第115話 一撃では足りない
玉宝禅寺祖院の境内。
狼との距離、五メートル。
近い。
近すぎる。
だが、この距離まで来ないと意味がない。
『WARNING: System Overheat. Force close in 00:28』
十分だ。
いや、十分じゃないがやるしかない。
「……これで終わりだ」
俺はスマホの『獄怨の杖+5』を正面に構えた。
右腕に鈍い負荷がかかる。重い。だるい。熱い。
こんなものを最後まで抱えて走らせやがって。
でも、威力だけは信用している。
「火矢」
詠唱破棄。
最短最速。
同時に、最後の一撃が乗る。
画面が白く染まり、杖のエフェクトがまとめて火矢へ流れ込んだ。
「行け」
発射。
次の瞬間、狼の顔面が光に呑まれた。
爆音がインカム越しに遅れて追いつき、思わず身体がのけぞる。
入った。
少なくとも、手応えは完璧だった。
だが。
爆煙の向こうで、狼がまだ立っていた。
「……は?」
眉間は抉れ、頭の半分は吹き飛んでいる。
毛皮の表示は焼け焦げたように乱れ、白いエーテルがノイズみたいに噴き出している。
それでも倒れない。
スマホ画面の隅に、見慣れない表示が出た。
【主の意志 HP 1 / 100】
いや、待て。
HP1ってなんだ。
ワンパン対策にも程がある。
「社長!?」
インカムの向こうで誰かが叫んだが、よく聞こえない。
俺の頭の中は、表示された四文字で埋まっていた。
主の意志。
なるほど。
主がいる限り界は落ちない。
なら逆に、界が落ちない限り主も落ちない。
そういう理屈か?
獄怨の杖の強化値は消えた。
ファイナルストライクも終わり。
「火矢!」
すかさず撃ったが、満身創痍なのに弾かれる。
HP1ならと思ったが、杖強化もファイナルストライクも失った今、このクラスには通じない……か。
狼が吠え、地面を蹴った。
死にかけなのに速い。
俺は反射的に後ろへ飛びのき、転がるように避けた。
AR画面の爪が視界いっぱいを横切り、警告音が耳元で鳴る。
「うおっ……!」
それでもじりじりとHPが減った。
直撃ならゲーム上では即死だ。
だが、身体が裂けるわけではない。
問題は、次にスマホが熱暴走かどうかだった。
まだMPは残っていた。
ただ、普通の魔法じゃ削り切れない。
湧き直しも後ろから来る。
ここで決めないと詰みだ。
残っている手札は一枚。
使いたくなかった札だ。
「……まじかよ」
炎嵐。
半径十メートルの範囲攻撃。
詠唱二十小節。
長い。味方に当たる。使いづらい。普段なら封印安定。
だが今は、周りに味方はいない。
敵は目の前にいる。
条件だけは、揃っていた。
狼が三度目の突進に入る。
俺は逃げずに、スマホを握り直した。
「……やるしかないか」
腹を括る。
詠唱短縮も、詠唱破棄もなし。
正攻法で、あの長いポエムを全部通す。
俺は息を吸った。
そして、深夜のススキノに一番聞かれたくない声を響かせた。
「……Woke up!」
俺はネタで設定していた起動ワードを叫んだのだった。




