メディアプレーヤーに転職しました
怒るのって体力使うよね。体力使うとお腹が減るよね。
だがしかし。ここヘレナさんの研究室は、女神よりもよっぽど女神っぽいお方であるシャルマさんが常駐してる現代の楽園。
わんこ蕎麦ならぬわんこスイーツ的な感覚で食べれば食べただけ新しいお菓子が出てくる夢の楽園なのである。
だからといって、無理に食べすぎるのは良くない。
お腹の中身を捨ててまでお菓子を貪るのは、シャルマさんとお菓子、両方に対する冒涜に他ならない。であれば、他の手段も並行して気を紛らわせる必要があるんだけど……――。
「ソフィア、今のところもう一回。今度はゆっくりお願い。……お爺様の手元、拡大できる? 魔力の流れをもっとはっきりさせることは……そう、できないのね。それでも充分助かるわ」
「ん」
本日二品目のおやつであるチーズタルトを頬張りながら、ミュラーからの指示を粛々と実行する。
私は今、お昼に流したものと同じ、ミュラー対バルお爺ちゃんの対戦映像を流しながら、ミュラーの反省会のお手伝いをしていた。
何故このような事態になったのか。
それを説明するには、このチーズタルトの厚みよりも深ぁい理由が存在する。つまりはまあ、割と浅い理由だということだ。
それはヘレナさんのうっかり発言が切っ掛けだった。
『それにしても、ソフィアちゃんの人脈は凄いわね。ミュラーさんってお昼に戦っていた子でしょう? 実際に会うと印象がだいぶ違うわね』
『……お話中にすみません。昼に戦った、とはどういう事でしょうか? 私、学院では今日、まだ誰とも戦ってはいないのですが』
『ああ、それは……えーと、ソフィアちゃん? これって説明しちゃダメなやつよね? …………なんとか誤魔化してくれたり、してくれないかしら……?』
と、このように。ヘレナさんのポンコツっぷりを見せつけられた流れの果てに、お昼の再現をして見せたら「これ、いいわね」と呟いたミュラーにより私が便利な再生機扱いを受けてるというわけであります。
今日はミュラーがいるからヘレナさんのお手伝い不要っぽいし、暇してたからいいんだけどね、別にぃ。
私とヘレナさん間で交わされている研究物に関する守秘義務。それと同じく、私とミュラーの間で……というよりも、神殿騎士団との間で交わされている私の特殊な魔法に関する守秘義務。
この双方に関わっている私が、ヘレナさんの失言を「バラしても問題なし」と判断したところで、ミュラーがその映像を見たがるのは必然だったのだろう。
自分の戦っている姿を客観視する方法など存在しないこの世界に、突如現れた《記憶再生魔法》という可能性。
私にとっては精々アルバムかホームビデオ程度の価値しかなかったこの魔法が、ミュラーにとっては自身の戦い方を見直すのに最適な魔法に見えたらしい。
ミュラーには使えない私独自の《魔力視》を使っていたのもよくなかった。「あの光は何?」と聞かれて「魔力の濃いトコ」と答えた後のミュラーの目は本気と書いてマジと読むレベルで鬼気迫ってた。「今のところ、もう一回見せて」というお願いがお願いにしか聞こえない程の目力。普通に怖かったです。
繰り返し再生、スロー再生、映像の一時停止などができると判明してからはもうね、そんなに注視するとこある? ってくらいガン見してんの。筋肉フェチの誰かさんを思い出すかのような見事な凝視っぷりでしたよ。
纏う空気もね、もはや戦ってる時のそれと同じ感じだしね。この部屋でこんなピリッとした空気を感じることがあるとか思わなかったよね。
私は今、ここにミュラーを連れてきた事を少しばかり反省している。
ヘレナさんは緩いし、シャルマさんは優しい。
だからこそ今日一日大変だったミュラーを慮って私のとっておきの癒し空間にご招待したというのにさ、ミュラーさんめちゃくちゃ元気じゃないですかどーなってんの。
理屈はわかるよ。わかるけどさあ。
ここに来たから元気になっただとか、今は映像見るのに忙しくてそれどころじゃないとか色々理由はあるんだろうさ。でも素直に「ミュラーが元気になって良かった!」と喜べないのはだね、今のミュラーがミュラーじゃなくて【剣姫】寄りになってるからだと思うんだよね。
ぶっちゃけ隣にいられるだけでかなり怖い。
首筋に刀を当てられてるような緊張感が、なんか徐々に高まってきてる気がするんだよね。
お菓子でも食べてないとマジやってらんない。ヘレナさんとか見てみなよ、さっきからずっと机に齧り付いて書き物してるじゃん。あれ万が一にも目を合わせないようにしてるだけだからね。
ていうか本当に、かつてこの部屋がこんなに居心地悪かったことがあっただろうか。会話も一切なくて静かすぎて怖い。なんかもう、色々ツラい……。
「ソフィア、ゆっくり動かして」
「ん」
下手に口を開くと敬語が出そうだからわざと単音で返事してるんだけど、それとは別にもうひとつ、実は漏れ出そうなのを我慢いるものがある。
……緊張すると、喉、乾くよね。
食べ物はお腹にたまるが、飲み物の貯蔵量は遥かに少ない。そして私はこの部屋に来てから既に四回、カップを空にしていた。
有り体に言えばトイレいきたい。すごくすごくいきたい。
だが私が席を立てば当然、映像は消える。今の集中しているミュラーに「中断してもいい?」と申し入れる勇気が私にはどうしても湧かなかった。
……これはもう、あれを使うしかないのか。
遠見の魔法を使って、空いてるトイレの個室を確認――良し。
覚悟を決めた私はお腹に手を当て、位置を確認。
乙女の尊厳を凌辱する禁断の転移魔法を発動すべく、今、体内の魔力を――
「あっ!」
「あ?」
……あ、しまった。映像維持するリソースを見誤った。
…………だが、この空気感なら言える!!
「ちょっとトイレ行ってきます!」
――ソフィアちゃんは逃げ出した!!
「……私も少し、席を外させてもらうわね」
「申し訳ありません、私も少し……」
これ幸いとソフィアに続く大人たち。
ミュラーの放つ緊張感は、 その場にいた全員に影響を与えていたようだ。




