アイリス視点:ソフィアのいない日
ソフィアが何日も家にいないというのは、考えてみれば初めてのことだった。
子供というのは普通、成長と共に落ち着いていく。
泣いて、笑って、考えて。
することが増えて、出来る事が増えて、やっていい事と悪い事の分別をつけ、行動する前に考えるという工程を挟むようになってくる。それが成長するということでもある。
でも、ソフィアは違う。
ソフィアの場合はむしろ逆で、歳を経る毎に思考が幼くなっているのではないかと思う時がある。
ソフィアはあまりにも大人しい子供だった。
赤子の時から泣く事が極端に少なく、笑う事すら稀だった。
興味を示す対象もアリシアやロランドとはまるで違っていて、経験豊富な乳母に頼らず自分の手で育てようと思ったのが間違いだったのではないかと悩んだ事も一度や二度では済まない。それでも、愛情だけは惜しみなく注いできたつもりだ。
幼少期に起きたとある一件を経て、ようやくソフィアが異常を持って産まれてきた子などではなく、生まれつき格段に優秀なだけなのだと理解した時は、深い安堵と共に重い責任感が圧しかかってくるのを感じたものだ。
――私にこの子を、正しく育てられるだろうか。
そんな私の心配をよそに、ソフィアは健やかに成長してくれた。
……本当に、別の意味で心配になる程、元気に。……ふう。
子供というのは普通、成長と共に落ち着いていくものだ。
だというのに、ソフィアは成長するにつれ落ち着くどころか、逆に落ち着きを失っていく。
新しい魔法の試射は失敗を繰り返す毎に何故か被害の規模が大きくなっていくし、少し目を離すだけで国の端まで一人で赴いて「お土産です!」なんて笑顔で魚を見せ付けたりしてくるし、挙句には女神様を従者としてアゴで使い、かと思えば神を監禁? 別の女神様も何故か私を訪ねてきたりと、もう何が何だか分からないという状況がとめどなく流れてゆく。
本当に、ソフィアといると落ち着く暇がない。
身体も心も疲れていると感じる暇がないほどに忙しない日々なのだ。
だからこそ、ソフィアが数日家を空けるというこの機会に少しは休めるかもしれない……などと考えていたのだけれど。
私は今日も落ち着かない。
むしろソフィアが家にいる時よりも、心身の疲労は上であるかもしれなかった。
さっきだって、報告書をまとめるだけという簡単な作業に、普段の倍近い時間がかかっている。
これは普段の私からは考えられない効率の悪さで、流石にこれではいけないと判断したからこそ姉を部屋へと誘いこうして息抜きをしている訳なのだけど、正直なところ、あまり効果はなかったように思う。
結局、ソフィアが何処に居ようと関係がないのだ。
あの子が何処にいたところで変わりはなく、そこでまた、何かとんでもない事をしているのではないかと気を揉むことを止められない。
それが、私の不調の原因だった。
「アイリス、少しは落ち着きなさいよ。今のあなた、見ていて面白すぎるわよ」
姉にそう声を掛けられて、私は自分がまた立ち上がってしまっていることに気がついた。
おかしい。さっきまで座っていたはずなのに。
なんでもない、と誤魔化すように椅子に座り直し、落ち着く為にと紅茶のカップを口元に運ぶ。
けれど、喉が欲した琥珀色の液体は流れてこない。
不思議に思ってカップを覗けば、そこには陶磁の白があるだけだった。
「あは、あはははは!! や、やめてよアイリス! あなたそれ、今日だけで二回目よ!?」
カッと頬に熱が集まるのが分かる。
確かに、確かに呆れられても仕方の無い間抜けな行動だったかもしれない。でもそれにしたって笑いすぎではないだろうか。
「少しうっかりしていただけよ」
「そうよねー。アイリスはソフィアちゃんのことで頭がいっぱいなのよねー?」
笑いを堪えきれないと、肩を震わせながらなおも揶揄ってくる姉に対し、私は不満げな顔を隠さずに反論する。
「ソフィアがまた何がしでかしていたらその後の処理が大変そうだと、頭が痛くなっていただけの事です」
そうだ。あの子が何をするかは本当に想像がつかなくて、またその対処に追われるかと思うと今から気疲れしてしまうという、これはそれだけの話でしかない。
けれども姉は、そう主張する私を見て、また呆れたように嘆息をするのだ。
「あのね……それを普通は、心配してるって言うのよ」
本当に素直じゃないんだから、という心の声が聞こえた気がして、私はいよいよ姉の顔を見れなくなった。
……ええ、そうよ。私はソフィアの事を心配してるの。
でもそれも当然でしょう? あの子は本当に、驚く程に常識がないのよ!?
長年あの子の近くにいた私は知っている。
ソフィアは頭は良いのに行動に脈絡がない。「何故そうなるの!?」と叫びたくなった事は数えきれない。
……やっぱりソフィアが帰ってきた時、すぐ動けるようにしておくべきね。
その結論に至った私は、未だ私を見てにやにやしている姉を追い出して、仕事の続きへと取り掛かるのだった。
「前々から感じてはいたんだけど……私の妹、ちょっと可愛すぎないかしら」




