お兄様のサプライズ
やることがある。やりたいことがある。
アネットともっとお喋りしたいし、リンゼちゃんとも話したいことがあるし、屋敷の皆にお土産を渡したりアイラさんに旅行の話を語ったりもしたい。
でもそんなのは、所詮いつでもできること。
朝食の席でお兄様に熱い視線で見つめられ、「ソフィア、僕に時間をくれないか?」なんて請われるのは、年に一回あるかどうかの希少事。それ即ち、何事にも優先される最重要事項にほかならない。
そう、デートである。
私はこれから、お兄様とデートするのである。
慈しみに満ちた優しい瞳で「ソフィアに見せたい場所があってね」と仰られた時のお兄様のあのお顔。楽しみ過ぎて、午前中は何をして過ごしていたかの記憶が無い。
けれど私は確信している。
全てをお兄様にお任せし、私はただお兄様の望まれるままに着いて行くだけで、天上にも勝る至福の時間を得られるだろうと確信しているッ!!
だって、お兄様に間違いはないから!! そして、お兄様がいるからッ!!!
「ソフィア。そろそろ行こうか」
「はいぃ♪」
お兄様にエスコートされ、我が家の家紋が入った馬車に乗り込む。
行き先はお花畑かな? それとも結婚式場かな??
お兄様に案内されるのなら、ソフィアは煮えたぎる地獄の釜にだって飛び込めますうぅぅ!!
ガタンガタンと実に常識的な範疇の揺れを感じているうちに辿り着いたのは、貴族街から程近い場所にある、今までに見たことの無い建物だった。
一言で表すなら……神殿。
あのあれ、あの丘の上にある有名な……なんだっけあれ。パルテノン神殿? みたいな感じ?
立ち並ぶ石柱に刻まれた、精美で過飾のない文様は、とても上品な美彩を放つ。
全てが穢れなき純白で統一されたその建物は、まるで神の坐す聖域のような存在感でそこに君臨していた。
そこ――つまりは中央広場と貴族街を繋ぐ大通りに、である。
両隣りの木造建築との差が酷い。サイズ差も酷い。
ついでに言えば生活感の差も激しいし何もかもが間違っていると思う。
まさかこの建物も私みたいに転移してきたのかな? あっははー、建物転生のお話は流石に読んだことなかったかなあ! なんて現実逃避をしている間に、お兄様は既に建物の入口で私を待つ体勢に入っていた。
「ソフィア、そろそろいいかな? 中に人を待たせているんだ」
「はい、ごめんなさいお兄様」
ああ、入ろう。中に入れるならすぐ入ろう。
明らかに周囲から浮いているこの建物への訪問者はやはり稀なのか、みるみるうちに人が集まってきていることには気付いていた。
家紋入りの馬車のおかげか、それともこの建物の威容のおかげか。野次馬が近づいてくる気配はないけれども、ジロジロと注視され続ける不快さに変わりはない。
私は視線から逃げるようにお兄様の元へと歩を早めた。
ギィ……、バタン…………。
扉の閉まる音が静謐な空間に響く。
天井高くから差し込む僅かな光と壁に掛けられた燭台の明かりだけが頼りなく揺れる広い建物の中。お兄様に手を引かれながら、まるで教会のようにいくつも並ぶ長椅子の間を、奥へ奥へと進んでゆく。
コツ、コツ、と二人分の足音だけが聞こえる広い密室。
ここで私は何をされてしまうんだろうか。やはり神前婚だろうか。いや、この程よい暗さはむしろ体育倉庫的なドキドキ要素を含んでいるか……?
そんな不埒な事を考えていた私は、その異変に気付くのが遅れてしまった。
ふふ、ふふふふふふ……
どこからともなく聞こえてきたのは、子供のようでありながら、どこか大人のようにも聞こえる謎の声。やたらと反響しているせいで判別は難しいが、少なくとも男性の声ではないと思う。
ちらりと傍らに立つお兄様へと視線をやると、お兄様はとても愉しそうな顔で正面にある祭壇の方を見つめていた。その顔に驚きの色は見受けられない。
とりあえず、「きゃー怖い! お兄様たすけてぇ!」と飛びつくのが正解ではなさそうな雰囲気だった。
ふむ。ホラーではない。
となるとこれは、何かの演目だろうか。
足を止めたお兄様に倣い、私も気楽な気持ちで正面を眺める。
これから何が始まるのだろうか。
期待する私に応えるように、その光は現れた。
「世界に光が生まれ落ちた!!」
パッと生まれた光球の魔法。それと同時に響いたのは、可愛らしい女の子の声。
めちゃくちゃ聞き覚えのある声に遅れて影が揺れると、光球の光に当てられて伸びた影が、祭壇の奥に五つの人影を形作った。
「「「「我ら、その光を守護する者なり!!」」」」
「な、なりぃ……」
ビシィッ!! とポーズを決める四つの影。と、若干へっぴり腰の影がひとつ。
合わせるのが遅れた声は小さいながらもとてもよく建物の中に響き、「あうぅ……」という声と共に影がひとつ、崩れ落ちた。
「おいっ。大丈夫か、ヴァレリー」
「まだ途中よ、喋らないで!」
「其の名は神殿騎士団!!!」
「ネムはえぇよ!」
「ふえぇ……」
聞き覚えのある五つの声がコソコソと囁き合う。
もう、ぐだぐだだった。
実は案内した本人も想定していない謎の演目。
お兄ちゃんは妹の前で格好付けるのに精一杯です。




