10.白薔薇の咲く庭 Ⅲ
白薔薇の咲く庭でのガーデンパーティーは実に優雅な物であった。
パーティーが始まるとゲストは自由に飲食をして、ある人はお喋りに興じ、またある人は庭園の散策をしたりして思い思いの時を楽しんでいる。
用意された軽食は美味しかったし、1人で気まずいかと思いきや、ゲストは皆フレンドリーなのか、お喋りの仲間に入れてくれたので思いの外楽しめた。
「最近、ドラゴンの子供を飼い始めてね。」
隣の紳士がワイングラスを片手に自慢気に胸を張る。
「コーレライから取り寄せたんですの。あそこはドラゴンの飼育に力を入れていますからね。
ドラゴンのおかげで家の者が皆、飼育に手を取られて大変ですわ。」
その奥方が、口元を鮮やかな色の扇子で隠しながら微笑む。
大変と言いながら、誇らしそうだ。
ドラゴンなんてこの国に来るまで、ファンタジーの世界でしか見た事がないのでとても興味深い。
「貴方が発見された新種の薔薇を拝見したが、とても美しい薔薇だったよ。何という薔薇だったかな?」
別のグループでは豊かな口髭の男性が、その髭を撫でながら言った。
「ありがとうございます。閣下。
実はまだ名前は付いておらず、番号で呼ばれています。No.335です。」
こちらは例の薔薇の研究者だな、と推測した。
研究者はどこかを見つめているので、その視線を追うと庭師達がいる。美しい薔薇の庭園を保つためか、彼らはパーティーの最中もゲストの目に付かないところでちょこちょこ手入れをしている。
このパーティーの為に血の滲むような努力をしてきたので無いだろうかと、庭師を心の中で1人労っていた。
会話を耳にはさみながら、庭園を見渡すと赤銅色が目に入る。バージル王太子殿下はゲスト達に声をかけて庭園を回っているようだった。
挨拶をされた年頃の御令嬢が甘い目をして殿下を見つめている様子をよく見かけた。
そして今、殿下が会話をしている御令嬢はどこかで見かけた事がある。
スタイル抜群の褐色の美女だ。以前庭園ですれ違った事をすぐに思い出した。
彼女の白いドレスは大きくスリットの入った個性的なデザインだった。スラリとした足が覗く。
夜のパーティーとは違い露出の少ないドレス姿の女性が多い為目を引くが、スタイルが良いのでとても美しかった。白いドレスはその肌をより艶めいて見せている。
周囲の殿方も彼女の事が気になる様子だ。
隣に居た年若い御令嬢はリリーの目線を辿ると、優雅に口元に扇子を持って行き囁いた。
「今、王太子殿下とお話されている女性が『漆黒の君』ではないかと噂ですわ。」
なるほど。彼女も候補の1人だったのかと納得した。
彼女は王太子殿下を誘うように見つめていた。
「やあ、リリー嬢」
バージル王太子殿下が、群がる御令嬢方に何か一言言ってから、手を挙げてこちらに向かって来た。赤銅色の髪が太陽の元で鮮やかに色付いている。
…御令嬢方の目線がこちらを羨ましそうに見ていて気まずい。
「殿下、この度はお招きに預かり、誠にありがとうございます。」
…片足を斜め後ろに引いて、もう片方の膝を折ってから挨拶をする。
昨日、一昨日と礼儀作法の講師に叩き込まれた事を心の中で反芻する。
「ははっ。礼儀作法の講師に教えられたのか。
とても綺麗に出来ているよ。」
殿下がそう言ってくれたので、今日は自分自身に及第点をあげよう。
「しかし、そんなに肩肘張らなくても良い。
今日招待したのは私の古い知り合いが多い。それからご婦人方の半数以上は私の母上がなかなか結婚相手を決めない私を見兼ねて勝手に選りすぐった婚約者候補達だ。つまり、見合いのような物だな。」
殿下はうんざりと言った風に顔をしかめてみせた。
なるほど。先程から御令嬢方が必要以上に殿下に群がっていると思っていたが、そう言った事情が絡んでいたのかと合点がいった。
きっと良い所の御令嬢方も一族の期待を背負ってやって来ているのだろう。
「あ、あの、殿下。ドレスやアクセサリーもご用意頂きありがとうございました。」
「思った通り、貴女は白のドレスが似合うな。黒い髪がよく映えて美しい。」
殿下は楽しそうに笑う。
褒められると社交辞令だと分かっていても、頬が赤らむのが分かる。自分でドレスに着せられている感満載だと分かってはいてもだ。
「そのドレスや装飾品はこちらに来てから2ヶ月も貴女を放置してしまった私の罪滅ぼしだと思って欲しい。
心細い事もあっただろうが、慣れてきたか?」
「はい。ご心配には及びません。
皆さんとても良くして下さったので、どうにか暮らせて居ます。」
「そうか。それは良かった。」
本当に侍女達やソフィー様、ウォルドーフ様もこの国の人達はとても良くしてくれている。
余所者の私にこんなにも優しく接してくれるとは思わなかった。
「今日は是非、白薔薇を愛でて楽しんで行って欲しい。」
「はい。本当に薔薇の美しい庭園ですね。」
「あぁ。庭師達が毎日手入れをしてくれたおかげだと思っているよ。」
やはり、庭師達は毎日努力を怠らないらしい。
「…ところで異国から来たリリー嬢から見てこの薔薇達はどう思う?」
「そうですね…とても美しく種類も豊富だと感じました。」
「そうか。そう言って貰えるのは嬉しいな。」
言葉とは裏腹に殿下の琥珀色の瞳には憂いの色が浮かんでいるように感じた。
リリーの視線を感じたのか、殿下は1つふっ、と息を吐いた。
「…実は昔と比較すると他国への輸出量は下がっているんだ。」
薔薇の花は、このローズブレイド王国を象徴するものであり、この花の生産力や輸出力が下がれば国民の士気も低下しかね無いと言う。
政治とは大変難しいものだな、と思った。
「ローズブライドでも、その周辺国でも近頃は干ばつや災害があり、農作物の不作が続いている。その結果、戦闘や領地争いも増えてしまった。
生きる為の食料も不足している国は腹の足しにもならない花になんて目もくれない。
この時代に花を愛でているのは、『薔薇と花々の王国』と言われるローズブライドくらいなのかもな。」
殿下は少し自嘲気味に笑った。
「すまない。この国に来たばかりのリリー嬢に愚痴ってもな。」
たしかに花は平和な時代であってこそ、人々に愛されるのであろう。
ふと、元いた国での生活を思い出す。
たしかに平和な日々だった。しかし仕事に忙殺され、会社と家との往復で終わる毎日。薔薇を始めとする花をゆっくりと愛でる時間は無かったように感じる。
直近で花に触れた記憶を辿ると父との別れの供花だった。
それでも薔薇は身近に感じる花なのは、何故だろうか。
「…精油…」
「精油??」
そうだ。ボディーオイルで芳しい香りを存分に楽しんでいたからだと思い当たった。
そう言えば、父は母が薔薇の香るクリームが好きだったと言っていたな、と思い出す。
「はい。私の元いた国では、肌用の精油や香水で肌の調子を整えたり、香りを楽しんでおりました。
薔薇の花弁には美肌に効果があると聞いた事があります。その強い香には気持ちを落ち着かせる効用もあると。」
「なるほど…それはこのローズブレイドに生まれ育った私も知らなんだ。」
ローズブレイドではあまり一般的ではないようだったが、もしもこれが商品化出来たならヒットするのではないだろうか。
「殿下、僭越ながら申し上げます。
もしもこの世界で薔薇の精油が一般的で無ければ、商品化してみたらご婦人方は飛びつかれるかと…。私の元いた国でも女性に非常に人気がありました。」
「なるほど…。それは是非検討したいな。」
殿下は期待を込めたような顔でしきりに頷いていた。
「はい。花を愛でる時間は無くとも、香りを楽しめます。もしもローズブレイドで薔薇の精油を生産されていないのであれば如何でしょうか?」
「リリー嬢、それはどうやったら作れるのか、知っている…」
ドーンと大きな地鳴りの様な音がした。
殿下の声が、轟くその爆音によって掻き消される。
遠くで爆発が起きたようだった。