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一日お菓子奉行


 休日とは、休む日である。「休む」、「日」と書いて、休日なのである。


 だがそれは、あくまでも一般的な認識に過ぎない。


 私にとっての今日という日は、そんな穏やかなものではなく……うーん、そうだなー。


 ――決戦の日。


 ……うん。ずっと待ち望んでいた決戦の日と呼ぶのが、相応しいのかもしれないね?



「これからマドレーヌを作ります。必要な材料は全て計算してきました。レシピに忠実に、材料を僅かたりとも無駄にすることのないようにしてください。よろしくお願いします」


 と、意気込んで開始した、待ちに待ったお菓子作り。


 結論から言おう。


 ――調理場が、使用人ホイホイと化した。


 焼き菓子ってさ。当たり前の話なんだけど、焼くじゃん? 焼いたら匂いが漂うじゃん?


 そしたら匂いに釣られて人が集まってくるのはもう自然の摂理ってもんだよね。


 あらかじめ彼女たちの分まで作ることにしておいて本当に良かった。この状況で「貴方達の分はありません!」なんてことになってたら、メイド達に暴動を起こされたって文句は言えない。


 多くの視線に見つめられながら焼き上がりを確かめていると、使用人達の集まっている辺りから「くきゅう」と可愛らしくお腹の鳴る音が響いた。その気持ちはホント、よく分かる。


 これも当たり前の話なんだけどさ。調理場にいる私達は匂いの発生源に一番近い位置にいるわけでさ。つまりは一番お腹を空かせているのは間違いなく私達だと思うんだよ。焼き始めた時点から身体中のあらゆる器官が「美味しそう、早く食べよう?」って訴えかけてくるんだよ。ヨダレが垂れないようにとか理由をつけて味見しちゃわないようにとか、色んな思考が頭の中を行き交ってて、もうね、堪んないの。冷静に作業するのがしんどいの。この匂いはもはや暴力ですよ。


 さっきから唾の分泌量も留まるところを知らないし、味わう瞬間を楽しみにし過ぎて身体がおかしくでもなったのかと疑いたくなるけど、でもきっと、私は正常なんだろうなと思える根拠がある。


 だって普通、焼き菓子をたった十分焼いただけでこれだけの人が集まりますか?


 四人っておかしいでしょ。屋内で一人で仕事してた人全員がここに集まってるレベルでしょこれ。仕事ほっぽり出して何してるんですか皆さん。あ、しかもソワレさんがアイラさん連れて戻ってきてるみたいだ。


 楽しみにしてくれてるのは嬉しいのだけど、揉め事を回避するため、この場で出来たてを手渡すことは出来ない。


 出来栄えを確認し、学院へ持っていく分と今日はお休みの使用人達の分をしっかりとラッピングしてアイテムボックスに保管してから、ようやく私達は食堂で試食会を行うという手筈になっているのだ。


 この日の為に、アネットには私のお小遣いで仕入れられる範囲で最高級の紅茶を用意するよう頼んでおいたし、お兄様には食堂のセッティングまでお願いした。ブラッドメイプルという人生で一度きりになるかもしれない素材を十全に味わう下準備は完璧に整えているのである。


「ソフィアー。やっぱりちょっとだけ食べてみちゃダメ?」


「ダメです!!」


 言葉より先に伸びていた手を反射的に叩いてしまった。


 いけない、ブラッドメイプルを提供してくれたお姉様に対して、私ったらなんてことを!!


 瞬間的に《思考加速》の魔法を発動し、叩いてしまった手を慌てて掴む。そのままぎゅっと握り込んで最接近。至近距離から、上目遣いで。


「気持ちは分かりますとてもよく分かります。この匂いの中で我慢し続けるだなんて拷問にも近い所業ですよね分かりますともお姉様。でもここに並んでいるのは全てが食べる相手が決まっている物なのです。余分なんてひとつもないんです。出来たてを食べたいと仰るお姉様のお気持ちを優先して差し上げたいのは山々ですが、ここでお姉様だけが先に食べてしまうと後ほど皆で食べる時にお姉様の分だけが用意できない事になってしまうのです。そうなると他の皆がお姉様を気にしてしまい、お菓子を味わうことに集中できなくなってしまう可能性が――」


「わ、わかったわよぅ。今食べるのは我慢するから、落ち着いて? ね?」


「分かって頂けたようで嬉しいです」


 え? お姉様がちょっと引いてるって?


 後でみんな揃って美味しく食べることに比べたら、この一瞬だけ変な目で見られるくらいなんともないね! むしろお菓子にかける情熱を知って貰えて良かったとすら思うね!!


 理詰めで意見を通す、この鍋奉行的な行いが好まれないとは知っている。だがしかし!


 鍋奉行とは、己が嫌われ役になってでも鍋を美味しく食べてもらうことを優先した滅私の人なのだ! 美味しさこそが正義なのだ! 私は鍋奉行を尊敬する!! 親切の押し売り? それがどうした、上等だあ!


「お姉様。食べたい時に食べるのも良いものですが、皆で同時に食べて、同時に感想を言い合うというのも良いものなんですよ。私はお姉様やお兄様とそうやって楽しく食べるのを、昨夜からずっと楽しみにしていたのです」


「お姉様が間違っていたわ。みんなで一緒に食べましょう」


 私ね、思うんだ。

 押し売りって相手が望むように誘導すれば、押し売りじゃ無くなるんじゃないかなって。


 お姉様を説得し、万難は排した。


 幸い人手もあることだし、一人ひと皿として、見た目も華やかにするのが良いだろう。


 ――ああ、いよいよ食べられるんだ。


 未知の味を知ったあの日から、今日という日をどれだけ待ち望んだことか。


 お皿を飾り立てる案を練りながら。


 私の心は、まるで初めての告白に臨む少女の様に、ドキドキと甘く高鳴っていた。


――自分の幸福を押し付けてはいけない。

自分の幸福を、相手の幸福にするのだ――


ばい、ソフィア・メルクリス

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