04.漆黒の君Ⅲ
「うーーーん。」
殿下達を見送った後、大きく伸びをして、椅子に崩れ落ちた。
慣れないドレスを着て、やんごとなき方々とお話するのは身体的にも精神的にも疲れた。
「目を覚まされたばかりですし、お疲れでしょう。」
グレース様が新しくお茶を出してくれた。殿下がいる時はマナーに自信がなくて飲む事を我慢していたので、大変ありがたい。
窓の外を見るとじきに夕暮れ時だ。
あの後、ソフィー様が今後の事を詳しく説明してくれた。
しばらくの間この部屋を自由に使って良い事、グレース様と数人の侍女が付くので何か困ったら言って欲しい事、部屋から出る時は必ず近衛騎士団の者か従者と一緒に行動して欲しい事、王宮な中は自由に動いて構わないが、王族のプライベートスペースや軍事的に重要な場所には入れないので注意して欲しい事等だ。
「それと、もしもよろしければこれを。」
ソフィー様が数冊の本を手渡してくれた。
「えっと…『ローズブレイドの文化と生活』、『ローズブレイドと近隣諸国の歴史』、『ローズブレイドの主要な産業』ですか」
「ソフィー、随分とお堅い本ばかりだな。」
王太子殿下が、肩を震わせて笑った。
「リリー様がローズブレイドについて何も知らないとご不安でしょうからと選んだ書物なのですが…」
ソフィー様が、少し申し訳なさそうに肩を竦めた。生真面目そうなソフィー様らしいチョイスだ。
「いいえ。とても嬉しいです。ありがとうございます、ソフィー様。」
ソフィー様は少し微笑んでくれた。
この後、渡された本達が暇つぶしにどれ程役立つか、この時の私はまだ想像だにしていなかった。
「それから、リリー様がもしも宜しければなのですが…。
魔法についてご存知ないと伺いましたので、ご興味があれば、折を見て王宮付魔導師の筆頭でもいらっしゃいますヴォルドーフ様が御指南して下さるそうです。」
「私は魔法について何も知りませんが、魔法と言うのは、訓練をすれば誰でも出来る物なのですか?」
「使えない者も多々居りますよ。
しかし、リリー様は心配には及びません。」
ヴォルドーフ様はサラリと言った。
一体何をもって心配が無いのかは分からなかったが、王宮付き魔導師様が言うのだから、間違いないのだろう。
「それから、失礼ながら漆黒の君では無いと判断された時の為に手に職をつけて置いた方がよろしいかと…。
手始めにローズブレイドの一般教養や礼儀作法等でしたら私がお話出来ますが、いかがでしょうか?」
「是非、お願いします。」
恐らくこれらの申し出は私を野放しにせず、ある程度縛り、監督する為なのだろうなと感づく。
しかし、本当に私が漆黒の君ならば魔法の事は学んでおいた方が良いだろうし、もしも人違いなのであれば尚更、自分で稼ぐ力が必要になるのでソフィー様の申し出はとても助かる。
ソフィー様は少しほっとした様に息を吐いた。
「リリー嬢、予言による『漆黒の君』の存在は貴女が思っているよりも重要な存在だ。もし貴女が漆黒の君だと周囲に知れ渡ると、その存在を悪用しようと不埒な連中が貴女自身やその命を狙うかもしれない。よって今の段階では悪戯に漆黒の君だと言い触らさないで欲しい。
それから申し訳ないが、今の王宮は決して完全に安全な場所とは言えない。この部屋を出る時は1人にならない事。いいね?」
殿下は美しい琥珀色の瞳に真剣な光を宿すと、そう言い残して、部屋を後にして行った。
「嫌だわ。私すっかり忘れておりました。リリー様、こちら倒れられていた時に身につけていられた物ですが、如何致しましょう?」
グレース様は、思い出したと言う様にポンッと軽く手を叩いた。
そして大きなバスケットを持ってきて、中に入れてある物を広げ始める。
私がこの世界に来た時に着ていた喪服に、靴にバッグ、時計、手鏡、黒い真珠のネックレスとパスケースだ。
今後身に付ける衣服はソフィー様とグレース様が用意すると言ってくれたので、喪服と靴は処分してもらう事にした。
時計は初任給で買った思い入れのある物だったので腕に付け、手鏡は今後も持ち歩く予定だ。グレース様の話では時計も手鏡もこの国では高価な物だと聞いたので大事にしようと思う。
パスケースの中には両親の写真が入っている。幼い私を抱いた若い母と父が幸せそうに微笑んでいる。そっとパスケースを閉じてしまった。
そして、黒真珠のネックレスを見つめる。肩が凝るので冠婚葬祭でしか使わないのだが、この黒真珠のネックレスは母の形見だ。
「グレース様、このネックレスはドレッサーに大切にしまって置いても良いでしょうか?これは母の物なので…」
「もちろんでございます。リリー様がお母様にお借りになられた物なのですか?」
「いいえ。これは形見なんです。
私は父も母ももう亡くしているので。」
「まあ…失礼を申し上げて大変申し訳ございません。」
「気になさらないで下さい。」
そっと頭を振った。
「それよりもグレース様、失礼は承知ですが、もしも宜しければ私達友人の様にお話は出来ませんか?
正直、今の様にお話するのは少し疲れてしまって…」
私は、全然偉くも無いし、肩肘張りたくないので気軽に話してもらいたい。
「リリー様、よろしいのですか?
私は一介の侍女でございますので、漆黒の君としてこの国に貢献した暁には爵位等を与えられるやもしれないリリー様とその様に気安くお話出来るなんて勿体ない事でございます。」
私が軽く頷くとグレース様が柔らかく微笑んだ。
「私の事はグレースとお呼び下さい。様は必要ございません。
私はリリー様とお呼びしますが、あまり慇懃な態度をとらぬよう気付けます。」
「そうして頂けると助かります。」
それから少しの間、グレースと他愛もないお喋りを楽しんだ。
聞けばグレースは地方の下級貴族の次女で王立魔術学校を卒業した後、行儀見習いの為にこの王宮に上がったのだそう。
文官のソフィー様とは同じ年で仲が良く、ソフィー様は魔術学校を大変優秀な成績で卒業してまだまだ数少ない女性の文官として立派に働いているという。
とは言え、この国ではまだバリキャリの女性は少なく、『女性の幸せは結婚』という考えの元、良家の令嬢は魔術学校を卒業した18歳頃に社交界デビューをしてお相手を探すらしい。
この国の女性の結婚適齢期は20歳から24歳頃だそうで、私は既に適齢期を過ぎていると言うと驚かれた。
「リリー様はとてもお若く見えますもの。
因みに私は現在、未来の旦那様を絶賛募集中でございます。」
冗談を言いながら、私のカップが空いた事に気付いてすぐに新しい物に替えてくれるグレースは良い奥様になるな、と思ったのだった。
「お食事までにまだもう少し時間がございますが、何かお口になさいますか。」
ふと、自分がお腹を空かせている事に気付いた。
「そう言えば、お腹を空かせていたようです。」
「わかりました。お茶菓子もご用意致しますね。」
グレースがお茶菓子をとりに向かった。
窓から差込む光はは夕暮れの色だった。
窓に近付き、外を見ると豊かな緑の木々が茂って居るのが見えた。
明日少し、外を散歩出来たら良いな。
グレースがお茶菓子を持って現れたかと思うと窓際の私に向かって声をあげた。
「まあ、お綺麗です」
「え?」
「リリー様の黒い御髪に夕焼けの赤が映えて、輝いてみえますわ。」