アイラ視点:妹の愛娘
アイリスの屋敷で過ごすようになってから。
そしてなにより、自由に動き回れるようになってから、それなりの時間が過ぎて。
わたしもこの家に大分慣れてきたと思う。
……家に慣れたというよりも、ソフィアちゃんに慣れたと言うべきかしら?
この家の中心。みんなに愛された可愛らしい少女。
あの子は行動のひとつひとつが予想外に満ちていて、出会った時から驚きの連続だった。
初めはとんだお転婆ちゃんで、アイリスは大変ね、なんて思っていたのだけれど……彼女のことを知る度に、その認識すらも次々と塗り替えられていった。
彼女と話をして。彼女の魔法のことを知って。彼女の育ってきた環境を知って。
あの子はあの歳の割に幼く見える容姿以上に、まだ精神が子供なのだと理解した。
「その事をアイリスと話したいと思っていたのに……アイリスったら、こんな時間に何処へ行ったのかしら」
歩き慣れてきたとはいえ夜にもなると見える風景は変わる。
夜特有の不安感を独り言で紛らわせながら、目的地を定めないまま廊下を歩く。
……部屋にいないとしたら、何処へ行けばいいのかしら。
アイリスは気の許せる妹ではあるけれど、妹の嫁ぎ先にずっと平気な顔で居座っていられるほど私の神経は図太くはない。
だからせめてもの恩返しとして、娘との関係に悩むアイリスの手助けをしようと思い立ち、最近は色々頑張っているのだけど。
「もしかして食堂かしら? いくら結婚してるからって、ヤケ食いばかりしてると旦那さんに呆れられちゃうわよ〜、っと……あら?」
アイリスの行動を予測しようとして、私が眠りに着く前の、まだアイリスが私よりも小さかった頃のとある出来事を思い出す。
男性にあまり良い印象を持っていなかった昔のアイリスを懐かしみながら歩いていると、ある扉の前で使用人が周囲を見張るようにして立っているのを見つけた。
「こんばんわ。アイリスを探しているのだけれど、どこにいるかご存知ないかしら?」
声を掛ければ、予想通り。アイリスは中にいたらしい。
すぐに通された部屋の中にはアイリスだけではなく、ソフィアちゃんを除く成人済みのアイリスの家族が揃って共にグラスを傾けていた。
「あら、お酒? いいわね」
「姉さんの分も用意するわ。……その代わり、ソフィアには黙っていて貰えないかしら」
追加で用意された椅子に少し迷ってから座り、苦笑しつつ頷きを返す。
確かにあの子がこの集まりのことを知ったら、自分だけが仲間外れにされたと拗ねてしまいそうだ。
「って、そうそう。そのソフィアちゃんの事を話そうと思って探してたのよ」
ポンと手を合わせアイリスへと視線を向ける。
家族の団欒に割り込むのは気が引けたけれど、アイリスの旦那さんとその息子のロランドくんは特に気分を害した様子もなく、快く話の主導権を譲ってくれた。
そして昼にソフィアちゃんと話していて感じた懸念を話せば、ちょうどアイリスも同じことを考えていたようで、私の言いたい事は全て分かっているとばかりに頷く。
「そうね。確かにソフィアには伝えていない事も多いけれど、それもあの子の事を考えて……と、これが良くなかったのかもしれないわね」
「そうよ〜。アイリスはもっとソフィアちゃんと会話をするべきだと思うわ」
私の目には、二人がお互いを大切に想い合っているのは確かな事だと感じられる。そしてボタンを掛け違えたみたいに、少しだけ何かがズレたまま、噛み合ってしまっているのだ。
「そもそもなんでソフィアちゃんには私にしてくれたような話をしていないの? アイリスたちがソフィアちゃんを守る為にしていたことは……それは、自分から誇示するような事ではないでしょうけど。それでも話す機会はいくらでも――」
「ないんですよ」
ピシャリ、と。
話す機会はいくらでもあったでしょう? と、そう続けようとした言葉を、それまで私とアイリスの話をにこやかに聞いていたロランドくんが突然、強い口調で断ち切った。
「失礼しました。……アイラさんはまだ、ソフィアの事を理解しきれていないみたいですね」
そう語る彼は、それがとても誇らしい事であるかのように断言する。
……これが、いつもにこやかな彼の素顔?
自然と浮かんだそんな感想も、続く彼の言葉に流されていく。
「僕達がどれだけ隠し事をしようと、ソフィアが望めば隠し通せません。ソフィアにはそれだけの力がある」
それが、厳然たる事実なのだと。
当たり前の事をただ述べるように。
彼は確信に満ちた、けれど同時に、やり切れない想いの滲む切なる言葉を重ねた。
「それなのに、ソフィアが僕達の行いを知らない。いえ、知ろうとしないのは……僕達がそれを望んでいると、そうソフィアに思わせてしまったからなんですよ」
――私は大きな思い違いをしていた。
アイリスが「良くなかった」と言ったのは、ソフィアちゃんに隠し事をしたことではなかった。
ソフィアちゃんに隠し事をしようとした事。
それが、彼らの言う過去の過ちだったのだと気付いた。
一方、その頃のソフィアは。
「さあーリンゼちゃんには知ってる事を洗いざらい吐いてもらおうかなっ!もし隠そうとしたら、またくすぐり責めで……くふっ、ふふふふふ!!」
元気いっぱい、非のない少女を辱める妄想に勤しんでいた……。




