ヒースクリフ視点:本当のキミに
後の始末を任せて教室に戻ると、何やら楽しげな女子たちの話し声が聞こえてきた。
「カイルくんの――」
「ソフィアが――」
「恋の自覚を――」
言葉の断片と頑なに口を噤んだソフィアの様子。そして、机に伏せて我関せずを決め込んでいるカイルの様子を見て、ある程度の事情を悟った。
……羨ましいという感情がない訳では無い。
けれど、本当にそれを羨ましいと思うのなら、私には立ち止まっている余裕なんてない。
あの人の言う通り、本当の彼女はその背中すら見えない高みにいる。その瞳に映りたいと願うのなら、人と同じ努力程度では到底足りない。
魔法に長ける魔族の秘児。
自身も【剣姫】の二つ名を持つ【剣聖】の娘。
最近実力を伸ばしつつある【豪腕】の娘。
そして――近頃その才能を開花させた、騎士の息子。
彼女の周りにいる人物は、その誰もが絶世とも呼ぶべき才に溢れた子供たち。けれど、そんな彼ら彼女らですら、ソフィアの前では霞む。
だから私は侮った。
自身もまた、才に恵まれた存在だと思っていたから。
ソフィアは特別かもしれない。けれど、その下なら。彼らになら、届くかもしれない。
――それすらも過ぎた望みなのだと気付くのに時間はかからなかった。
努力は才に恵まれなかった存在の特権だと思っていた。そう思い上がっていた私は決定的に出遅れた。
努力を続ける才人達は止まらない。
現時点で十年分の差があるのなら、努力を続けたって差は縮まらない。広がっていた差をそれ以上広げないようにするだけで信じられない労力を要した。
……それでも、私は王族だから。
一度その世界を知ってしまったら、知らない頃の自分には戻れなかった。
剣聖の道場は強者の集まり。賢者の魔法理論は学院で学ぶものより遥かに難解で、同い歳で既にその高みに達している者が複数いるという状況でもなければ、私はとっくに投げ出していたことだろう。
そして何よりも、彼の存在。
特別な才に恵まれず。けれど努力だけで理想の自分を演じ続けるソフィアの実兄、ロランド。
彼が努力を続けた先にあるものを示し続けてくれたから、私は折れること無く愚直な努力を続けられる。
……まあ、それでも埋まるどころかますます開いていきそうな差に、時折弱音も零れるのだけどね。
真顔で耐えていたソフィアが破顔して崩れ落ちるのと同時に、囲む女子たちが賑やかさを増す。
その様子をこっそりと観察していたカイルに声を掛けた。
「覗き見は感心しないよ?」
「っ! ……なんだ、ヒースクリフ様じゃないですか。驚かせないでくださいよ……」
「ごめんごめん」
謝りながら、どうしても考えてしまう。
彼を驚かせられるのも、己の力にまだ慣れていない今の内だけなのだろうな、と。
「それより、私の事はヒースと呼んでくれと頼んだと思うけど?」
「学院では勘弁してください。女子に聞かれたら質問責めにされる……」
弱り切った顔は、なるほど。女子に人気があるというのも頷けるほど整っている。
ロランドとも何処か重なるその造形が、やはり彼女の好みなのだろうかと推察する私に、カイルがそっと息を潜めて問い掛けてきた。
「あの……なにかありました?」
「いや、何も起こってはいないよ。強いて言うなら、お姫様の護衛任務の進捗を聞きに来た、と言ったところかな」
「……あれはお姫様って柄じゃないでしょう」
言葉とは裏腹に、瞳に隠し切れていない優しさを忍ばせた少年は、友人に笑顔を提供している僕らのお姫様を見て苦笑する。
「そうかな? 少なくとも私には、本物の王女よりも魅力的に見えるけどね」
一歩引いて見ていれば、彼女の人心を操る能力には驚嘆する他ない。
剣術の授業の後、クラスにはどこか固さがあった。
普段生活を共にしているミュラーとカレンが、実は自分たちとは隔絶した存在なのだと突き付けられるような先の出来事。
そのまま放置すれば、仲違いとまではいかないまでも、クラスの中での扱いが今までとは変わってしまっただろうが……ああ、ほら。もう大丈夫そうだ。
ソフィアがカレンとミュラーを招き入れ、軽い調子で一声掛ければ、その集団に笑顔が咲く。その楽しげな様子を見ていた者たちもまた、知らず張っていた肩の力が抜けたような、柔らかな雰囲気へと変化する。教室内の空気がただ一人の意志によって塗り変わっていく様を見るのは圧巻だった。
こんな事は、王女にだってできやしない。
私が知る限り、そんな事ができるのは彼女の他にもう一人――王妃たる、私の母だけだ。
「そんなもんですか」
「そんなものだよ」
彼女が当たり前の顔をして成している事の凄さを、理解しているのか、いないのか。
いまいち何を考えているのか掴みにくい同僚の横顔を見ながら、彼の言葉を反芻する。
『ソフィアがこの世界にとってどれだけ大事か。理解していない者が多すぎる』
――ああ、本当にそうだ。
その考えに共感したからこそ、私は彼――ロランドに協力することを決意したんだ。
……彼女はまだ、私に心を許してはくれないだろう。それでも。
私は私にできる方法で、彼女を助ける力になる。
そうしていれば、いつか、きっと――
――その笑顔の裏に隠した、本当のキミに。少しは近付けると思うから――
ロランドお兄ちゃんは妹を売り込むのが上手い(褒め言葉)。
でも売り込む前に妹の魅力を理解していた王妃様にはちょっぴり警戒している(お兄ちゃんジェラシー)。




