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私は平和主義者である  作者: 星飼源夢
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私の名は神崎昴

 私は平和主義者である。名は神崎昴かんざきすばる。平和主義者とは、争いを好まず、世界の安寧を願い、常に中立の立場を貫く人物のことである。


 私はこの平和主義を標榜して以来、人生がより豊かに満ち溢れ始めた。


 両親との軋轢を時の流れと共に受け流し、平和を脅かす権化たる不良を避けるべく超名門校に入学し、校内では静寂なること森の如し、図書室にて謳歌する日々。


 図書室というのは、私にとって平和を具現化した悪なき、飽くなき空間である。不変で不文律な規定、乃ち「図書室では騒ぐべからず」を体現しているためだ。犯した者には、衆人環視による無言の圧力が向けられる。重罪犯は、即刻の退去が要求される。


 ああ、まさに私のような平和主義者が集う空間。世界中のありとあらゆる空間が図書室と化せばよいのに。実現のためならば骨の髄まで捧げようではないか。




「そんなことになったら世界は怠惰で包まれ、知能もろとも衰退して滅亡を迎えると思うけどね」




 声の主は正面。面を上げた私の前に鎮座するこの男の名は、八重樫亮太やえがしりょうた。何の因果か、中学二年生の頃より現在の高校三年生に至るまで同じ教室に配属されている。腐れ縁、とでも呼ぶべきだろうが、私は否定する。この男と腐れ縁など、まっぴらごめんである。そんなもの、本当に腐れてしまえ!


 とはいえ、平和主義者である私はそんな黒き邪悪なる心を解き放つことはせず、ただ胸に秘めているのみ。


 私がこの男を毛嫌いする理由はただ一つ。私の崇高なる理念をありとあらゆる角度から、このように否定するからである。


 おい八重樫。貴様はこの空間での暗黙のルールを忘れたのか。蛇のように鋭い周りの視線が、その曇った瞳には映らないのか。


 私は小声で警告をし、平和秩序安寧隊の隊員に紛れ込み、結託して容疑者八重樫亮太にきつい視線を送る。シャーッ。


「それを言うなら君もだね。全部声に出ていたよ」


「なぬ」


 それもそうだ。この八重樫亮太に私の平和主義声明が聞こえていたのだから。

私は改めて周囲に視線を巡らした。ふむ、確かに無数の瞳がギラギラと私に集約されている。八重樫への視線はいざ知らず。これはしたり。


 ひとまず平謝りをして隊員の怒りを鎮める。だが、無言の圧力は収まらない。これまでの長文すべてが口に出ていたのだ。どうやら私は重罪人の札を掛けられてしまったようだ。


 仕方がない。戦略的撤退をするしか私には選択肢がないようだ。次に来る時はお口チャックを門前で唱え、万全な心構えで訪れよう。


 私は立ち上がり、一読していた本を定位置へと返却する。 私はその背を一撫でして、名残惜しむ気持ちを胸に悠久なる平和の約束された空間から背中を押されるように退出した。



※※※



「平和主義者というのは、僕には臆病者のように思えるんだよね。ほら、虫を殺さないのは、虫が嫌いでありつぶしたくないという恐れから。争いが苦手なのは、争って誰かと仲違いするのが恐いからでしょ。言葉って面白いよね。どんな言葉でも裏の意味が存在するように思えるんだ」


 廊下を颯爽と歩き、重罪人とは思えないほど毅然として歩く私の伸びきった背中から奴の声がした。私は振り向かない。振り向いたら負けだ。


「違う、平和主義というのは神聖にして侵すべからず。あくまで中立、あくまで一線を画している理念。決して臆病呼ばわりされる代物ではない」


 だが、無視して閑却するのは私の主義に反するため、適当にあしらっておく。


「ははは、君は天皇か何かなのかな。だけど、大日本帝国憲法は既に廃されてしまったよ。その内容の傲慢さ故にね。だから、僕の新たな位置づけも納得できると思うんだ」


 平和主義は傲慢ではない。そこを一括りにするのはいただけない。というか、そもそも論点がずれている。


 これ以上口論をしても水掛け論となるか、墓穴を掘る予感がしたのであえて聞き流す。悔しきかな、奴の方が国語ができるためである。ああ、今日もいい天気だ。


 私は足の回転数を早め、仇敵から逃れる努力をする。渡り廊下を越えた先にはトイレがある。とりあえず、そこに逃げ込もう。個室に入ってしまえば追行することはできまい。


 私の韋駄天により廊下に取り残された八重樫亮太の姿を一瞥し、第二の神聖なる領域へと姿を晦ます。


 昼休みの真っ只中ということもあり、トイレには誰の姿も見かけない。私は一番奥の個室を開扉して、流れるように便座に腰を据えた。


「全く、困ったものだ。……本当に、困ったものだ」


***


 本日の修学も無事に終え、家に辿り着き布団にダイブするも、八重樫亮太の言葉が頭の中を反響してやまない。


「平和主義者というものは、僕には臆病者のように思えるんだ」


 私が、この私が臆病者であると? 平和主義を掲げて以来、道を歩く時は常日頃、必ず下を向いて歩き蟻の生命を守ってきたこの私がか!


 このまま言い負かされたままでは収まりがつかない。私にだって、寝過ごしても勝負を投げず、踏ん反り返る亀の所へ走り切った兎くらいのプライドはある。


 何か私が臆病者でなく、且つ平和主義者であることを証明できる手立てはないものか。


 後頭部に手を回しながら天井を見上げる。新居ではないので、所々にシミが見られる。今年の大掃除は壁も綺麗にしよう。


 ――これはいけない。目を開けていると思考が分散してしまう。視界を遮断すべく、目を瞑って考えよう。


 すると、瞼の裏に奴の顔が映し出された。視覚が遮断されることで、思考は脳内を巡り、あらゆる角度から奴の姿が出現する。かき消そうとすると、逆に増殖する。なんとおぞましいことだ!


 うーむ埒が明かない。目を開くも閉じるも地獄だ。これは私一人ではどうにもならないようだ。




 こうなれば救援を要請しよう。三人寄れば文殊の知恵だ。




 充電器に繋がれた文明の利器を手に取り、アドレス帳から我が相談に乗ってくれそうな人物を探す。数は限られている。私はそれほど友を持たない性格であるからだ。交友を広げすぎることをあまり良しとしないのだ。


 画面をスライドさせ、視線の先は中学時代の友の元へ。ああ、この人物であれば川で溺れる私に、藁ではなくペットボトルを投げ入れてくれそうだ。


 画面を操作し、中学時代の数少なき友の内の一人に電話を繋ぐ。テュルテュルと小さな電子音が三回繰り返された後、はいはい、と応答があった。


 私の電話番号を登録してあるはずなので、神崎の名が相手の画面に表示されているはずだが、なんともなおざりな返答である。誠に遺憾なり。一度東尋坊に吊るされて反省するがよい。


「久しぶり、加納」


 それもそのはず、この友とは三年ぶりの会話となる。私の交友網の狭さを舐めないでもらいたい。


「ああ、その声はスバル? 急にどうしたのー?」 


「私が電話したのは他でもない。私が平和主義者であることを証明したいのだが、何か方法はないか」


「相変わらず変わった喋り方だねー。それにしても平和主義者かー。何かあったの?」


 加納は八重樫亮太のことも認知している。彼は色々な意味で世間に名が広まっているのだ。


 私は八重樫亮太によって貼られたあるまじきレッテルについて掻い摘んで述べた。加納は何度もうんうんと言葉を漏らしながら聞いてくれた。最後まで話すと、加納は、「ははーん」と忖度したような声を出した。


「なるほどね。平和主義の裏返しは臆病かー。うん、そうだね。確かにそうかも」


 忖度した相手は八重樫だったか。


「加納も八重樫の味方なのか?」


「まっさかー。私はスバルの味方だよー。だって、その理屈で言うならー、臆病な人は平和主義なんでしょー? だったら、ワタルくんも平和主義なんだよね。平和主義者だったら、人を斬れないよー。ほら論破ー!」


 ワタルくんというのは、三谷亘のことである。名作ブレイブストーリーの主人公であり、臆病者の少年である。宮部みゆきファンの加納にとっては、不朽の名作だ。


「つまりー、臆病な人っていうのはー、時には勇敢な人も指すんじゃないかなー」


「臆病なのに……勇敢?」


 その理論は支離滅裂な気がする。


 そんな私の疑問に対し、加納はスラスラと論拠を並べ立てた。


「ほらー、窮鼠猫を噛むって言葉もあるしー、臆病だからー、弱いからこそいざという時は勇敢だったりするんだよー。だからー、平和主義者は勇敢だってことだよー」


 酔っ払ったように伸び伸びとした言霊が放たれるが、魂を揺さぶられることはなかった。まあ、参考くらいにはしておこう。


 そこから先は特に議論が白熱することもなく、当たり障りのない会話が引き延ばされ、夜も更けてきた所で通話を終了した。


 平和主義、まだまだ奥が深いものである。

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