至福の時間とは長くは続かないものなのです
王都ミラーグロ。華やかな都。行き交う人たちがお洒落なことお洒落なこと。私、凄く場違いじゃない? そんな王都で開かれる夜会に参加するの? 本当に?
「取り合えず、本を買いに行って、屋敷の方に行くか」
宿ではなく屋敷? 確かにスティングラー家は爵位を持ってるから王都に屋敷があってもおかしくはないけど。お祖父様辺りの代で売っ払ったんじゃなかったかしら。
「友人が使用人と一緒に別邸も貸してくれたんだよ」
「え、なに、その、友人。お兄様、変なこと要求されたりしないよね!? 気前なく貸してくれたとは思えないんだけど」
お兄様は大丈夫だと言うけど、私は不安でいっぱいだった。本屋に入るまでは。
「一冊だからな、一冊」
「わかってるわよ。どれがいいかしら、あちらの子もいいし、こっちの子もいいわ」
品揃えがやっぱり段違いにいい。目に入るところ入るところ初めて出会う子がいて、悩ましい。あちこちと動き回る私にお兄様は退屈でしょうね。でも、早くしろと言わないのは自分も武具店に入ると同じだから。
「決めた、君にするわ」
異邦人の伝説をまとめた研究書。値段は研究書ということもあって多少、ね。でも、お兄様の奢りだもの、平気よ。
「……いい値段しやがる」
「問題ないわよね」
「まぁ、大体、予想はついてたからな」
値札を見て呟いたお兄様に一応、確認をとれば、頭をガリガリ掻きながら、私から本を奪っていった。そして、戻ってきたら私のものになった。
「こっちは約束守ったんだ、お前も守れよ」
「勿論、参加するわよ。やる気はないけど」
「問題ねぇよ、一部はやる気のないやつらばっかだ」
馬車に乗って拝借した屋敷に向かう中、そんな会話。まぁ、親から言われて渋々という人も多いのだとか。ちなみに今回の夜会は表向きは若い世代の社交界デビューの場だけど、裏向きはお兄様のご友人の王子様のお相手探しらしい。王子様も大変ね。まぁ、お兄様曰く王子様は辟易してるらしいんだけど。
「確か、この辺りのはず……」
住所の場所を見て、お兄様は硬直。私もどんなところかしらと見て、後悔した。
納得できないわ。ボロい屋敷ならまあ納得するけど、私たちの前に現れた屋敷は手入れの行き届いた美しい庭に玄関前には噴水まである新築みたいなお屋敷。
え、なにこれ、お兄様の友人、どうやったらこれを他人に貸せるのよ!?
「もしや、スティングラー子爵様のご子息様方でしょうか?」
そう声をかけてくださったのはぴしりと伸びた背筋におへその上で重ねた手がとても洗練されていて綺麗なベテランと思わせるメイドさん。その方にお兄様がそうですと答えるとお待ちおりましたとお辞儀。当たってたよ、ココだったわ。にしても、このメイドさん、動作がピシッとしててカッコいいな。
「殿下より、お話は伺っております。どうぞ、中へお入りくださいませ」
……殿下? まさか、お兄様、友人って殿下!? 王子様に頼んだの?? ばっかじゃない!!
「そんな目で見るな。俺だって、頼もうと思って頼んだんじゃない。聞かれたから答えたら準備してくれることになってたんだ」
「どういうこと?」
「『折角、妹さんも参加されるんだし、宿じゃ味気ないだろう。 友人のために俺が一肌脱ごうじゃないか』って、止める間もなく、その場で話が進められてな。流石に父上には言えなかった」
「でしょうね!!」
これはもう、王子様には絶対、兄がお世話になってますって挨拶しなきゃダメね。ていうか、王子様、ご友人少ない?? いや、まさか、そんなことないですよね。ないわね。だって、王子様だもの。
「お話はお済でしょうか? 馬車はこちらで動かしておきますので、ご心配なく」
荷物は荷台ですね、お持ちいたしますので少々お待ちをとメイドさんはつらつらと述べられ、私たちはその言葉を理解するのにいっぱいいっぱいだった。そして、パンパンと手を叩けば、ダンディな執事さんや若い執事さん、メイドさん方がさっと集まってきて、私やお兄様の荷物、馬車を苦も無く運んでしまった。
「さ、お嬢様、こちらへ」
「あの、えっと、お嬢様っていうのはもしかして、私の事ですか?」
わかってることだけど、聞きたい。だって、今まで『お嬢様』とか呼ばれたことないし。
「えぇ、勿論そうでございます。この屋敷に泊まられる間はお嬢様とお坊ちゃまを主人として扱うことと殿下より厳命されておりますので」
「……お坊ちゃま」
ぼそりとお兄様が呼ばれなれない言葉を零していたけど、これは私たちが凄く恥ずかしい。メイドさん――シャルロさんにできれば名前で呼んでくださいと提案すれば、ムッと眉を顰められたが私たちを主人としていることからか、そのように皆にも伝えておきますと了解してくれた。
それから、使用人全員と顔合わせを行い、お兄様は王子様から呼ばれ、登城。私はシャルロさんと他メイドさん数人と共に衣装合わせ。一応、お母様のだから、当日になって慌てないために手直しを今のうちにするのだそう。流石、本場のメイドさんたちだ。私なんて、とりあえず着れたらいいやって思ってたのに。
「アルセリア様はコルセットの締め甲斐がありませんわね」
「へ?」
「失礼いたしました。決して、貶したわけじゃないのです」
「いえ、それは、はい。ただ、どういった意味なのかと思いまして」
「敬語は結構です。私どもとアルセリア様は数日ばかりかといえど、主従の関係でございますので」
若いメイドさん――ココットさん曰く、お腹周りに余計なものがついてないのだという。まぁ、そりゃあ、冒険者やってますからね。聞けば、やはり締め甲斐のあるご令嬢も多いのだとか。メイドさん方みたいにあまり動いたりしないでしょうからね。当然と言えば、当然かもしれない。
「ただ、そのため、お胸が盛れないのです」
そっか、盛れないのか。このちっぱいを少しでも見れたものにできないのか。うん、諦めるわ。わかってたことじゃない。どうせ、盛れたところでそれは虚像だもの。私のお胸さんではないわ。
「えぇ、大丈夫よ。全く問題ないわ」
そして、パニエにドレスと私は着せ替え人形のようにココットさんやシャルロさんに言われるまま腕を上げたり、したわけで。普通のお嬢様ってこんななの? きっと、私には無理だわ。手が届かない所だけやってもらって、自分で着たくなってくるもの。
「サイズもパニエの盛りも問題なさそうですね。あとは髪型とメイクですね。良いヘッドピースもありますから、活かしたいものですが」
「あ、あの、シャルロさん」
「はい、なんでございましょう」
「……えっと、その、スカートの中にコレとか隠せませんかね」
私が手繰り寄せたのは手のひら大の本を一冊入る程度のフットポーチ。凄い、シャルロさんたちの顔が何を言ってるのだこの人はって感じになってる。うん、普通の令嬢はそんなこと言わないもんね。わかる! でも、私はこれをつけたいの!
「一体、何に使われるご予定でしょう」
「え、ただ単に読みたい本を入れておくだけです」
「……本、ですか」
「はい! 本は素晴らしいもの! いつだって傍に置いておきたいの。むしろ、なかったら落ち着かないの。ダメかしら」
殿方の前でスカートを捲り上げることはしないし、読みたいわけじゃなくて、傍に置いておきたいだけ。それに誰か要人を殺害するっていう目的なんてものはない! ただただ、私の傍に本を! それだけよ。
シャルロさんたちにもそれが伝わったのか、溜息を一吐き。
「わかりました、アルセリア様がご希望されるのでしたら、そうさせていただきます。その代わり条件がございます」
「条件、はい、なんですか?」
「明日から夜会までの残り二日程、付け焼刃程度にしかならないと思いますが、令嬢としての立ち回りだなどご指導させていただきます。また、メイクや髪型等も意見がないようでございましたら、こちらで全てさせていただきますが、いかがでしょう」
ごくりと唾を飲み、シャルロさんの言葉を咀嚼する。要は、余裕をもって来た残りの日数はご令嬢レッスンということよね。うん、まぁ、確かにそれは必要ね。お父様に恥をかかせに来たわけじゃないし。
「今回の夜会は表向きは若いご令嬢ご子息様のお披露目会を兼ねておりますので、多少の失敗は皆目を瞑ってくださるでしょう。ですが、やはり、令嬢として招待されているからにはそれなりの所作が必要となってまいります。難しいことはアルセリア様の様子で教えるか否かを決めます。ひとまずは、挨拶、歩き方などの初歩からでしょう」
難しいこと、要は変に絡まれた時の交わし方とかそういうのでしょうね。でも、うん、やはり、初歩でも教わっておくことに間違いはないわね。
「わかりました。メイクや髪型もシャルロさんたちに一任します。数日ですが、ご教授、よろしくお願いいたします」
とりあえず、レッスンは明日からだったけど、今日は衣装合わせの後は座りっぱなしだった。何故って、どの髪型がいいのかとメイクを決めるためにメイドさんたちのおもちゃになっておりました。
「アルセリア様の髪はベルトラン様同様白銀ですので、流しておくだけでもいいですね。光の反射で美しいことでしょう」
「でも、やはり、腰まであるのですから編み込みアップもいいですよ」
「こんな綺麗なストレートなのだから下ろしておく一択でしょう」
「あら、編み込みアップでもアルセリア様の容姿に合って可愛らしいはずです。それにヘッドピースもつけるのですから、そのことも考えないとダメよ」
そんな会話が私の頭の上で何通りか繰り広げられた。その度にシャルロさんに怒られて交代させられるというのに皆さんめげないなぁ。凄いよ。私はうん、気にしない。自由にして頂戴状態。
「あなた達、いい加減になさい。アルセリア様の髪型は捻じれ編み込みのアップとします。ヘッドピースは編み込み部分につけましょう。イヤリングは大きすぎず小さすぎないものを、メイクは、そうね、妙齢のレディですもの、可愛らしいよりも美しいでなさい」
メイド長の横暴! なんてココットをはじめとするメイドさんたちから声が上がったけど、おだまりの一喝で皆さまサーッといなくなった。すごい、本当になんというか凄い。語彙力? ないよ、凄さの前にそんなのいる? いらないよね?
「アルセリア様、お疲れになったでしょう。何か飲み物をお持ちいたしますね」
「あ、それくらいなら、自分で」
「アルセリア様」
「あ、はい、お願いします」
目が、目が、怖かった。明日からって言ったじゃんって口に出そうになったけど、そうだよね、シャルロさんたちの仕事だもんね、私が奪ったらダメよね。で、普通のご令嬢ってこの時、何してるもの? 普段の私だったら、ご飯作ったり、冒険者として依頼をやったり、本読んだりしてるか、やること色々あるけど、今はね、考えられない。傍にあるもの全てが私が触れちゃダメなものな気がしてしょうがない。今いる部屋だって私が自由に使っていい部屋だというけど、綺羅びやか過ぎて大変使いにくい。
それから、戻ってきたシャルロさんと明日以降のすり合わせをすることになった。お兄様は兵舎があるからとそちらに行ってしまった。おのれ、私を生け贄に逃げたな。それはともかく、ある意味、令嬢としての当たり前のことを自分で経験できたことはいいことよ。えぇ、こんなことなんて、もう一生ないのでしょうから。
翌日からシャルロさんの厳しいレッスンが始まった。日常の所作からダメだしされることばかり。
「背筋はピンと伸ばすのですよ。ほら、また猫背になってますよ」
まさかのお父様と同じ猫背になっていたとは。いや、うん、変な体勢で本を読むこともあったから、当然かもしれない。反省反省。
「不安そうになさらない! 例え不安でも堂々としなければなりません。あなたは令嬢なのですよ」
歩いている時や食事をしている時、こうだったっけとマナーなど考えてると不安そうな顔が出ていたらしい。不安なのに堂々とって……難しいわ。
パーティ自体は立食なのだけど、立食は立食なりにまた注意する点が多い。まずは皿に多く盛り過ぎないこと、大きな口で頬張らないとか。食事のマナーができてないと公言するようなものだとシャルロさんが言っていた。お酒も飲めるけど、飲み物はがぶ飲みしないとかもそれと同じ。ただ、そういうのは本で見た令嬢の感じとかを真似ればなんとかいけそうね。素を出さないようには注意しなくてはなのだけど。
「アルセリア様は大変理解が早く素晴らしいです」
わーい、褒められた。素直に嬉しいけど、それが落とし穴よね。
「アルセリア様、ダンスの方はされたことは?」
「残念ながらないわ」
「では、簡単なステップからいたしましょう」
シャルロさんはスチュワートと見習い執事さんを呼び、私の相手にして、今度はダンスのレッスンが始まった。私の頭は破裂寸前よ。
足を踏んでしまわないように下を見ていたら、シャルロさんに指摘され、スチュワートさんにはステップの順番などを改めて教えてもらうことになった。もしかして、普通のご令嬢方はこういうので手一杯なのかしら。私はこの二日である程度詰め込まれるのだから、地獄ね。もう少し、興味を持つべきだったわ。
そんな感じで私は二日間朝から晩まで頑張った。あとはもう失敗だけはしないことを祈るわ。