アリシアの義妹視点:それはまるで嵐のような
――兄には、ずっと昔から懸想している人がいた。
彼女の名前はアリシア・メルクリスさん。
とても優秀でとてもお綺麗で、そしてとても明るい人だと話す時の兄の顔は、いつも私が見た事のない表情で。
彼女のことが本当に好きな気持ちが伝わってきた。……それと同時に、それが憧れでしか無いということも。
だから、兄の初恋は実らないと思っていたし、そうなるのが当然だと疑っていなかったのに。
あの日。兄のロバートは突然アリシアさんを連れて帰って来て、こう言った。
「僕は彼女と結婚します」
◇◇◇◇◇
アリシアさんは本当に綺麗な人だった。けれどその美貌に反して、とても人好きのする笑顔を浮べられる方だった。
「リアナちゃん? どうしたの? お菓子、口に合わなかった?」
「いえ、あまりの美味しさに驚いてしまって……」
学院でも優秀だったという彼女は、なんでもない顔で美味しいお菓子だって作れてしまう。
見たことも無い料理に初めは皆戸惑っていたものの、今ではアリシアさんの新作と聞いただけで誰もがソワソワと期待に胸を膨らませる。
――彼女は風だ。
太陽の光をいっぱいに浴びて、その恩恵を周囲の人達に分け与える。春を象徴するような温かい人だ。
私が彼女に抱いた第一印象はそのようなものだった。
◇◇◇◇◇
「……そこに誰かいるの?」
今日はずっと、大人達が慌ただしかった。
その喧騒が落ち着いた頃になって忍び込めば、いつも明るく元気いっぱいだったアリシアさんが、額に張り付いた髪の毛もそのままに寝台に横たわっている姿が目に入った。
本来彼女を看病するはずの兄は、そんなアリシアさんに縋るようにして眠りについている。心配だったのはわかるけれど、これでは立場があべこべだ。
「リアナです。……あの、何かお手伝いできることはないかなって」
出産が大変なものだということは知識では知っていた。でも私は末っ子で、実際に出産に立ち会ったことは今までに無かった。
それまで幸せの象徴としか思っていなかった出産という儀式は、私の想像なんて及びもつかないくらい、すごく、すごく怖いものだった。
「……ああ、驚かせちゃったかぁ。そうだよね。私も出産って、もっと幸せだけがあるものだと思ってたもの。『こんなに痛いなんて聞いてないわよ!?』って、お母様に文句を言いたい気分」
力無く笑うアリシアさんは普段の見る影もないくらいに弱々しい。
けれど、眠った兄の頭を撫でる手つきは優しくて。
彼女は今、間違いなく幸せを感じているのだと、その雰囲気を感じるだけで理解ができた。
「……でも、幸せなんですよね?」
「ええ、そうね。私は今、とても幸せよ」
――穏やかな海。あるいは、全てを受け入れる母のような。
綺麗で、優しくて。面白くて、賢くて、強くて。格好良い。
この人が私の義姉なのだと思うと、私はとても誇らしくなった。
◇◇◇◇◇
「ちゃんと対応して下さい!!」
「え〜、やーよぉ。そんなにあの人が気になるならリアナちゃんがやればいいじゃない」
「私はただの妹です!」
「それなら私はただのお嫁さんで〜す。ねね、そんな事よりこのお菓子食べてみない? 弟が差し入れてくれた物なんだけど――」
「――ッ、……結構です!!」
義姉は頭が良く、綺麗で、胆力もある。
だから家同士の大切な話し合いの場所にも何度も出ているというのに、この義姉は時々信じられない行動を取る。
今日だって昔から馴染みのある商会の方に向かって、あ、あんな……! 信じられないッ!!
「お義姉様は何を考えてるんですか!? もしも今日のことで取り引きに影響でも出たら……ッ!」
「まだ大丈夫よぉ。というか、何したって向こうから取り引きなんか切れないんだから。……ふふふ。ねぇ見て見て。このお菓子、砂糖が振ってあるかと思ったら塩だったのこれ。あは、あははは」
「お義姉様っ!!」
本当に、この人は一体何を考えているの!?
私よりもずっと頭が良いはずなのに、時折子供みたいに場を掻き乱す。綺麗な顔で無礼を振りまく。
あの弱気な兄が凄い人を捕まえたと思ったけれどとんでもない! アリシアさんは外面が良いだけの子供だわ!!
私がしっかりしなければ、この家は彼女に潰されてしまう!!
憧れの義姉という幻想を踏みつけ、私が彼女に代わって兄を支えなければと奮い立ち――。
◇◇◇◇◇
――そして私は、自分がどうしようもなく子供なのだと思い知らされた。
義姉は私たちを置いて家を出た。兄は何かを知っているようだったけれど、私には何も教えてくれない。
私が何とかしなければ。
私があの義姉の残した負債を取り戻さなければ――。
そうして頑張り続けること、僅か一月。
たったの一月で、私は自分が何も見えていなかったことを知った。
義姉が起こした数々の行動の結末。
それは私たちに緩やかな搾取の終わりと、強大な庇護者を齎した。
「優しいだけでは付け込まれる――か。悪事と呼ぶには些事に過ぎるが……さて、どうしたものかな」
――リッテンバーグ・オルグラシア。
かつて『富を産む頭脳』とまで呼ばれたオルグラシア公爵家の元当主。
そんな雲の上の存在が、うちみたいな木っ端貴族と一商会の話し合いの場に乱入してきて、商会の人を糾弾していく。
明るみに出るのは結んだ契約の実情。うちに不利な条件の数々。
一つ一つは小さな悪意に過ぎないけれど、寄り集まったそれらはまるで、我が家に巣食った寄生虫のようで。
「アリシアに感謝するんだな。ここらで止めておかなければ、お主らはいずれ悪意に取り込まれておったであろう」
――ああ、やっぱりそうなんだ。
半ば予感していた名前が出たことに、私は深い納得を得た。
ソフィアのお姉様は、やっぱりソフィアのお姉様でした。




