赤ちゃんとお兄様
「アジール〜。ほら、ソフィアおねえちゃんだよ〜」
「ふふ、なら僕はロランドお兄ちゃんになるのかな? ほら、アジール。君のお母さんの弟妹だよ。分かるかな?」
はぁん、幸せ。お兄様と赤ちゃんの世話する幸せよ。こんな幸せなことがあっていいのだろうか。
これが悪魔との契約によって得られた幸福なら、軽く命くらいは持っていかれそうな幸福度合いである。少なくとも先の羞恥心程度では釣り合いが取れないだろう。いやあれもかなり恥ずかしくはあったんだけど。
――お兄様の目の前で、お兄様のことを大絶賛する。
その所業は悶え狂うほどの羞恥が伴うものだった。
そこでソフィアさんは考えました。あまりにも恥ずかしくなったので考えました。「そうだ、当たり前のことを当たり前と言うことの何が恥ずかしいのか」と。そうです、お得意の自己暗示を掛けることにしたのです。
お兄様は素敵。お兄様は世界一。お兄様は理想の存在。
そんな当たり前のこと、わざわざ言葉にしたところで何を恥ずかしがることがあるのか。丸い亀を指して「亀は丸い」と言ったところで恥ずかしがる理由などないように、素敵なお兄様を指して「素敵なんです」と誇示することの何が恥ずかしいのか。むしろ恥ずかしがっている姿の方が恥ずかしい事に違いあるまい。
私は私を指してかわいいなどと言われると「でへへ、そーでしょ〜」って嬉しくなるけど、それは私が元は凡百の特徴のない顔をしていた過去があるからであって、正真正銘生まれた時から顔面偏差値カンスト組であるお兄様などに至っては、いくら褒められたところでそれらの言葉は酷く聞き慣れたもので「この人たちは何を当たり前のことを言っているんだろう」程度の認識でしかないのかもしれない。
つまり私の褒め言葉も必要以上の意味は認められず、あの場でお兄様が赤くなっていたのはきっとお兄様の素晴らしさを頑張って布教していた私がかわいらしすぎて思わず顔が赤くなるまで笑っていたとかそんな理由で……あれ、この結論は良くないな。じゃあえーとえーと……。……お兄様が赤くなっていたのは久し振りにお姉様と会えてはしゃぐ私を見てうっかりトキメいちゃったからに違いないね! もうっ、お兄様ってば、かわいいんだからっ!!
はい、という訳でね。姉に兄に妹と、兄弟姉妹が仲良く揃ったところでね。
現在、急にぐずりだしてしまったアジールくんをお兄様と二人、仲良くあやしているところなのであります。
ぶっちゃけお姉様が抱いた時点でもうほぼほぼ泣き止んでたんだけど、そんなのもうどうだっていい。
赤ちゃん、めっちゃかわいいです。
「お兄様、どうしましょう。アジールくんが私の指を離してくれないのですが」
「あはは。ソフィアのことが好きなのかもしれないね」
はふぅん! 不意打ちやっばい!!
お兄様の口から!! 頂きました!!! 「ソフィアのことが好き」!!!! 脳内でリフレインが止まんないっ!!
これもうなんなんだろうね。お兄様と二人で赤ちゃんあやしてさ。新婚夫婦ってこんな感じなのかなって思ったら今すぐお兄様と結婚しちゃった方がいいんじゃないかって気持ちにもなってきたよね。赤ちゃんもここにいるしね。
結婚する前に子供作っちゃうとかワルすぎない?
でもそんな困難も、お兄様とだったら余裕で乗り越えられる気しかしないんだけどねっ!
「えっと……ソフィア? アジールは私とロバートの子供なんだけど…………分かってるわよね?」
「? はい、分かってますよ」
お姉様は「そうよね」とひとり納得したように呟くと、アジールくんを抱いた腕を揺らし始めた。
すると、変化は劇的。
アジールくんの瞳は見る見るうちにトロリと蕩けたように彷徨いだし、ものの十数秒ですっかり愛らしい寝息を立てて眠りについてしまった。安心しきったような無垢な顔が実にかわいい。
そしてそんなアジールくんを見守るお姉様の表情も、愛情に満ちた、実に母親らしい優しげな表情だった。
「……安心したよ。お転婆だった姉上も、今や立派な母親だね」
「お転婆だったとはなによお」
お兄様がからかうように言えば、お姉様はぷくうと頬をふくらませて抗議する。そんな二人の様子を見て、わたしは思わず笑ってしまった。
「ふふっ、あはは! そうですよ、お兄様。お姉様は今でもきっとお転婆なままですよ?」
「えー!? ソフィアってば私の事そんなふうに見てたの!? ひどいわ!!」
「ふはっ! あはは、確かにそうだね! 姉上は確かに今でも――っ!」
っと、少し騒ぎすぎてしまったらしい。お姉様の腕の中にいるアジールが「うるさいぃ」と文句を言うように拳を振り上げたのを見て、私たちは会話を中断。そして互いの顔を見合せた後、くすくすと静かに笑いあう。
「……とりあえず移動しようか」
「そうね。この子も寝かせておきたいし」
「たくさんお話ししたいです」
――突然のお姉様の訪問に、ヨルの復活。
今日はいつもより楽しい気分で眠りにつけそうだと、そんなことを思った。
ソフィアの脳裏に「赤ちゃんを可愛がるお兄様超絶可愛い」という一文が追記されました。




