにされているし」


「そうだな」


 毎朝必ず早めに登校する彼女。早朝は人に見られることも少ないので男子にとっては告白の絶好のタイミングとなっている。風の便りによれば、三人同時に告白されたこともあるらしい。


「だからね、一回だけその告白を受け入れたことがあるの。たぶん、告白ラッシュを止めるために」


「そうなのか!」


 それは初耳であった。あの一ノ瀬優菜の心を打つ人物がこの学校にいたとは。


「うん。その告白は放課後にあって、名前は分からないんだけど、同級生の子が告白したみたい。それで、一ノ瀬さんは少し迷うふりをしていいよって言ったみたい」


「ということは、もう別れてしまったのか」


「ううん。そうじゃないの」


 そうじゃない? だとすれば関係は継続しているのか?


「男の子の方が、まさか告白が受け入れられるとは思っていなくて動揺しちゃったみたい。それで、つい将来のことを考えちゃったみたいなの。自分と一ノ瀬優菜という存在が本当に釣り合うのかどうかって。そしたらね、その男の子は折角受け入れてくれたのに逆に謝っちゃって逃げたみたいなの。それ以来、一ノ瀬さんに告白する男の子は減ったみたい。あの子はたぶん、その噂を知らなかったのかも」


 なるほど、自分と一ノ瀬優菜が釣り合うかどうかか。確かに、付き合うことになればその責任は足枷となるほど重く感じられる可能性がある。自分に余程の自信がなければ、重圧に押しつぶされそうになるだろう。


「もしかしたら、こっちの方が本当の狙いだったのかもしれないね。自分に告白をしたらその後どうなるのか。それを遠回しに教えることで男の子を諦めさせる。何て言うか、小悪魔みたいじゃない? そう考えてみたら、すごく面白いって神崎さんも思わない?」


「小悪魔……。彼女からは想像もできないな」


 脳裏に悪魔の角を生やした一ノ瀬優菜の姿が浮かぶ。いや、これは意味が違うか。


 その後、濁流の如く押し寄せたクラスメイトによって彼女は取り囲まれ、私は担任が来るまでしばし外を見つめていた。


 しかし、本当に一ノ瀬優菜は小悪魔なのだろうか。私も時折彼女と話はするが、そんな風には全く思えない。何か、陰謀の匂いがする。


 おそらく、誰かが一ノ瀬優菜を唆し、告白の一部始終を噂で流したに違いない。だとしたら、一体誰が……。


 その後、担任が登場して朝のHRが行われ、いつもと変わらない日常が始まった。しかし、私は授業中も悶々と過ごすこととなった。




***




 私の視覚に入る八重樫亮太。教室の中央の最前列。いっそのこと車の死角のように私の右後ろに座っていればいいものの、まあ目立つ目立つ。まるで洗礼を浴びる入信者のように教師の唾を被りながら、全く微動だにしないその真剣な眼差し。ただ只管に授業を受ける彼のその姿はまさに生徒の鏡。熱弁を振るう教師にとっては理想的な生徒であろう。体面だけはいいのだ、体面だけは。


 そう思いたいのも山々だが、どうにも私だけがこの世界で奴に対する評価が違っているようだ。


 それは果たして、五年間も同じ世界の匂いを共有してきた経験の差なのか、或いはそれ以外の何かなのか……。


 私がこれから行おうとすることは、奴に対する嫉妬や僻みを具現化したものとなるかもしれない。まあ、それならそれでいい。




 詰まる所、私は奴の揚げ足を取りたいだけなのだ。

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