アドラス視点:隠れ里の賢者
――災厄の魔物が現れた。
あらゆる生物を駆逐し世界に絶望を撒き散らす甚大なる悪意の集合体。
遥かな昔に魔族の王が勇士達と共に挑むも、かの魔物が持つ悪意を撒き散らす特性により、近づくことすら叶わず。
後の王は之を天災だと判断し、以後災厄の魔物に関わることを全ての魔族に禁じた。
それから、魔族は隠れ住むようになり。
里は縮小の一途を辿っている。
……魔族が衰退への道を歩む事になった元凶。
災厄の魔物が、今頃は王都を蹂躙しているのだろう。
人類を、文明を、全てを破壊し尽くして。
平和な時代は、終焉を迎えたのだろうな……。
「……仕方の無いことだ」
そう、分かってはいても。
本当に何も出来る事はなかったのかと。繰り返し考えてしまう。
どうしても、考えてしまうのだ。
――今代の請願魔法ならば、あるいは、と。
……馬鹿げた話だ。
その力を持っていたと言われる当時の王ですら戦いにもならなかったというのに。
今更、たった一つの魔法で敵うはずなど……。
……ふふふ。
敵うはずなどない、か。
この決め付けが請願魔法を扱えぬ理由だと、分かってはいるのだがな……。
かの魔法との適性が著しく秀でている弟子への羨望が禁じ得ない。
私にもその魔法を扱う才さえあれば、と。
私に、その力さえあれば――
――ドタドタドタッ!
自身の思考に深く沈み込もうとしていた正にその時。
「先生ー! 先生、いらっしゃいますかー!?」
愛すべき静寂を蹂躙する足音が響いてきた。
その声を聞いて、私は深く嘆息する。
――ああ、またか、と。
どうやら私には、無為なる思索に費やす時間すら満足に与えられないらしい。
扉が開く前に魔道具を満載した鞄を掴み、外へ出る用意を整えた。
「先生っ! また、ネフィリム様が!」
「分かっている。何処だ」
ネフィリム。私の唯一の正弟子。
今代の魔王にして唯一の請願魔法の使い手。
……そして、動く度に問題を発生させる、安寧とは真逆の存在だ。
「それが、ビーニ雪山の……」
「ビーニだと!? 何故そんな所へ行かせた!?」
ビーニ……、まさか、ホッケか!?
食い物に釣られて危地に飛び込むとは、奴は獣かっ!
「い、行かせてませんって! 勝手に行っちゃったんですよぉ〜!」
「それを止めるのがお前の……ッ! くっ!」
問答をしている時間さえ惜しい。
ビーニ雪山はただでさえ大型の魔物が発生しやすい土地だ。
災厄の魔物が現れた影響でもしも大量発生なんぞが起きていれば、いくら魔法に長けたネフィリムとはいえ……!
「急ぐぞ!」
「はいっ!」
本当に、何故ネフィリムのような思考力に劣る者にしか請願魔法が扱えないのか……理解に苦しむ!!
◇◇◇
幸いにして、ネフィリムは無事に保護できた。
「ホッケ! お座り! お座りしてー!」
「――――!!」
……何故か首輪を付けた魔物と一緒に居たが。
首輪に魔力を封じる加工を頼んできたのはこの為か?
しかし、首輪を着けられる程の余裕があるのならば滅ぼすのも容易だろうに。何故トドメを刺さないのか。
……まさか甚振る目的か?
子供は残酷とはいうが、わざわざ危険な魔物でやらせる必要もあるまい。
処分しようと魔法を唱え始めると、ネフィリムの強い非難を受けた。
「ダメ! ホッケ殺しちゃダメなの!」
「ん?」
なんだ、まさかホッケというのはこの魔物の名前か? ホッケとは似ても似つかないが……。
ギャンギャン喚くネフィリムの話を要約するに、どうやらネフィリムは、学院の友人が連れていた元魔物だという生き物に強い憧れを抱き、自身もペットとして魔物を飼いたいと思ったのだそうだ。
何処の馬鹿が魔物などペットにしているのかと思えば、私も知っている相手であった。
あの性悪娘か。
「ソフィアのフェルはね、すっごくかしこいの! エッテはやさしくてね、頭をちょんって、すりすりーってしてきてね!」
「――――!!」
ふむ、ネフィリムが魔物を押さえつけている力は《加護》か? それとも……。
意識を逸らしていても効果が弱まらないのは中々だな。
それにしても、あのソフィアという娘。少々ネフィリムに与える影響が大きすぎるような気がする。
請願魔法にも似た魔法で人形を遠隔で操作するという芸当には驚きもしたが、まさか魔物をペットとして弄ぶまでの人形趣味だとは思わなかった。
請願魔法は頭の弱い女児にしか発現しないのか? だとすると、成長したら魔法は使えなくなる……?
「あーーーーっ!!」
ネフィリムの叫びに顔を上げると、ホッケと呼ばれていた魔物が首輪の戒めを抜けて逃げ出すのが見えた。
「こうなるのが自然だ」
そもそもが無理な話なのだ。意志のない魔物をペットになど。
逃げた魔物の後ろ姿に炎弾を打ち込み、焼却しておく。
「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
魔法の炎で焼かれる魔物を見て絶叫を上げる弟子の声に、雪山に隠れ潜んでいた鳥が疎らに飛び立つ姿が見えた。
――この冬が明ける頃には。
世界に人は、どれだけ残っているのだろうか――。
何でも知っていると有名な賢者様は、弟子と共に隠れ里で引きこもり中。
災厄の魔物がとっくに討伐されているとは露知らず、己の力不足で世界が滅ぶと憂いておられましたとさ。




