お馬さんこわい
貴族は普通、馬に乗れるらしい。
らしい、と前置きをしたように、私は乗馬の技術を習得してはいない。より正確に言うのなら、習わせてもらえなかった。
だから、私は知らなかったんだ。
乗馬というのは、その華やかな見た目とは裏腹に、地味な努力と大変な忍耐が必要とされるものなのだと――。
王都便。特別急行、お父様号。
お兄様の待つ屋敷へと一刻も早く帰るため、お父様に抱きかかえられながら馬に揺られること一時間。
私はすっかりお父様を尊敬するようになっていた。
……いや、お父様だけじゃない。
エンデッタさんに、騎士の人たち。
馬に乗れるありとあらゆる人たちに対して、私は今までにない、畏敬の念を覚えるようになったのだった。
馬乗れる人ってすごーい。とってもとってもすんごーい!
世の中には「面の皮が厚い」って諺があるけども、これからは忍耐力のある人の事を「尻の皮が厚い」と表現するのはどうだろうか。とてもわかりやすい諺じゃないかと思うのだけど!
「お父様って、とってもおしりの皮が厚いんですね!」
「お尻とか言うな」
我慢できずに出来たてホヤホヤの諺で褒めてみたら、評価以前の問題だった。突然の発言内容に戸惑うどころか秒速で言葉遣いを窘められる。こんな反応は想定外だ。
ただまあ、不評だったことだけはよく分かった。
ふーむ。言葉遣い、言い方か。
確かに一般的に使われる諺には性的なものを感じさせる要素が少ないかもしれない。それを踏まえて考えれば、「おしり」という単語は仄かな性を感じさせる……かなぁ。むしろかわいい言い方だと思うのだけど。
しかしそうなると、代案としては……。
私は言葉を吟味し、再度お父様を褒めたたえた。
「お父様は、臀部がとてもぶ厚いんですね!」
「……ソフィア、どうした? もしかして疲れたのか?」
言い方が問題ならと上品な言い回しにしてみたのだが、今度は体調の心配をされてしまった。ほわーい?
まあね。疲れてるか疲れてないかで言えば、疲れてるけどね。
ありがたい防御魔法のお陰でダメージは遮断できてるとはいえ、精神的な疲労は溜まるからね。
馬の背中は馬車と比べておしりへの攻撃力が段違いに高い。
もちろん魔法的な防御を施している私にとっては攻撃力の差など関係ないが、それはあくまでも肉体に影響がないということであって、精神的には差異が出る。
どーせ防げるからって眼球に向かって何度も針突き出されたらどう思う? 心は多少疲弊するよね。
同じノーダメージでも眼球に向かってマシュマロ投げ続けられる方がまだ精神的にはマシだという話だ。
そして私は、その守りに頼りきっているので、もし防げなかった時の事とか考えません。
だからこそ私はお父様と一緒の馬に乗ることを選んだ。
体格や性別だけを判断基準にするのなら、私を乗せるのはエンデッタさん以外にありえない。
けれどその場合、私はエンデッタさんにバレないような慎重を期した魔法しか使うことを許されず、下手をすれば魔法的に無防備な状態での乗馬を強要されていた可能性すらあった。そしてその場合、馬車での移動以上に凄惨で壮絶な未来が待ち受けていたことだろう。
……馬に乗ったあと、ちょっとだけ防御魔法を切ってみた私には容易に分かる。
乗馬というのは、粗雑な馬車なんかとは比べ物にならないほどに臀部を破壊することに特化した、極悪非道の拷問装置である。
特にあの鞍がね。もう凶器だよねヤバいよね。
馬の背に取り付けられた本来乗馬を補助する為にあるはずの道具が、二人乗りという環境下においては立派な武器へと変貌することを、私は初めて知りました。
間に厚手の布を折り畳んで挟んでるのに、すごいよあれ。あ れね、尾てい骨用のヤスリだよ。ずっと座ってたら冗談じゃなくおしりが削れる。おしりに穴が増えちゃうよ。
だから私はね、お父様と馬に乗りながら周囲を観察して、本気の本気で思ったの。
防御魔法無しで馬乗ってる人スゴすぎる、って。
鞍が攻撃してくるのは座る場所が悪かったって分かる。分かるけど、でも座面だって材質同じじゃん。固いじゃん。それが馬の動きに合わせて突き上げてくるんだよ? 痛くないわけないじゃん?
実際鞍の代わりに布を敷いた私の場合だけど……無理よ? 無理。十秒と持たなかったよ、衝撃を直で受け止めるの。
すぐに防御魔法を発動して衝撃を受け流す層を作ったけど、それでもしばらくはおしり痛かったからね。アザになったかと思ったくらいよ。
そんな貧弱な私からしたら、馬に乗れる人のおしりはみんな、既に壊れてるんじゃないかと思いました。
「ソフィア、やっぱり調子が悪いんだろう? また寝ててもいいぞ?」
「落ちたら怖いのでいいです」
正確に私の不調を言い当てたお父様にすげなく返事をして、また酔いを改善する魔法を発動した。
起きてるから、頑張って起きてるから、もう少しだけくだらない話の相手になってやってください。
そう心の中で唱えながら、私は再度視線を上げる。
王都までは、あと僅かだ。
背後には父。腰に当たるは固い何か。
「はっ!これはまさか!!」
その直後、馬の揺れでガツンガツンと臀部を強打され、アホな考えは吹き飛んだそうな。




