アイリス視点:真犯人
眠気の限界を迎えたソフィアが何も無いところで躓いて、頭から倒れ込んだ。
……とても心配になる倒れ方だったけれど、いくら眠いとはいえ、あれだけ派手に転んで無反応というのは普通ではない。無意識下で常に痛みを緩和する魔法を発動し続けているという話は事実なのだろう。
……そんな魔法の使い方、私は考えたこともなかった。
ふ、と笑みが零れる。
以前の私であれば、大きすぎる才能の隔たりに愕然としていたかもしれない。それこそがソフィアが話さなかった理由でもあったのだろう。
この子はとても聡い子だから。そして、とっても優しい子だから。
きっと私の視線に気付いていた。
羨望。憧憬。……それと、畏怖。
この大きすぎる才能が、私の手に委ねられているという事実。その重さに苦悩する日もあった。
だからソフィアは、報告の義務を怠った。真実を隠して、私の目に入らないようにした。……私が思い悩まなくても済むように。
……あるいは、今以上の感情を持たれることを嫌った、子供としての本能かしらね。
我が事ながら恥ずかしくなる。偉そうな事を並べ立てたところでその実、叱っている相手にずっと気遣われているのだから。
こんな母親の元でありながら、ソフィアはいい子に育ってくれた。
明るくて、優しくて。困っている人には手を差し伸べずにはいられない。自慢の娘だ。
「……本当に」
愛しくて堪らない。
その言葉を飲み込んで、手元のベルを鳴らした。
「はい。お呼びで……ぅわっ!?」
入ってきた使用人は、ドアの傍で倒れ込んでいるソフィアに驚いた様子で飛び上がる。
……改めて見ると、ソフィアが使用人に対して驚かせようとしているようにも見える……かもしれないわね。この子はそういったことをしそうでもあるし。
……本当に寝てるのよね?
「えっ、お嬢様!? えっあのこれ、大丈夫なんですか!?」
「大丈夫、寝ているだけよ。部屋に運んでおいてくれる?」
「は、はいっ。よいしょ、と」
荷物のように抱えられて運ばれていくソフィアを見て、しらず強ばっていた身体から力が抜けるのを感じた。
――ああ。やっぱり私、緊張していたのね。
当たり前のことだろう。
理不尽に娘を叱咤し、これから息子を断罪しようとしているのに、平静でいられる方がどうかしている。
私は同僚からよく「感情が薄い」と言われはするが、そんなことはない。自分で言うのもなんだが、感情は豊かな方であると思う。顔には出さないだけだ。
……そういえば、夫に初めて甘えた時も、目を丸くして驚かれたわね。
力の抜ける記憶を思い出して小さく笑ったあと、これからやるべき事に向けて意識を切り替えた。
そう、まだ終わってはいない。ソフィアに殊更厳しく当たったのだって、全てはこの後のためだ。
陛下の意識を歪めるという大罪。
前代未聞のこの凶行は、しかし、不審な点が多すぎた。
誰にも悟らせない準備期間の周到さに反して、事が露見した後の杜撰すぎる痕跡隠し。
陛下どころか宰相までも操っておきながら、為したことは先日のソフィアに対する失言のみ。
……いくらなんでもあからさまにすぎる。
これを対話の意思があると取るのか。それとも、罠と取るべきか。
あの子の親として、ある程度の見解を述べることはできるが、親とはいえど子供の心を完全に把握しきれている訳では無い。それは、夫だって同じことだ。
だから、対話が必要なのだろう。
ロランドの部屋ヘ向かう決意を固めて、私は部屋を出た。
深夜の廊下。
コツ、コツと自身の足音だけを聴きながら、ロランドの事に思いを馳せる。
……そういえば、あの子とまともに話をしたのはいつ以来だったかしら。
私はソフィアを。夫はロランドをと、なんとなく別けてしまったのが間違いの始まりだったのかしら。
――いいえ、そんなはずはない。
首を振って、弱い考えを振り払った。
ソフィアはいい子に育った。が、それでも悪い部分が無い訳でもない。
性格は大雑把なところがあるし、面倒くさがりだし、社交が嫌いでパーティーにはお菓子を食べる為に行っているようなところがあるし。
優しくはあるけれど時にはその優しさを押し付けてくることもあるし、かと思えば言葉もなくそっと裏から手を貸してくれていたと後になって気付くこともある。
器用なようでいて、不器用で。素直でありながら、ひねくれてもいて。
そんなソフィアに、私達はいつも振り回される。
それを、ロランドだって、楽しんでいたはずだ。
ロランドは、思慮深い子だ。そして、家族想いの優しい子でもある。……ソフィアに対しては、特に。
優しさの暴走、と簡単に表現することもできるけれど。ロランドの行動には必ず意味がある。それも、己の利では無い。ソフィアの利だ。
あの子は、ソフィアの為であれば、自分をなげうつような危うさがある。それが心配ではあった。
……やはり、育て方を間違っていたとは思わない。
まずは話を。そして……。
いざとなれば、私が責任を取る。
それが親の務めだ。
ソフィアが理不尽に怒られていたのはお兄様のせいでしたよ、というお話。
まあ寝て起きたらケロッとしてるだろうし問題ないね。




