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真剣、だと……?


 落ち着け。私は何も見なかった。


 何も見なかったから何も感じていないし、何も感じていないからそもそも落ち着く必要なんてない。つまり私は落ち着いている。


 ――よし。


「……闘技場には、色んな人が来られるのですね」


「そうだね」


 記憶を封じた(臭いものに蓋をした)私は優美な笑顔でお兄様に微笑みかける。お兄様も柔らかな微笑みで返してくれた。


 よし、浄化完了。

 もう照り光る筋肉なんて覚えてないわ。野太い大合唱なんて記憶の彼方に……。


 ……くっ、まだちょっと残ってるな。


「お兄様」


「ん? どうかしたかい?」


 お兄様の麗しいお顔。耳が蕩ける至極のお声。


 それらを堪能し、今度こそ筋肉の影響下から抜け出せたことを確認してから、私はふっと表情を弛めた。


 ……さて、声を掛けた言い訳を探さないと。まさか馬鹿正直に「記憶から筋肉を駆逐するためにお兄様の声が聞きたかったんです」と言う訳にもいかない。そんな世界的美術作品の下地にゲジゲジの絵が存在したみたいな事実は公表すべきではない。綺麗なものの周りは綺麗なものだけで構成されているべきなのだ。


 ちらりと闘技場内を一瞥。

 一秒にも満たない時間で闘技場内の隅々まで視線を配ると、その中にとても気になるものを発見してしまった。


 記憶にある形状と全く同じ。


 あれがバルお爺ちゃんの手にあるってことは……やっぱりこれもう、模擬戦じゃないよね?


「あの、ですね。剣聖バルスミラスィル様が持ってるアレって、聖剣じゃないですか?」


「うん? ああ、そうだね」


「あら、聖剣のことは知っているのね。感心だわ!」


 聖剣という単語に秒で反応してくるエステラ嬢。


 うん、君はもういいから。私とお兄様のらぶらぶタイムを邪魔しないでくれませんかね。空気読んでくれてるカレンちゃんを見習って大人しくしててね?


 声に反応して私から逸れてしまった視線を、服を掴んで引き戻す。


 再度その瞳に私の姿を映したのを確認してから、ほんの少しだけ小首を傾げ、無言の意思を流し込む。会話の続きを求める熱視線。なんでバルお爺ちゃんが聖剣を?


 瞳に込めた想いを正確に読みとってくれたお兄様は私の疑問に丁寧な解説を始めてくれた。


「真剣の方が危なくないんだよ。木剣だと重さが違うし折れやすいだろう? それに彼らほどの技量になれば、真剣だろうと木剣だろうと自由自在に操れる。心配はいらないよ」


「そうなんですねー」


 答えはしたけど、お兄様の発言が何一つ理解できない。


 心配はいらないって言うけど、むしろそれ……心配しかできなくないです??


 ミュラーには寸止め失敗してる前科があるんですがそれを承知の上での発言ですか??? ていうかどっちでもいいなら尚更木剣使えば良くないですか?? てかてかミュラーレベルが使うんなら木の枝でだって真剣と切り結べるでしょ何の心配がどういらないのか全く全然分かんないんですけど!?!?


 なんということでしょう、まさかこの私が敬愛するお兄様の言葉を聞いて理解できないと感じる日が来るとは思いもしなかった。もしかしたらさっき筋肉菌に侵された時に、脳が異常をきたしたのかもしれませんね。


 普段は手に取るように分かるお兄様の思考が、今はまるで理解できない。


 その状況を拒んだ私の脳から、プツン、と何かが切れる音が聞こえた気がする。


 ――思考の断絶。肉体の剥離。


 思考と切り離された身体が勝手に動いて言葉を紡ぐ。これは心を守る防衛反応だろうか。


「聖剣、カッコイイですね」


「……? そうだね」


 お兄様は一瞬私の様子を訝しんだみたいだけど、すぐに元の調子に戻った。私も元の調子に戻りたい。お兄様と一心同体だと感じられる、あの全能感の溢れるいつもの私に。


 ……表面上はいつもと変わらない。

 けれど、まるでボタンを掛け違えたみたいに、決定的な何かがズレている私達。僅かな違和感は、逆に言えば僅かな違和感でしかないのだから、正されることなく進んでしまうのも仕方の無いことだと言える。


 ――だがここには、そんな違和感をそもそも感じない異分子(イレギュラー)がいた。


「ごめんなさい、少しよろしい? 今の『カッコイイ』は何処を見てそう思いましたの? 剣の造形を見て『剣がカッコイイ』? それとも剣聖様が聖剣を持っている姿が『カッコイイ』? あるいは剣聖様と共にある聖剣の有り様を見て『カッコイイ』と感じたのかしら。どう感じたのかによって、私は貴女の評価を変えなければなりませんの」


 なりませんの、じゃないよね。別に評価とか頼んでないし。


 なんなら最低評価と判定が下されたって「そういえば言ってなかったけど、私ってミュラーの友達なんだよね。剣聖とも知り合いだし。なんなら二人に紹介してあげよっか?」とでも言えば、それだけで私の評価が高評価に切り替わることは確実だ。


 なんか力抜けた。俯瞰して見えた意識も今は正常に戻っているし、お兄様から感じた理解不能な恐怖心も今は精々「知らないならそう思うのも仕方ないよね」と冷静に考えることが出来ている。


 図らずも助けてもらった形になっちゃったし、試合が終わった後にでもミュラーとこの子を引き合わせてあげようと心に決め、とりあえずは請われた感想をそのまま伝えた。


「今言ったの全部、っていうのが本当のところだけど……あえてひとつだけ選ぶなら、やっぱり持ってるところを見てカッコイイと思った、かな。なんか見た目がしっくりくるよね。正に聖剣の担い手、みたいな」


「…………」


 ……あれ、返事がない。


 返答に失敗したかな? と思っていると。


「……聖剣の担い手。……そう、それですわ! なんだ、貴女見る目があるじゃないの! 本当にその通りよね!!」


 なんか琴線に触れちゃったらしい。めっちゃ嬉しそうに手が握られた。


 横ではカレンちゃんも「聖剣の担い手……」と呟いている。そんなに気に入るようなフレーズだったのかな……?


「聖剣の担い手……」

「……聖剣の担い手」

「聖剣の担い手……?」

「聖剣の担い手……!」


エステラとカレン。剣聖ファンの間にだけ通じる何かがあったようだ。

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