06.茶褐色の背表紙
この世界に来て1ヶ月。
初めの頃は物珍しかったけれど、少しずつ時間を持て余す様になった。
本当は自分が救世主『漆黒の君』では無かった時、どのように生計を立てて行くか考えていかなければならなかったが、なかなか思い付かず、ダラダラと毎日を過ごしてしまっていた。
あまりする事がないので、ソフィー様から渡された本は既に何回か読み返していた。おかげで大分ローズブレイド王国について詳しくなったと思う。
「この国はお花の生産が有名なのね」
ローズブレイドの主要な特産物は、その国名の通り薔薇を代表とする花々や農産物とあった。
「ええ。ローズブレイド王国は『薔薇と花々の王国』と諸外国から称されていますわ。」
グレースが今日は香り豊かなハーブティーを淹れてくれた。
砕けた言葉使いで構わないと、グレースには伝えたものの、長年きちんと教育を受けてきたグレースには少々難しいらしい。
「それと、国土の南側は美しい海に面して居て海産物や観光でも有名ですね。」
「私の居たペリッサの辺り?」
「そうですね。ペリッサはどちらかと言うと港町と言った所でしょうか。ペリッサから更に南下すると美しい海が広がっていて、王族の方々や高位の貴族の方の別荘があるリゾート地です。」
そして国土の北側と西側は其々ルービンスタイン王国とコーレライ帝国と接している。
「ルービンスタイン王国は良質な宝石や鉱物の採掘で有名ですわね。特に国名の通りルビーなどが。
コーレライ帝国は香辛料をたくさん輸出しているようです。」
ルービンスタイン王国は宝石などで古くから栄えている為に裕福な国で、ローズブレイド王国とも長年友好的な関係を築いていると国だという。
他方、コーレライ帝国はスパイスや紅茶などで外貨を稼いでいるが、ローズブレイドとの関係は良好とは言えないようだった。肥沃な土地の少ないコーレライ帝国がローズブレイドの土地を狙って時々攻め込んで来るのが原因で敵対する事が多いらしい。
まあ、ソフィー様から渡された本はローズブレイド目線で書かれた本だから、コーレライ帝国にも言い分はあるのだろうけれど。
本を捲りながら、美味しいハーブティーを口に運んだ。
一方、魔法の訓練の話はあまり進んでいなかった。御指南役のヴォルドーフ様は多忙を極める王宮付き魔導師様でいらっしゃるので、一度スケジュールを調整する事が必要だったからだ。
ごく稀に一般教養やマナーについて教えに来てくれるソフィー様の話だと恐らく、来月辺りには始められるとの事だった。
故に私の毎日は寝食以外に、午前中に王宮の図書室で本を読み、午後王宮のお庭を散歩した後にグレースを始めとする侍女を相手にお茶をするくらいしかする事が無かった。
今日もいつもと同じように朝食を終えてから、王宮の侍従と一緒に図書室へと向かう。
侍従は毎日日替わりだったが、みんな朗らかで感じが良かった。
王宮の庭園の脇を抜けて行く。
広大な王宮の庭園は図書室から帰った後、昼下がりのお散歩に最適だった。たくさんの庭師により手入れが行き届き、色とりどりの花が咲き乱れていた。
木々や高い垣根に遮られると迷子になりそう。
流石、『薔薇と花々の王国』である。
庭園の中には人影があった。
王宮自慢の庭園で貴族の御令嬢が侍女を連れて歩いているのを時々見かけた。
「庭園は自由に散策が出来るのですか?」
王宮で生活を始めた頃、驚いて侍従に聞いた事がある。
警備の問題とか大丈夫なのだろうか?
「ええ。花やハーブ等はローズブライドの特産品ですから。この庭園は王国の威信がかかっているのです。
もちろん、警備は一流の者が行っております。」
なるほど。この庭園は王家の力を内外に示す役割もしているのか、と1人納得したものだった。
「今日は暖かいですね。」
1人で回想をしていると、侍従が少し目を細めて言った。
「ええ。ずっとこんな気候が続くと良いのですが。」
寒いのも辛いし、暑いのも苦手だ。
「もう一月もすると薔薇のお茶会やガーデンパーティーが始まりますよ。」
弾んだ声で楽しそうに教えてくれた。
「薔薇の…何ですか?」
「はい。ローズブレイド自慢の薔薇の咲き誇る庭園で王族の方々がお客様を招いて各々お茶会やガーデンパーティーをするのです。
紅色の薔薇が咲く場所では紅薔薇のお茶会、黄色の薔薇が咲く場所では黄薔薇のガーデンパーティーといった風に。
ご婦人方は着飾って参加されるので、それはもう華やかですよ。」
「何て優雅な…」
もはや庶民には窺い知れない世界である。
庭園の脇を抜けた先、日当たりの良い静かな場所に王宮の図書室はあった。
図書室と言っても2階建てのアンティーク調の立派な館で、小さくはないが大きすぎず居心地が良いので、今ではお気に入りの場所の1つだった。
王都にはもう一つ立派な王立図書館があるが、一度訪れてあまりの広さと大きさに落ち着かず、行くのをやめてしまっていた。
図書室に入るとまず借りていた本を返却をしてから、新しい本を探してお気に入りの席に座る。
今日は、魔法の本を数冊見繕ってきた。
まだヴォルドーフ様からご指導は頂けていないが予習の為に貴族の子女が魔術学校に入学して最初に読むような入門書を手にした。
この国では紙もそれなりに貴重な物なので、古い本も丁寧に扱われている。茶褐色の背表紙は流れた時間を感じられて、なかなか趣があって素敵だ。
建物自体もだが、本もなんだかアンティークな雰囲気を醸し出していて少しワクワクする。
ふと、周りを見渡すと何となく見慣れた顔が並ぶ。
図書館に本を読みに来るのが日課の人は私以外にも多いらしい。
まあ、元いた国と違って、テレビもパソコンもスマートフォンもない世界だから、娯楽も少ないのだろう。
…あの方もいらしているわ。
座席に戻ると、少し離れた窓の近くの椅子にこの図書館でよく見かける姿があった。
窓際のその人はベンチに腰掛け、本を読んでいる。
顔面偏差値の高いこの国でさえ際立つ存在で、私のストライクど真ん中だった。
髪は少し癖の美しい金色で、整った目鼻立ちをしている。長身で全身にバランスよく付いた筋肉は見事と言うしかない。
騎士服を身に付けているので、恐らくは騎士団の関係者の方だろうか。グレースや侍女達のレベルになると騎士服の色や身に付けた勲章でどこの騎士団に所属しているとか、どこのお家のご子息なのか分かるようだが、私にはまださっぱり分からなかった。
一度午後のお茶の時間に侍女の皆さんに聞いてみたが、まだ正解は分からなかった。
人生に置いて一度も使ったことのない言葉だが『眉目秀麗』とはこの人の為にある言葉なのではないだろうか?
私は1人、彼を『目の保養』と呼ぶ事にした。
「リリー、こちらにいましたか。」
「ヴォルドーフ様、ごきげんよう。」
煩悩丸出しで呆けていたところに、声がかかる。静かな図書館で急に名前を呼ばれたので少し驚く。
振り向くと、これまた大変美しく整ったお顔立ち。いつものようににっこりと微笑むヴォルドーフ様がいた。
慌ててグレースに教えて貰ったばかりの慣れない挨拶をする。
「ごきげんよう。」
ヴォルドーフ様は私の挨拶に返事をすると、歌うように言った。
「大変お待たせ致しました。
さぁ、魔法の授業を始めましょう。」