09.白薔薇の咲く庭 Ⅱ
2日間みっちり礼儀作法の講義を受けると、気付けばもうガーデンパーティーの朝だ。
何度もお辞儀の練習をしたせいで、今日はお尻の筋肉が少し痛かった。
早朝から慌ただしい自室を抜け出して図書室に向かう。
グレース達は発狂しそうになっていたけれど、どうしても借りたい本があったのだ。そもそも、パーティーは午後からなのにと言いたかったが、侍女達の殺気だった目を見てやめた。
昨日、一昨日と礼儀作法の講義が朝から晩まで入れられて図書室による時間がなかったのだから仕方がない。
従者と共に図書室に到着すると、すぐにお目当の本を借りてとんぼ返りだ。
「あら?」
辺りを見回してみたが、今日は『目の保養』さんは居なかった。
朝が早いせいかしらと首を傾げる。
少し残念に思いながらも侍女達が待っている王宮の自室へと急いだ。
「まぁ、リリー様お綺麗ですわ」
侍女達が寄ってたかって褒めてくれる。
「ありがとうございます。」
全ては皆様のお力添えのお陰です。と小さく付け加えた。
自室に戻ると、気合いの入ったグレースを始めとする侍女達が今か今かと帰りを待ちわびていた。
すぐに湯に入れられ頭から爪先までそれはそれは念入りに洗われた。
湯浴みが終わると、念入りに長い髪を解かれ艶出しをする。
同時に別の侍女が全身の肌を整え、それが終わると丁寧に化粧を施していく。
正直言って侍女が5人がかりで準備しているので、ただ突っ立ているか座っているかでする事が無い。ただただぼーっとしていたが、いつの間にか唇に紅を差され、長い黒髪は綺麗なシニヨンに纏められていた。
「…なんだか、花嫁の気分だわ」
花嫁になった事はないが、以前結婚式を挙げた友人がお色直しの早着替えの際、スタッフ総動員で準備されたと言っていた。
「そうですね。白いドレスで、まるで花嫁さんのようですわ。」
グレースがドレスを着付けながら、そのままの言葉の意味で受け取って微笑む。
王太子殿下からソフィー様経由で届けられたドレスは、それはお値段の張りそうな代物であった。
白と言うよりはアイボリーに近い光沢のあるドレスは形や色味はごくごくシンプルなデザインであったが、随所に花の刺繍が施され、上品かつ華やかに見えた。
誰がドレスを仕立ててくれたのかは分からないが、とても良いセンスの持ち主だ。
「なんだか、不思議な気分…」
姿見に映る自分自身をみて呟く。
ドレスが素晴らしいのでドレスに着られている感は強いが、普段の自分よりは格段に小綺麗に見える気がする。
コルセットで締めた身体は苦しい。しかし、時間が経つと段々と慣れて来た。
帽子とアクセサリーも最後に身に付ける。
上手いことバランスをとって頭に固定された帽子は昼間のガーデンパーティーには欠かせない物らしい。
大振りの紅い石のついたアクセサリーはこれまたお値段の張りそうな代物だった。
「もしもドレスを汚してしまったら弁償かしら?」
「殿下からの贈り物ですからお気になさらず、楽しんで来て下さい。それに王族の方々は同じドレスはパーティーで2度と着ないと伺いますから。」
グレースの言葉に衝撃を受ける。なんて勿体ない事をするのだろう。
「簡単なお茶会や訪問着にされる事はあるかもしれません。」
社交界とは恐ろしい世界である。
侍女達のおかげで予定よりも早く支度が整ったので、椅子に座り一息着くことが出来る。
グレースがお茶の準備を始めようとしていたが、ドレスでお化粧室に行くのは少し面倒なので断った。
時間になると、近衛騎士団の騎士が迎えに来てくれたので、挨拶を交わした。未婚で特定のパートナーも親族もいないので、エスコート役がいない。そこで騎士団の方にエスコート役をして貰うことになっていた。別に1人で行けるけど…と思ったが、そう言う物ではないらしい。
郷に入れば郷に従え。大人しく言う事を聞くことにした。
王宮の長い長い廊下をしずしずと歩くのは少し緊張したが、外に出るとすこしの開放感と浮き足だった空気に触れて落ち着いた。王宮の庭園はどこか少し楽しげな雰囲気を醸し出していた。そこに近づくにつれてだんだん着飾ったゲストが増えていく。
王太子殿下主催の白薔薇のガーデンパーティーは、やはり華やかだった。グレースが事前に渡しておいてくれた招待状をエスコート役の騎士さんがパーティーの受付で渡すと冷えた白ワインのグラスを渡されて、会場内へ進む。
絶好のパーティー日和だ。暑くもなく、寒くもなく、爽やかな日差しが心地良い。
会場へ着くと見慣れた人に声をかけられた。
此処からは自由にして良いらしく、エスコート役も離れて行く。
「リリー様。」
声をかけられて振り向くと、白のワンピースを着こなしたソフィー様が微笑んでいた。
「ソフィー様、今日はよろしくお願いします。」
習い立て、付け焼刃のお辞儀をする。
「こちらこそ。
それにしても、リリー様お綺麗ですわ。」
ソフィー様が嬉しそうに言う。彼女こそ、いつもより華やかなお化粧と髪型をしていてとてもチャーミングだ。
ホストである殿下の有能な裏方として忙しい様子で、すぐに他の担当者に呼ばれて去って行った。
再び1人になり、ぐるりと周りを見回す。
パーティー会場のテーブルやゲスト達を囲む様に、丁度満開の美しい白薔薇が植えられている。
テーブルにはオープンサンドの様な簡単な軽食と小さな焼き菓子や砂糖菓子などが行儀良く並ぶ。
男性も女性もドレスコードの白を基調に綺麗に着飾っていて、本当に華やかな空間だった。
「パーティーにいらっしゃるのは初めてですか?」
近くに座っていた年配の貴婦人が1人で居るのを気遣ってくれたのか、声をかけてくれた。
「はい。初めてで、知り合いも少ないのでとても緊張しています。」
「分かります、分かります。私も初めてお招き頂いた時は場違いな気がしてしまって…。でも慣れれば素敵なひと時ですから、是非楽しんで。」
貴婦人とお話をしていると音楽隊が生演奏を始める。人々はお喋りをやめて、音楽に集中し始めた。
聞き覚えのない曲だったが隣の紳士が胸に手を当てて聞いていたので、どうやらローズブレイドの国歌のようだった。
ファンファーレが鳴響く中、モーニングを着こなした王太子殿下が姿を見せた。赤銅色の髪が太陽に輝き、いつもより3割増で凛々しく見えると失礼な事を考える。
パーティーのゲスト達が一斉に頭を下げて、王太子殿下に礼をした。昨日、講師に何度もやり直しを食らいながら散々練習をしたのでその他大勢の中で悪目立ちしない程度には上手く出来たと思う。
殿下が軽く手を挙げたので、全員ゆっくりと姿勢を戻す。
そして王太子殿下の挨拶によって白薔薇のガーデンパーティーは始まりを迎えた。