催眠術の魔力
大変なことに気付いた。
お兄様が、私の使う魔法を使えるようになりたいって言うから、協力する事にしたんだけど……。
大変なことに気付いた。
大事な事なので何回でも言っちゃう。大変なことに気付いた!!
ご存知の通り、私の魔法は信じる心がいちばん大事。
「そんなことできるわけない!」とか「私には無理かも……」みたいな後ろ向きなイメージはノーサンキュー。
傲慢で現実知らずなくらいの強い思い込みで「は? 私に出来なかったら誰にできるの? むしろ私に使われる為に生まれた魔法でしょ?」と出来ること前提で考えるのが成功の秘訣だ。
でも、それって案外難しいらしくてね。
お兄様も案の定、まずはってことで選んだ《念話》の魔法すら使えるようにはならなかった。
……さて。
問題は、ここからです。
私はお兄様に協力すると約束しました。お兄様は自力での魔法の習得に失敗しました。
すると、次は私が協力しての練習になる訳だよね。
私が協力するとなれば、当然、お兄様が魔法を習得するのに最善を尽くすよね。
……………………で、さ。
……最善を尽くすなら、やっぱり使うよね。催眠術でのブロック解除。
お兄様の潜在意識に働きかけて、「僕にもソフィアと同じ魔法が使える」という常識を刻み込む。そうする事で「出来ないことをやる」という意識を「出来るからやる」に変える。
これが最善。私にできる最善。
論理的に導き出された、私にできる最善の協力方法。
……まあ、つまりだね。
――今のお兄様、被催眠状態なんだよね。
用意してもらった椅子に腰かけて、暖かな陽射しを浴びながら穏やかな表情をしているお兄様は、精神的に全く無防備なノーガード状態。似るなり焼くなり好きにできちゃう幸運な調理師が私。
つまりつまり、いま私がちょっと魔が差したりなんかしちゃったりしたら、お兄様を私の愛の奴隷にすることも可能だし毎日朝晩「好きだよ」って挨拶するのが常識って刷り込むこともできるし私への愛を暴走させて獣のように激しく求められちゃったりするような状態にする事すら可能なのだうわぁーなんてこったい!
どうしようこれなんて禁断の果実?
据え膳食わぬは女の恥になるでしょーか?
お兄様の信頼とか倫理とか自制とか理性とかがぐっちゃぐちゃになって割と深刻なレベルで胸が苦しいけど、私はこのお兄様をどうしちゃえばいいんだろうか。どうにでもしちゃえるという事実がもう胸が張り裂けそうなくらいキツい。
だってほら、見てよお兄様のこの無垢な寝顔を。男の人なのに女の子みたいにかわいい顔を。
これ実は誘ってるんじゃね? と思うくらいには美味しそ……魅力的、うん、魅力的な表情で、私がイタズラするなんてこれっぽっちも考えてない無防備さで……ああぁ、緊張のし過ぎで死ぬぅ。
前世の痴漢どもが揃って口にしてた「誘うような格好してる方が悪い」とかいう学校指定の制服を着てただけの善良なる学生に対するふざけた主張も、今なら少しだけ気持ちが分かる。これは視力への暴力だ。
ただ気持ちだけなら少しは分かったけど、やっぱどー考えても悪いのは被害者じゃなくて我慢できなくなった加害者の方だし、つーかたとえ我慢が効かなくなったとしたって被害者に責任転嫁するとか言語道断。
「あまりにも綺麗だったから」的な一言もなく、己が欲望に負けたことをさも人のせいのように振る舞うその腐った性根は更生の余地なくクズ痴漢として人生終了して然るべきだし、あのくそハゲは世の女性たちの安全の為に一生逮捕されてればいいと思う。
……いや、違うの。私が昔に遭った痴漢の話がしたいんじゃなくて。
この無防備な寝顔を晒した表情で、メイプルシロップをたっぷりとかけたパンケーキの如く強烈な甘い誘惑を仕掛けてくるお兄様に対して、私が取るべき行動をだね……。
「……ごくり」
いやごくりじゃなくて。
確かに艶々ふるんっとした唇は本当にメイプルシロップの味がするんじゃないかとかちょっと思ったけどそうじゃなくて。
お兄様は私を信頼してその身を委ねてくれた。なら私もお兄様に身を委ねるのが妹として当然の――ってそうでもなくて!
「……貴方は今、とても気持ちが良い」
「温かく、心安らぐこの空間はとても居心地が良い。とても穏やかでいられる。聞こえる言葉もとても耳に心地いい。ずっと聞いていたくなる」
他者への催眠。
その危険性と有効性を十分に知りつつ、私は。
「貴方は、私の言葉を、素直に受け入れる事が出来る」
「私の言葉が真実だと、疑いなく信じられる」
お兄様に、ついに催眠で意識の変革を――ってちょっと待って。
あれ、あのちょっと、お兄様これ本気で寝てない? これレム睡眠通り越してノンレムじゃない?
確認する為に「右手だけが軽くなっていく。段々と浮き上がって……」とかやっても反応無し。私の言葉も聞こえない深い睡眠状態に入ってる。
……ちょっと動揺する時間が長すぎたかもしれないね!
仕方がないので、お兄様が起きるまで寝顔を堪能させてもらったりした。
とても有意義な時間でした。
妄想は一丁前でも現実ではチキンなソフィアさん。
実現できない事だからこそ妄想が過激になるのかもしれませんね。




