日記、あるいは愚にもつかぬ自伝小説
昔書いた小説を少し修正したもの。
自身が実際に経験したことに関して、だいぶぼかしてはいますが当時の感覚がそのまま書かれています。
この世界から消えてしまいたいと思ったことがあるだろうか。
ある日、突然。誰の目の前からも消えてしまいたい。それは、自分が消えてしまったらみんなはどう思うのだろうとか、そういうことではなく、自分という存在がそこに居たという歴史が、全てまるっと、綺麗に元からなかったかのように、消えてしまいたいと思ったことがある人は、どれだけいるだろう……
少なくとも、私という個人はそう言った思いをふと抱くことがある。それは、星が煌めき、月満ち満ちた優しい夜だったり、燦然と輝く太陽の光が、降り注がれる陽気な真昼だったり、冷ややかな空気感と、優しい陽光が草木を照らす、穏やかな朝だったり、それらの逆であったり。時間や空気感の差異など関係なく、突如として現象する。
それは、友人や恋人と過ごしている時間も例外ではない。
元々、そこまでネガティヴな性格でもないし、何故、私はこのような気持ちになるのだろうかと、深く考えたことがある。しかし、考えこんでも答えは出るはずもなく、結局私は今日までこの思いを内に秘めたまま生きてきた。
しかし、この様な手記を書いているからには、その気持ちに一つの区切りをつけることができたという様に受け取ってもらって構わない。つまりは、ここにただの大学生である私が経験した事柄について、語るべきことが書かれているということである。どうか、私に少しでも共感できる部分があれば、開いたページを戻さず読み進めてみてほしい。
それで君たちがどう思うかは君たち次第である。
私がこの手記を書くに至った経緯を話し始めると、非常に長く厄介で面白味のないことをつらつらと語ることになるので、大雑把に言い表すとしよう。せっかくだから、ハイカラな言葉や故事成語なんかを使ったりして格好よく飾り立てて言い表したいと思わなくはないが、それもまたわざとらしいので却下だ。そんなことをしてしまうと似合わない絢爛な服装で、堂々と教壇に立つ我が敬愛すべき我が恩師のようにさぞかし立派に見えてしまうことだろう。言葉を弄することや変に着飾ることという本来あらざるべき見栄を張るというのはその人間の空虚さを表すことに相違ない。
故に、私が彼の有名な自殺文豪のようにこのような自伝的小説のような何かを書いているのは、一重に書きたいと思ったからであると表すほかない。誰かに私の経験を読んで欲しいという自己顕示欲の表れのようなものだと思って欲しい。
私は彼の文豪は軽蔑するに足る人物だと思っているが、根底にある「書きたい」という思いと誰かからの認識を求める心は理解できる。
ともかく、そういうわけで私はさして面白くもない己の人生の一部をこうして書き残すことにした。
そもそも、私が「消えたい」という思いに囚われたのは高校一年生の秋。初めての恋人が出来てから数カ月経った頃であった。
それまで、そもそも死にたいと思ったことすら無かった私が唐突に消えたいなどと思ったのはなぜか。彼女が出来たことで似つかわしくもない気遣いを覚えたからだとか、意外とその恋人の存在自体が煩わしく、負担になっていたとか、確かにそういうこともあっただろう。実際、私はそれからすぐに彼女と別れることになる。
しかし、別にそう言った理由で消えたいと思ったのではない。より明確に表すのであれば、それだけの負担で「消えてぇ」などと口にする私ではない。
物のついでに思い出してみると、他にも、それまでに尋常ならざるストレスを私が負っていたこともある。彼女が出来たことによる周囲の人間の冷やかしだとか、親になったこともない癖に親の気持ちを語る偉そうな独身教師の説教だとか、同級生の無遠慮さだとか、そう言った諸々は確かに私を不安定にさせていた。だが、そうではない。大きなきっかけはそこには決して存在し得ない。何故なら所詮彼らは私の人生にとって有象無象でしかなく、吐いて捨てるほどこの世に存在する野壺に集る蠅でしかない。
では、きっかけは一体何だったのだろう。
前述したように未だハッキリとはしない。しかし、恐らくこれだろうというものが一つある。
それは、知人の死である。
知人という表現を用いてはいるが私の心の変化の一因としてあげるからには、もちろんそれなりの関りがあったといことであり、事実、私はその「彼女」には当時よく世話になった。というのも、彼女は私の幼馴染の姉であったからだ。
では何故「知人」などという迂遠な言葉を用いるのか。それには明確な理由がある。
幼い頃から私と幼馴染はよく連れ立って遊び、お互いの性情をよく理解し合った仲である。そうして、彼と仲良くしていれば自然と彼の家族とも仲良くなった。
私にとって彼女はそう言った関係の中で付き合いのあった血の通わない姉のようなものであっただろう。彼女は私よりも三歳年上で、名前を「中州恵理」といい、彼女の弟である同い年の幼馴染は「中州隆介」という名前であった。恵理さんはとても綺麗な女性で、その長く美しい黒色の髪は一家の宝だと二人の親はよく語っていた。
私のことは知り合った当初こそ、弟と仲が良い年下の男の子という認識だったのだろうが、一年、二年と付き合いを重ねていくうちに次第に互いの仲も深まっていった。
ある日、彼女から呼び出された。その時の恵理さんは今にして思えば妙に真剣味を帯びた声色で話をしていたのだが、私といえばまだ中学に上がりたてで阿呆に阿呆を極めている真最中であったから、察する能力も足りず二つ返事で彼女の呼び出しに応じた。
呼び出されたのは、彼女と私の家から少々離れた中くらいの公園で、てっきり隆介も一緒にいると思っていた私は、恵理さんが一人でベンチに座って待っているのを視界に認めると大層驚いた。
「恵理さん一人ですか?」
私はまわりをキョロキョロしながらそういった。不思議なことに、周囲には一切人の気配を感じられなかった。私が記憶している限りその公園に人が全くいないということは珍しく、まるで世界には私と恵理さんの二人しか存在しないかのように感じられて私はなんだかむず痒い気持ちになった。
「隆介もいると思ったの?」
彼女はニコニコしながらそう言った。当時の私は、今の偏屈な私と比べると大層素直であったから、その問いに対しても正直に「はい」と答えた。そうすると彼女はまたニコニコとした。私もまた、彼女のその顔を見て笑った。
「君は、きらきら笑ってまるで星みたいね」
ふと、私の笑顔を見て彼女はそんなことを言った。私は、彼女の脈絡のない突然の言葉を不思議に思って「それはどういう意味ですか」と、馬鹿正直に問うた。
「さあ、私も分からない」
そう言って彼女はブランコに座ると、私に向かって手招きをした。私はあえて彼女の隣のブランコには座らず、代わりに彼女から少し離れた前方の柵に座わることにした。そうすると彼女は「君は時々いじわるをするね」と言うけれど、私は別に意地悪なわけではない。何故だか、その場所こそがその時には最適な距離感だと思ったのだ。彼女は、まあいいけれどと言って一度口を閉じた。
彼女と私の間に静寂が訪れるのはいつものことであった。私はあまり多くを話す方ではなかったし、彼女もそう言った私の性質をよく理解してくれていたから、無理に会話をしようとはしなかった。沈黙は金、という言葉があるが私と彼女の間で起こる沈黙は言い表すなら安息であった。お互いが相手の距離感を正確に把握しているからこそ生まれる落ち着いた時間。しかし、その時の沈黙はいつものものとは違い、強い違和感を持って私にのしかかってきていた。
彼女が何か重大なことを話そうとしているのだという確信めいた予感と、それによって私たちの距離感が変容するのではないかという危惧。今までと違う空気感は私の心を強く揺さぶった。
「君に話すことがあるんだ」
きっと彼女も分かっていたのであろう。その話をすることこそが、彼女と私を決定的な離別へと誘うのだと……
私は、変化を嫌う子供であった。予定の突然の変更など以て外だし、人間関係の変化なんて言うのは恐ろしいものでしかなかった。
故に、恵理さんの行動。それによってもたらされる彼女の私から見た立場。つまるところは、「友人の姉」という彼女の位置付けが変わることを酷く嫌っていた。
人間関係に潔癖すぎたのだろう。今となっては何を言っても「たられば」でしかないが、今の私だったなら一頻り喜んだ後、その変化を受け入れるはずだ。
しかし、当時の私はその変化を拒絶した。彼女が踏み込んだ分だけ、後退した。そうやって彼女の思いを踏みにじった。そしてこの時もまた、私は彼女の想いに対して、関りを絶つという不誠実な方法で幼い素直さのままに彼女を遠ざけたのである。
その日、私は彼女の話を聞かなかった。私が彼女を「知人」と素気なくここに書くのはそう言った理由だ。
彼女が亡くなったという連絡が私に回って来たのが最後であったというのは後から聞いた話だ。というのも、隆介がそれこそ最後まで私に気を遣って連絡すべきか否かを悶々と悩んでいたかららしい。結局、隆介ではない幼馴染からの連絡で、私は彼女の不幸を知り、学校から直接、通夜が行われているという式場へと向かった。言いようのない虚無感が私に襲いかかったのはその時であったように思う。
私が式場に着いたとき、すでに私以外の幼馴染連中は揃っており、皆一様に似合わぬ悲痛な面持ちで座していた。見知った顔がちらほら見える中、私はまず喪主である隆介に声を掛けた。中州家は母子家庭であったから、必然葬儀を取り仕切るのは長男である隆介だった。
「まさか来てくれるとは思わなかったよ。お前、姉さんの事ニガテだっただろ」
彼は苦笑気味にそう言った。私と恵理さんの事情について彼は全てとは言えないが、ある程度のことを知っていたのだからそれは当たり前の反応だった。
「ニガテではなかったよ。嫌いでもなかったさ」
むしろ、好きだったのであろう。それでも拒絶したのは私の幼さからだ。「そっか」と小さく言う隆介を尻目にそんなことを思う。
私の愚かで稚拙な潔癖性故に、私は取り返しのつかないことをした。口に出して言うほど好きでもなかった彼女と付き合ったのも、その取り返しのつかなさを誤魔化すためだったのだろう。
こんなことを書いていると、つくづく自分に嫌気がさしてくる。
その後、通夜は滞りなく進んだ。誰もが恵理さんの死を悼んでいた。
「なあ、お前は死なないよな」
次々に人が式場を後にし、通夜がもう終わると言った頃になって隆介は私にそんなことを尋ねてきた。私は言葉を見失って、情けない声で「なぜ」とだけ返事するのが精いっぱいだった。
「だってさ、お前と姉さんってよく似てたから。自己中心的なところとか特にさ」
「まあ、確かに……」
だからといって、何故私が死ぬことに話が繋がるのだろうかと、その時私は考えた。私が他の幼馴染から聞いた話では恵理さんの死因は病死だった。性格もそこも含めて確かに俺と恵理さんは似ている。しかしながら、俺にも持病があるとはいえ、それは死に直結することがない本当になんてこともないものだ。 そんなことは彼も知っているはずだと思い不思議に思っていると隆介が口を開いた。
「みんなには病死って伝えたけどさ、実は本当の死因は違うんだ。いや、病気が原因っていうのはあながち間違いではないんだけど」
そこまででなんとなく察してしまったのは、私がやはり彼女と同じような人格をしているからだろうか。
「……なあ、恵理さんは、もしかして」
「うん、姉さん、本当は自殺したんだ。もう長くないって聞いてたからこんなこともあるだろうとは思ってたんだけどさ」
それは一時帰宅の時だったらしい。本格的に体が動かなくなる前に、一度帰っておきたいと恵理さんが言いだしたのだという。医者もまだ当分問題ないということで帰宅を認め、家族で彼女を連れて帰った日の翌日、恵理さんは自らの残り少ない命を放棄した。
もちろん公式では、自殺扱いになっているが、病死だと周囲の人に伝えたのは必要以上に傷つけないための配慮だったのだそうだ。
「なんで、俺に話すんだ」
「なんでって、お前は俺たち姉弟と一番仲が良かったからだよ。それに、さっきお前と顔合わせた時に思ったんだ。死んじまうんじゃないかって」
彼はそこまで言うと、深く息を吐き出す。溢れ出そうになっている涙を必死にこらえた瞳が、私の方をジッと見つめた。
「もう一回聞くぞ、お前は死なないよな」
死ぬ気は無くとも私は、その問いに答えることができなかった。
その日、私は遅くまで隆介の相手をして一頻り話をしてから、帰路についた。
こんなにも悲しい日だというのに夜空が妙に綺麗で、ぽっかり胸に空いた穴が星の明かりに照らされて、酷く痛んだ。
もしも、自分の存在と引き換えに彼女が生きることができたのならどれだけいいだろう。死ぬ気はさらさらないのに、そんなことを思う。いや、むしろ、その時のそれこそが初めての消えてしまいたいという気持ちの源泉だったのだろうか。
嫌なほどに胸が痛む。
彼女と私の関係はあの日、あの時に終わった。その筈なのに、キリキリと胸が痛むのは何故だ。ああ、その時の私は分からなかった。どんなに取り繕うと、口先だけの好意で彼女を作り、己の気を紛らわしたつもりになっていても、恵理さんへ抱いていたその気持ちは変わらなかった。あの日、変化を恐れた私が覆い隠した想いは、己自身に牙を向いた。
痛くて、痛くて仕方がない胸を掻きむしって、掻きむしって、それでも消えぬ痛みをなんとするか。ああ、それを人は愛と呼ぶのだろう。胸にそれを刻み込むように痛ませるこの空白を喪失感と呼ぶのだろう。愛の行く宛ては永遠に失われたのだから。
それから数日が経って、私は彼女と別れた。もう彼女と付き合う理由がなくなったからだ。別れ話は、恙無く五分か十分で終わった。友人連中にその話をするとそれはもうよく笑っていた。気を遣われるのも、そこまで気に病んでいなかったので面倒臭かったが、建前上、もう少しデリカシーというものを持った方がいいだろうと私も彼らに言って笑った。
笑いながら、心の中に燻ぶり続ける恵理さんへ向ける想いの大きさが数日前よりもほんの少しだが小さいことに気がついた。その時、ふと、この心はどんどん薄れていくのだと気がついた。恵理さんはすでに故人で、私は生きている。死者は過去に残り続けるが、生者は未来へと進み続ける。だから、俺の中にぽっかりと空いた穴は徐々に塞がって、いつか恵理さんへの気持ちを忘れてしまうのだろう。
そんな事実を目の当たりにしてしまうと、堪らなく悲しくて、だからこそ、いっそ全てが無くなってしまえばいいと思ったのだろうか。恐らく、これが本当の意味での発端だったのだ。空いた穴を埋めたのは、自分を責める気持ち。消えたいという思いを強く自覚したのは、この時だっただろう。
もちろん自分を責めたところで、何が起こるわけでもない。恵理さんが死んだのは私が原因だったわけではない。それに、私一人が消えたところで、恵理さんが生き返るわけでもない。死人は決して蘇りはしない。
それでも、私は自分を責めることでしか己の気持ちに決着をつけられなかったのだ。だから、消えたいという気持ちは私の心に住み着いて、そのまま離れることなく今もまだ、居座り続けている。我が事ながら難儀な性格をしていると思う。
しかし、そんな中で今も私が消えたいと思いながらもこうしてこれを書いているのは一重に周囲の人間のおかげだ。それは例えば、隆介があの通夜の日私にかけた「死ぬなよ」の言葉だったり、その後の人生で出会えた人達との関わり合いだったりがあったからこそ、私は生きていられる。
消えたいと思う気持ち以上に生きていることが素晴らしい事であると、そう感じさせてくれる人々やものに出会ったからだ。
それでも、ふとした時、自分の心に巣くう蜘蛛に心をからめとられそうになる。そんな時、私はその気持ちを受け入れることにした。この気持ちが向こう数十年付き合っていくことになるどうしようもないものだと思えば、多少なりとも愛着が沸くというものだ。どうしようもないなら、上手く付き合うしかない。初めにも書いた通り、元々ネガティヴな性格ではない私は月並みではあるが、未だ塞がり切らない自分の中にある空っぽの部分もまた、恵理さんがくれたものだと解釈することにした。だから、今の私に自責の気持ちはない。ぽっかりと空いた穴が寂しいことはあるけれど、それだけだ。
それでも、それは今だから考えられることで、当時の私には本当の意味でどうにも解決できない悩みであったのは確かである。だからこそ、自責で己の心を埋めたのだし、でなければこんなものも書いていない。
結局、歳月経て、時間が経っていくうちに上手い事自分の気持ちもまとまっていく。予想の様な確信を抱きながら恵理さんの死を理由にして、自分の気持ちに決着をつけたことは浅ましいと思わないわけではないが、それでもやはりこれは彼女に原因がある。別に暗い話ではない。目をつぶると簡単に思い出せてしまうような、彼女の笑顔。未だに忘れる事の出来ないあの日のこと。それらにしこりを残したまま逝ってしまった彼女。
私も、彼女も、お互いに勝手で、どちらも相手の気持ちに真摯ではなかった。関係の進展を望まず、ぬるま湯の様な関係を継続したかった私と、それがわかっていても踏み出した彼女。責められるべきは、もちろん私なのだろう。それでも、私はお互いに「相手への思いやり」というものが決定的に欠如していたと断言する。
死んでしまった彼女には、もはや恨みもないがそれでも一言二言文句を言うぐらい許されてしかるべきだ。おかげで私は、一生残るしこりを抱えて生きる羽目になったのだから。
さて、これ以上私には書けることはない。ところどころ矛盾なんかもあるだろうが、ほとんど殴り書きのようなものだし許してほしい。
たかが数千文字であったが、これを書き終えるまでには何ヶ月かかけているので、書いているうちに色々と考えが変わったり、気持ちに踏ん切りがついたりなんかもした。最初のまま書いていれば、この手記はそれこそ自伝小説的風味を帯びた何物かになり、どこぞの文豪の退廃文学の様なものの下位互換になり果てていたことだろう。一応書いておくが、私は太宰治が嫌いである。あんな人間の屑が芥川賞に相応しいわけがないのであると断固主張する。
さて、全体の内容を軽く説明するならば「消えたいと思うこともあるだろうし、最初はそういう気持ちをうまく処理できないかもしれないけれど、時が経つうちにどうにか折り合いがつけられるようになるよ。今消えたいとか死にたいとか思っても、頑張って生きてください」みたいなことが書かれているはずだ。
私自身、死にたいとは思ったことはないのだが、それでも死にたいと思ってしまうことは悲しいことだと思うから、どうか、少しでもいい。前を向いて生きて欲しい。それが出来ないから辛いとか、そんなことが出来るわけがないという最初から全て悟ったような諦めた言葉を言いたくなってしまう気持ちも分かる。消えたいと、死にたいと、そう思ったらどこにでもいい、どこかに不満を吐き出せばいい。私はこれにありとあらゆる不満と暴言を集約した。これを読んで、傷つく人間もいるだろう。だからなんだ、私は私を守る権利があるのだ。それはもちろん、これを読んでいる誰かも当然持っている権利である。だから君は言いたいことをハッキリ言って、自分の意思を貫いて生きていけばいい。自分で自分を殺すことをしてはいけない。そうやって、真っすぐ自分に正直に生きていれば、いつか自分を理解してくれる人が君の隣で笑うだろう。それが一人か二人かそれ以上かなんてことはわからないが、きっと一人もいないなんてことはない。
理解されたいなら、理解されたいなりに君も踏み出すべきなのだ。私のように、関係性が変わることを恐れていたら何も始まらない。かといって、踏み込み過ぎるのも良くはないので、加減は大切だが、それでも一歩前進することが出来れば昔の私よりはずっとマシなはずだ。
そうやって、人はちょっとずつ前を向いて、ゆっくりゆっくり進んでいけばいい。亀の歩みだと馬鹿にされるようなことがあったとしても、そんなことを一々気にしている暇はない。早足で歩くことばかりが良いわけではない。
私たちは、私たちの為に生きている。時として、消えたいと思うこと、死にたいと思うこともあるだろう。
そんな時、無理にその気持ちを否定する必要はない。かといって必要以上に付き合ってやることもない。適切な距離感で上手く接していけばいい。
私もゆっくりと、自分の歩調で進んでいく。何かと失敗も、喪失も多い人生だけれど今あるものと、失ってしまったもの、その両方を大切にして生きていこうと思うのだ。
また、これを書くこともあるかもしれないと思いながらここで筆を置く。今の私に書けることはここまでだ。
私小説であると謳ってはいますが、もしかしたらこの続きをまた別の方向から書くかもしれません。その時は現代青春ものになるのかな。