心の準備
……なんか、思ったよりも効いてしまったっぽい。
自分でも不調だな〜って自覚はあったし、カイルもいつもよりしつこかったから、バレてるならいっかなと思って軽い気持ちで本心ちょろっとチラ見せしたらね。なんとカイルが早退しました。
どゆこと? なんでなのん??
見せてって言われたから「しょうがないにゃぁ……」って渋々見せたのに、早退するとかありえなくない? 私の心は気分が悪くなるほど醜かったですかあーそうですか不愉快極まる。
これだから嫌なんだ。人に本心を晒すと大抵良い結果にはならないから。
もうね、この悲しみに包まれた心を癒せるのはお兄様しかいないねって思うじゃん? お兄様の熱い抱擁と優しい言葉で何も考えられないくらいデロンデロンに蕩かされたいよね。
そんな企みを持って、授業が終わったら速攻で屋敷に帰って来たというのに、肝心のお兄様は不在でした。
まあいるわけないよね。平日どころか休日だって働いてるような人だもんね。
もしかしたらいてくれないかなーって思ってたけど、世界はそこまで私に都合よくは出来ていなかったみたいだ。
まだ外は明るいし。きっとお兄様は今頃、また何処かで誰かを震え上がらせる程の辣腕を奮っていることだろうと思う。そんなお兄様も素敵なのでちょっと寂しいくらいノー問題。私もお兄様に震え上がらせてもらいたいな〜。
「お兄様って優しい声も素敵だけど真剣な声もいいんだよねぇ。ビシッとしてて、なんていうか、命令されたくなる声? 命令し慣れてる声? あの凛々しいお顔で『ソフィア、僕の命令に従ってもらおう』とか言われちゃったらどんな命令だって喜んで従っちゃうよね〜はあ〜〜尊い〜〜〜」
気分を紛らわす為に朝の訓練に使う木立の中を高速で飛び回りながらそんな妄想してたら、割りと本気でお兄様が恋しくなってきた。
ひーん、会いたいよう寂しいよう。お兄様ぁ、早く帰って来て私の心を癒してぇ。
――そんな油断の隙をつくように。
視界の端で小さな影が動いたと思った次の瞬間、視野外からの強襲を受けていた。右側頭部に強い衝撃!
「ぐっは」
視界がものすごいスピードでぐるんと回る。防御魔法なかったら頭吹っ飛んでるんじゃないかってくらい容赦ないな。
不意の一撃による混乱はすぐに立て直せたものの、勢いに乗っていた身体は私の制御を外れた。崩れた体勢は直せない。
猛スピードで眼前に迫る木の幹に対して、私のとった行動は――当然、回避!!
「ふぬぅっ! この程度で私をあわぁぁあああぁっっ!!」
タイミングを合わせて幹を掴み、減速と軌道修正を同時にしている最中、不自然に手が滑った。ぬるんと、ずるりんと、明らかに自然ではない感触を覚えると同時に、捕まる物を失った私の身体は哀れにも別の木の幹に強かに打ち付けられた。痛みは無いが、敗北感が割りとある……。
「ぐ、ううぅ〜……。フェルめぇ……」
敗者に相応しく地面に突っ伏していると、目の前にフェルとエッテが寄ってきた。
私の顔を「キュ?」「キュイッ?」と小首を傾げながら可愛らしく覗き込むと、「「キュ〜!」」仲良く元気にハイタッチ。何故わざわざ目の前に来てやった?
「はいはい、私の負けー。負けましたよー。油断してた私の負けですぅー」
てかフェルの一撃、普通に威力ありすぎだよね。
転ばされるのには注意してたのに、まさかエッテを使ったフェイントからの頭上強襲とか予想外もいいとこ。小型のままであの威力っておかしいでしょ。質量とかどうなってるんだホントにもう。
……まあ私が油断してたってのが、一番の敗因ではあるんだけどさ。
「はあ〜あ……久しぶりの大敗だなぁ……」
ごろんと転がり天を仰ぐ。
――やっぱり集中力が落ちてる気がする。
お兄様の魅力に現を抜かしてたって、普段ならあれくらいの奇襲は防げたはずだ。周囲への注意が疎かになっていたのはお兄様のせいではなく私のせい。意識してお兄様の事を考えていようとする無意識が、私から余裕を奪っていたのだと思う。
はぁん、辛いねー。気軽にお兄様を想うことすら出来ないなんて、ホントにホントにつらたんだねー。
だからやっぱり、この問題はそろそろ解決しておく必要があるだろうねー。
「ねぇ、二人とも……」
フェルとエッテに手を伸ばし。顎の下を、こしょこしょ〜。擽ってやれば、気持ち良さそうに目を細めた。うむ、かわいいねー。
「――頼りにしてるよ」
「キュウッ!」
「キュイッ!」
ふふ、良い返事だ。
最後の訓練として、身体強化と思考加速を一瞬で最大まで引き上げる練習を何度か行い、私達は屋敷へと戻った。
まずは汗を流して、アイテムボックスの中身を確認して、それから――リンゼちゃんに会いに行こうか。
私の悩みを、苦悩を、解決出来る方法を知っているかもしれない唯一の存在。創造神へと、連絡をつけてもらうために。
敵対する可能性は低いと思うけど、準備してしすぎるってこともないでしょ。
……脳裏に浮かんだ、今はもう、色褪せてしまった顔を振り払い。
私は私に出来ることをする為に、歩みを進めた。
フェルの特殊能力「強制的な転ばせ力」。
地面に着いた足はもちろん、支えにしている壁だろうと掴まっている木の枝だろうと、問答無用でスっ転ばす。
その時の滑った感触は、結構バリエーションがあるとかなんとか。




