記憶に残る再会
長い旅路の終わり。それは、魂の解放を意味する。
不安定な馬上から解放される時を思い、私は身体のコリを解しながら、心からの言葉を吐き出した。
「ここまで、長かった……」
「そうか? ソフィアは馬車に乗ってる間ずっと眠ってただろう」
懐かしの我が家を前にしみじみと感慨に耽っていた私を、情緒というものを解さないお父様の言葉が容赦なく現実へと叩き落とす。
……眠ってたって、長かったよ?
ついそんな感想を抱いてしまうものの、今の私は乙女モードの真っ最中。
お父様と正論バトルをして言い負かすような心の余裕も時間の余裕もないのであった。さっさと続きしよ。
――私はまたひとつ、ふう、と意味深なため息を吐いて、物憂げな顔を作りながら視線をついと上げた。
その瞳が映すのは空を往く鳥ではない。とある日の自分の姿だ。
今の私を形作る、様々な経験という名の思い出を、私は幻視していたのだった。
「道中、様々な困難があった……」
そう、決して平坦な道ではなかった。苦労も挫折もあった。
目を閉じればまぶたの裏に蘇る記憶の数々。
その中でも真っ先に思い起こされたのは、やはり――。
「ところでソフィア、本当にどこも痛まないのか? 初めて馬に乗ったら普通、あちこちの皮が破けてべろべろになるものなんだが……」
「ちょっ、本当に大丈夫ですからおしり撫でないでください! お母様に言いつけますよ!?」
うひょうっ、急に触ったらびっくりするじゃないか!
今使ってる防御魔法、下方向からの衝撃は殆ど吸収するけど背中の守りは腰までしか入ってないんだからね!?
突然の刺激に思考を中断し、すぐさまお父様の手を払い除ける。
感覚がないからこそ、「下半身に手を入れられている」という状況は私の生理的嫌悪感を刺激した。
「そんな大げさに嫌がらなくても……。身体の心配をしただけじゃないか……」
心配したからっていきなりおしりを撫で回さないでください! 撫で方がえっちぃんですよっ、まったくもうっ!
あー、もー……これはダメだ。お父様がいるとシリアスな導入が全くもって成立しない。
そればかりか、帰りの道中で少し長く素の状態で喋りすぎたせいか、お父様の私に対する対応がやや杜撰になってきている気がする。これはよくない兆候ではなかろーか。
本来ならフォローの為にお父様に媚びまくって思考をぐずぐずに溶かしてあげたりするところなんだけど、でも今はそんなことよりも先にお兄様に会いたい。何よりも先にお兄様との感動的な再開を果たしておきたい。
不慮の事故が重なり地味に予定時間が伸びまくっている為、既に私の我慢は限界すれすれだったりする。
余所事を考えたりお父様とお喋りしていなければ文句が止まらなくなりそうな程度にはお兄様分が不足しまくっていて、このままではお兄様と一晩を共にしなければ明日からの行動にも支障をきたすかも知れないほどに私の精神がお兄様を求めている。飢え飢えお兄様失調症の一歩手前である。
植物が生きるのに光が必要なように、妹が生きるためにはお兄様が必要だからね。仕方ないね。
なのでいよいよ屋敷の入口に辿り着いた時、私がその行動を取ったのは必然だと言えよう。
身長よりも高い馬。
その背から、よいしょと頑張って飛び降りて、疲労からか若干ふらつく足取りのまま扉の前へ。
使用人が開けてくれた扉の隙間から、中が見えるようになると同時――。
「ただいま戻りました!」
ババーン! と手を突き出したポーズで仁王立ち。
さあ、迎えよ!
酔いにも負けずお兄様不足にも負けず、無事の帰還を果たした私の事をさあ讃えよと久方振りの我が家の中を見回してみれば、その玄関ホールは出立前とは明らかに様相が異なっていた。
様相、っていうか、雰囲気というか……。
有り体に言えば、見たことの無い人が何人も家の中を行き交っていた。
入る家、間違えたかな?
「ソフィア、おかえり」
「お兄様……ッ!! ただいま戻りました!!!」
間違えてない!! ここは我が家だ!! お兄様と私の愛の巣だ!!!
階段の上に姿を表したお兄様目掛けて一直線に突き進もうとした私の足が、ガッ、と反対の足に勢いよく衝突した。一言で言えば蹴つまづいた。ずべしゃあと実に良い音を立てて倒れ込むと、お兄様の慌てる声が私の耳に届く。私はゆっくりと状況を理解した。
……私は、お兄様の見ている前で、床との熱い接吻を交わしてしまったようだ。
「ソフィア、大丈夫かい!?」
恥ずかしさのあまりぷるぷると震えるばかりで、横たわった体勢のまま、もう顔を上げることさえできない。
………………あの、一つだけ遺言、いいかな?
お兄様との再会は、もっと感動的な、熱い抱擁的なのが良かった……よ…………。
ガクリ。
酔い→回復のコンボに慣れない馬上。周囲の視線を気にしながらの魔法行使。
ソフィアさん、自分で思っていた以上にお疲れだったようです。




