11.白薔薇の咲く庭 Ⅳ
空気を裂くように轟く音が音楽隊の演奏をかき消した。
その爆音は2度、3度と会場に響いた。
漂うのは焦げたような火薬と、大きく舞い上がる土の匂いだ。
黒々とした煙が少し離れた庭園の方角から上がっているのかいるのが見えた。
その黒さは不安を煽る。ざわざわと人々の戸惑いが満ちて行くのが見て取れた。皆、困惑した顔を見合せている。
「皆、驚かせてすまない。落ち着いて行動してくれ。」
王太子殿下は堂々とした態度でゲストに声をかけた。
しかし、既に不安はゲストの間に充満している。
「どうしたのかしら?」
どこからともなく聞こえる心配そうなご婦人の声。
「何、騎士団の訓練か何かだろう。心配しなくて大丈夫だ。」
紳士は王太子殿下の方をチラリと見て、なんでもないかのように言ったが、表情は固かった。
再び爆発音が轟く。
爆発の方角に人々の視線が集中した。
人々の視線が爆発に集まるその刹那。
芝生を走る人影が目の端に映った。
パーティー会場から続く、庭園の茂みから走り出てきた男は庭師の格好をしていた。
その疾走する男の手に強く握られているのは太陽に輝く短剣だった。
此方に向かってくるその輝きは、どうにも不気味な光であった。
「きゃーーーーーー」
上がる煙に集中していたゲストの視線は、女性の叫び声でようやく1人の男に向いた。
『護れ。』
咄嗟に自分と殿下、近くに居る人達に防衛魔法をかけた。後から思うとこれはヴォルドーフ様との練習の賜物だ。
物理的な攻撃に効果があるのか検証は出来ていないが、ないよりはマシだろう。
殿下はそんな私を庇おうとしたのか半歩前に出た。
短剣と共に殿下と私の方に突っ込んで来る男がコマ送りに見える。
危ない…と思った時、目の前に金色の影が現れた。
輝く金髪の持ち主は剣で迫りくる短剣を受けると、いとも簡単に男を組み伏せた。
男の腕を身体の後ろに回すと、手から離れた短剣を遠くに蹴り飛ばした。
「殿下、お怪我は?!」
必死の形相で振り向いたのは騎士服を着た、あの図書館の『目の保養』さんであった。
あぁ、こんな時でもイケメンはイケメンだ。
凛々しいその姿はまるで映画のワンシーンの様でこんな時なのに不謹慎にキュンとしてしまう。
「此方は問題ない。」
ふと、『目の保養』さんに捕らえられている男の顔をみれば、いつか庭園で言葉を交わした庭師である事に気付く。
あの時どこか慌てた様に見えたのは、今日の準備でもしていたからなのだろうかと思ってしまう。
何はともあれ、危機は去ったと人々は気を抜いた。
しかし、一難去ってまた一難。
「離れろ。死ぬぞ。」
もう1人の低くこもった声がした。
まだ…刺客は残っていた。
皆が、振り返ると先程と同じ庭師の出で立ちの男は、あの褐色の美女のを捕らえ首に短剣を当てていた。
「…なっ。」
周囲の人々は青くなり、2人から数歩ずつ離れた。
数歩どころかゲストはパーティー会場から我先に出ようと逃げ惑っていた。
「もっと離れろ。」
今度は大きな声で叫ぶ。
美女の首をしっかりと抱き、短剣を周りに見せつける。
先程の賑やかな雰囲気から一転、静まり返った会場に女性の笑い声は響いた。
「…ふふふ」
声の主は美しいその人のようだった。
彼女はいつの間にか高いヒールと脱ぎ捨て、芝生に裸足で立っていた。艶かしい脚がチラリと覗いていた、ドレスのスリットを自らの手で更に深く裂いた。裂け目から見える様になったガーターベルトに隠していた短剣を抜く。
訝しがっている刺客の腕の中からするりと抜けると男と対峙した。手に持った短剣は男の方に向けている。
「この、女っ…」
腕の中からいとも簡単に逃れた美女を見た男が怒りに身を任せて短剣を降ってくる。
先程、もう1人の庭師を押さえ付けていた『目の保養』さんは既に体勢を整えていて、美女を庇うように2人の間に入り、男からの攻撃を剣で受けた。
そして男と数度やり合うと短剣を弾き、またもや男を組伏した。
「怪我はないか?」
『目の保養』さんは短剣を放り、男を押さえながら美しいその人に声をかけた。
「大丈夫ですわ。お気遣いありがとうございます、フォーサイス様。」
にっこりと微笑んだその姿はとても妖艶だった。
近衛騎士団の騎士達が『目の保養』さんが倒した2人の刺客をロープで捕縛していた。
同時に他の騎士達が他に刺客がいないが警戒をする様に周囲に目を光らせていた。
「フォーサイス様、お怪我が…」
騎士の1人が『目の保養』さんに声をかけている。
なるほど。左腕の生地が少し赤い。
「良い。こんなもの擦り傷に過ぎない。
そんな事よりも、殿下とゲストの皆さんを安全な場所へ。」
『目の保養』さんは部下と思わしき近衛騎士達に指示を飛ばす。
沢山のゲスト達が会場の出口に殺到していた。ソフィー様や近衛騎士団が安全に退避出来るよう誘導しているのが見えた。
「リリー嬢、1度安全な所へ急ごう。」
殿下が気を遣うように声をかけてくれる。
ふと『目の保養』さんの赤く染まった左の袖を目にする。
「さあ、貴女も。」
『目の保養』さんは出口の方に手をやってそう促すが、左腕を隠すように右手を添えた。
「あの、お怪我…」
近くのテーブルにあった綺麗な白いナプキンを1枚掴むと、彼の赤い手をとった。
「えっ。」
『目の保養』さんはとても驚いた顔をしていたが、無理矢理腕を引き、傷口よりも心臓に近い部分をナプキンできつく縛った。確かに見た目に反して傷は浅そうだ。恐らく男が振った短剣が掠めた程度だろう。
「止血です。」
昔、会社の応急処置訓練で習ったなとふと思い出す。
ふう…と小さく息を吐き、心を落ち着かせる。
ヴォルドーフ様から習った時のように集中しよう。
『癒せ』
せっかくヴォルドーフ様に教えて頂いた魔法だ。この魔法を今使わないでいつ使おうか。
刃物で裂かれた傷口に両手を翳すと、腕は金色に輝く光に包まれる。
「こ、これは…」
周囲からは驚いた様な声が聞こえる。
金色の光が引くと傷は綺麗に消えていた。
「これでよし。」
小さく呟くと腕を縛っていたナプキンと取る。
「これは、すごい。ありがとう。」
『目の保養』さんは驚いたように目を大きく開きながら、微笑んだ。こうして近くで見ると、本当に整った端正な顔立ちをしている。
手に取っている腕は細身に見えるが、見た目以上にしなやかな筋肉が付いていて、急に自分の掌の汗が心配になってきた。
それにしても、イケメンの笑顔は眩しい…。
気を取り直して、バッグから生成色の柔らかなハンカチを取り出す。
何も入らないような小さなパーティーバッグに入っているのは手鏡と紅、ハンカチだけだった。
テーブルに置いてあるピッチャーの水をハンカチに浸して絞ると彼に渡した。
「どうぞ、お手拭きです。お使い下さい。」
「いやでも…汚してしまう。」
「構いません。その手では皆、心配しますから。」
そもそも、侍女が用意してくれた物だし…と心の中で舌を出しながら、『目の保養』さんにはにっこりと微笑んで見せた。
「……。」
『目の保養』さんは受け取ったハンカチを見ながらまだ何か言いたそうな顔をしていたが、これ以上輝くような瞳を見ていられる耐性はなかったので、さっさと殿下と共にパーティー会場を後にする事にしたのだった。