人付き合いって難しいよね
私は気付いてしまった。居心地のよろしくない場所にわざわざ長く留まる必要は無いのだという、極当たり前の真実に。
というわけで、トイレから戻った私は何故か一人きりになっていたミュラーに「もうそろそろ帰らない?」と提案をして、なんとか了承の返事をもぎとったのであった。
最初はびっくりしたよね。帰ろうって言ってんのにミュラーってば「次はソフィアの部屋で見るの?」とか言い出すんだもん。
帰るっていうのはだね、家に帰ることを言うんですよ。
私の家は私の帰る場所。ミュラーの帰る場所はミュラーの家に決まっているじゃありませんか。
私の家にミュラーが帰って来るのはおかしいですよね? なので当然、ミュラーは我が家には連れて行きませんし、共に何かを見ることもありません。家に帰ったら今日一日の疲れを癒し、明日へ向けての休息をとるのがいいでしょうし私はそうする。
そのようなことを伝えたところ、ミュラーは意外にも素直に引き下が――るわけもなく、「そう。じゃあ次はいつ見せてくれるの? できるだけ早い方が助かるんだけど。明日は平気?」などと、即座に次回の予約を入れようと捲し立ててきた。そもそも予約とか受け付けてないんですけど。
この辺りでもう、悟っちゃうよね。「あ、これ逃げられないやつだな」って。悲しいことにさ。
もちろん断ろうとしました。「あれ結構面倒なんだけど……」と純然たる事実を盾に、心苦しくもミュラーの希望を棄却しようと奮戦しました。その時にミュラーってばなんて返したと思います?
『そうなの? 面倒なことを頼んで悪いわね。で、いつなら都合がいいの?』だってさ。
姫かと。貴様はどこぞの王国のお姫様なのかと。
何処に存在する王国のわがままプリンセスミュラー様なのかと思いましたね。
断るなんて選択肢が初めから存在しないかのような横柄な振る舞い。
乙女ゲーの悪役令嬢程とは言わないけれど、プレイヤーからは嫌われること確実の横暴さに、思わず「ウォルフ、この子から逃げて正解だったかも……」とか考えちゃったよね。我ながら失礼な事にさ。
そんな後ろめたさを感じたからか、脳内の片隅を不法占拠している空想のカイルがひょっこりと顔を出し「いやいやお前も負けてねぇよ? 横暴さはどっこいどっこいかも知んねぇけど、お前の場合不機嫌だって理由だけですぐ俺に絡んでくるじゃん。わがままさではお前の方が圧倒的に上だと思うけどな〜」とか宣い始めたので、ジュワッと塵化してやりました。この脳内カイルは何度退治しても出てくる害虫のような存在でね、多分現実世界の本物を従順な犬へと調教でもしない限り延々と湧き続けるんじゃないかと思いますね。ストーカー力が凄まじすぎる。
結局返事を有耶無耶にする事は許されない感じだったので、来週ミュラー宅へお邪魔することを条件にして今日は解放して貰いましたとさ。
それでね? ここからが大事なんだけど、いつもはリラックスしてるはずの場所であんまり休めなかったから、帰ったら今度こそ休むぞー! って思うじゃん? で、家入るじゃん? 部屋まで行くじゃん? 何事もなく部屋まで到着したから、今度こそ羽を伸ばすぞひゃっふううぅ!! ってベッドの上で自由を謳歌してるじゃん? したらリンゼちゃんがやってきましてね、言うわけですよ。「あなたに伝言があるんだけど」って。嫌な予感的中ですよ。
私って昔からこーゆーとこあるんだよねぇ。
厄災がまとめて降り掛かってくるというか、泣きっ面に蜂の群れが強襲的な。「今日は疲れたなぁ」と思うと「今日はまだ終わってないよ?」と言わんばかりの不幸に見舞われる機会がやけに多いと思うんだよね。
そんな過去の経験から、この伝言がすっかり次なる受難の報せだとばかり思い込んでいた私なのだけど、なんと伝言を残した相手はお姉様だというではありませんか!?
もうもう、なんだようもうっ♪ それを先に言ってよリンゼちゃんってばまったく慌てんぼさんなんだからもう〜☆
「今からすぐに来て欲しいそうよ」
「はいほ〜い。了解〜」
今すぐ、ですか。なるほど? ふんふん。
……んん〜、「今からすぐに」というフレーズには少しばかり違和感を覚えたんだけど、特に嫌な予感はしない……と思う。
つまり私の直感に従うのなら、「呼び出し自体はお姉様からだけど、呼び出された先にはお母様が待ち構えていて、長いお説教が始まった」みたいな展開は起こらないはずだ。
んなことされたらお姉様のこと嫌いになるしね。精々一週間くらいしかもたないだろうけど。
感情と理性が相違なく安全を担保した。この事実だけでなんと安心できることか。
私は何の疑いもなく、お姉様の招待を受けた。
そこに本日最後にして唯一の癒しがあると、不確かなはずの確信を持って。
――思えば、既にフラグは立っていたんだ。
お姉様の部屋に通された途端に感じる違和感。部屋の中央、扉に背を向けて座るお姉様からは「私は今、不機嫌です」というオーラがありありと見える。
私の求めた癒し空間なぞどこにもなかった。
「……お姉ちゃんせっかく戻ってきたのに、ソフィアが全然構ってくれない……」
そして聞こえる、呪詛のような呟き声。
……え、えぇ〜。なんなのこの状況……。
アリシアはかつて、夢想していた。
家に戻れば昔のように、ソフィアと毎日楽しく暮らせると。
しかし妹は平日は学院へと通い、休養日にも友人を優先する日々。
彼女は思った。これ、めちゃくちゃ寂しいぞ、と。




